yokaのblog

湖で微生物の研究してます

香港科技大学でセミナーしてきました

 京大から香港科技大学(HKUST)に移られた生態研時代の先輩の潮雅之さん学内のセミナーでの講演に招待いただき、2泊の香港出張に行ってきた。最初に講演の話を貰ったときは当然オンライン発表だと思っていたので、本当に香港に招待いただけるということを知ったときはとても興奮した。

滞在中はずっと天気が悪くて青空もオーシャンビューも楽しめなかったのは残念だけど、海岸の崖にそびえたつキャンパスを上から下まで一通り案内してもらって、実際の学生や教員の生活を見せてもらえたのはとても貴重だった。

海外からの学生の比率が高いことや、家賃が高いこともあって、学内に学生や職員の宿舎がたくさんあったのが印象的だった。学内にスーパーがあり、休日も食堂がやっていて、香港の中では都心から離れた場所にあることもあって、多くの学生がキャンパスの中で生活を過ごしているようだった。キャンパス内には学生や教職員が自由に使えるバスケコートやテニスコート、陸上トラックやプールやジムまでもあり、至れり尽くせりという感じだった。またキャンパス内のあちこちで工事していて、発展の勢いを感じさせられた。驚いたのが食堂のクオリティで、京大の学食とほとんど変わらない値段で、料理の種類も質も京大とは比べ物にならないくらい立派だった。これは本当に羨ましいと思った。日本食も人気のようで、独立したカウンターが設けられているほどだった。

で、肝心のセミナーだけど、自分の研究分野に近そうな先生方が来られないという事前情報もあって、「内容がミスマッチだったらどうしようか・・・」という恐怖があったのだけど、小さめの講義室が埋まるくらいに人が来てくれて、専門用語満載のプレゼンもきちんと理解してもらえて、時間外まで議論や質疑で盛り上がったので、終わってみればとても安心したし、満足できた。学生からも結構本質的な質問が来て、レベルの高さを感じた。ヨーロッパならともかく、香港でも学生が全員普通に英語で議論していてすごいなーと感じたし、日本もマゴマゴしてないで授業全部英語でやるくらいしないと追いつけないぞと思った。

 その後セミナーに来てくれた人たちに招待いただいて、海鮮料理をいただいた。これが「日本では食べられない美味しいものが食べたい」という自分の欲望を完全に満たしてくれる最高のおもてなしだった。あまりにも種類が豊富で全然攻略できなかったので、ここにはまた行かなければならない。

飲みながら、国ごとの研究環境の違いを含めて色々な話で盛り上がった。自分は日本をむやみに下げる言説は好きではないけど、大学院生がちゃんと給料をもらっていてそれをサポートする大学の制度がある話や、研究者が学務や事務の負担、予算、給料も含めて日本よりもリスペクトされている面などは、羨ましいなと思ったし、負けているなと思ったし、見習ってほしいなと思った。今回の自分の旅費や懇親会費も、大学からの財源でサポートいただけたとのことだけど、同じような制度が自分の大学にもあったらどれだけ国際交流が進むだろうかと思う。

 で、翌日は土曜日で夜の飛行機までフリーだったので、観光して回った。自分は海外に行くと、混んでいる定番スポットよりも、生活感のある住宅街や、景色がきれいな自然や公園の中を走ったり歩いたりしながら見て回るのが好きなので、今回もランニングする気満々で準備してきた。が、天気が悪かったのと、香港の街中でどうしてもコインロッカーを見つけることができなかったので、2泊3日の荷物とPCが入ったバックパックを背負ったまま、ひたすら歩きまくるツアーに変更した。地図を見ながら手当たり次第に面白そうな場所を無計画に歩きまくって、500mくらいの山を越えたり、リアルコンクリートジャングルに迷い込んだり、めちゃくちゃ遠くまでいける大陸直通の高速列車(しかも全部満席)に驚いたりしながら、おそらく1日としては人生最高の55,000歩を歩いた。

昨年夏のスイス出張では「海外とのコロナ対策の温度差がもっと縮まるまでは海外出張はしたくない」という感想で全然楽しめなかったけど、ちょうどその温度差が無くなってきたタイミングでの出張になり「楽しい海外出張が戻ってきた!」というのを実感できた三日間だった。実際、香港も日本とちょうど同じ頃にマスクしなくてよくなって、街中や電車でマスクしている人の割合も日本とほとんど同じくらいに感じられた。

 これまで海外出張といえばヨーロッパが多かったので、時差や食事や文化の違いで疲れることが多かったけど、時差は1時間、食事も不自由せず、文化的にもなじみやすくて、こんなに海外って楽だったっけ?という海外出張だった。漢字圏かつ英語が公用語でどこにでも表示されていることもあって看板やメニューで「何が書いてあるか分からない」というストレスもほとんど無かった。あまりにも海外感が無かったせいか、帰国後の電車の中で周りの会話の日本語が聞こえてきても脳が切り替わってなくて中国語のように聞こえて理解できなくなるという面白い症状も体験した。

 人生最短の海外出張だったけど、とても楽しくて、充実して、色々な経験と知見が得られた有意義な出張だった。潮さん、ご招待いただきありがとうございました。

然別湖 結氷期調査

 昨夏に調査した然別湖に再び調査に行ってきた。日本でも数少ない、大水深でありながら完全結氷し、逆列成層が見られる湖で、これまで調査してきた多くの湖と異なり、循環期が極めて短く年に2回あるという特徴がある。そのため、他の湖で見られるような、水の循環をきっかけにした微生物組成の「リセット」が起こりにくい環境なのではないかと考えている。この仮説を検証し、雪と氷に閉ざされた湖には一体どのような微生物が生息するのかを明らかにすべく、とかち鹿追ジオパークの協力を得て、他の研究者らの調査に同行させてもらう形で参加した。

 凍った湖の上での調査も、氷点下での調査も初めてで、できるだけの準備はしながらも、どんな想定外が起こりえるのか想像もつかず、ワクワクドキドキの調査だった。特に、手足が凍えて動かなくなる事態や、機材が凍って使えなくなる事態が怖かったので、できる限りの想像力を働かせて準備した。正解だった/失敗だった点としては、

  • ボールペンやマーカーは凍りそうだったので、ラベルや野帳への記入用にシャーペンを準備した 
    ⇒正解だった。ボールペンはすぐ凍ってインクが出なくなった。マーカーは低温だとなかなか乾かないという問題もあった
  • 電動採水システムは低温でバッテリーが動かなくなったり、可動部やラインが凍ってトラブルになる気がしたので、ロープ手上げでの採水を選んだ 
    ⇒正解だった。ロープでも陸に上げたそばから凍って、普段なら起こらないような絡み方をして苦労した。リールに細いラインのシステムだと使い物にならなかったと思う。そもそも氷上では、風に流されて動く船での調査と違って、軽い重りでも真っすぐ採水器を降ろせることや、足場が船よりも安定していることもあって、手上げでの負担は船とは比べ物にならないほど小さく、水深100m程度であれば電動採水システムは不要であった。
  • 手足の凍えだけは絶対に起こさないよう、手袋・靴下・長靴は複数パターン準備した
    ⇒正解だった。とくに手袋は、作業ごとに細かく切り替えてできるだけ濡らさないようにして、もし濡れてしまっても交換が効くようにしていたおかげで、恐れていた「手が冷たくて作業できない」という事態には至らなかった。
  • 調査中の食事は凍ってしまわないようにチョコレートでのカロリー補給のみで我慢した 
    ⇒半分失敗だった。調査が結構長丁場かつ体力的にタフで、朝から昼過ぎまでチョコだけで過ごすのは結構しんどく後半はフラフラになっていた。塩分のとれるポテチや柿ピー的なお菓子も持っていけば良かったと思った。また、トイレに行かなくて済むように水分をほぼ取らない戦略をとったけど、魔法瓶に暖かい甘いコーヒーを入れて持って行っていたらかなり幸福度が上がっていただろうなと思った。
  • クーラーボックスに、いつも使っている保冷剤も一緒に入れて持って行った
    ⇒失敗だった。むしろサンプルが凍らないように、カイロや温水の入ったボトルをクーラーボックスに入れる状況で、保冷材は単なる重りと化してしまった。
  • 凍ってはいけない機材を通常の宅急便で送った
    ⇒失敗だった。冬の北海道では常温便が氷点下になってしまうので、凍らせないために冷蔵便をつかわなければならない。特に今回は荷物をヤマトの営業所止めにしていて、そこの倉庫で一晩おいている間に凍ってしまうと思ったので、営業所に連絡して、暖かい場所に移してもらう特別対応をさせてしまうことになった。

夏の調査では機材や採った水を持って、高低差のある湖畔と駐車場を往復するのが結構大変だったのだけど、今回はスノーモービル+スノーボートで車から湖心まで全て運んでもらえたので、この点は夏よりもだいぶ楽だった。

湖心についたら穴をあけて採水器を降ろす。この採水器は新たに購入したMy採水器で、今回がデビュー戦になった。先に書いたように、400gくらいの重りで真っすぐ降りてくれるので、上げ下ろしは船と比べてものすごく楽だった。

氷の下は極寒暗闇の水深100mの世界(多少は雪を通過して光が届いているのかもしれないけど)。穴を見ているだけで怖くなる。絶対に落ちたくないし何も落としたくない。

こんな感じで、採水器も漏斗もウェアも、水が付くなりみるみる凍っていく。表面の湖水もほぼ0℃なので、一度凍ってしまうと、なかなか溶かす手段がない。漏斗は予備を持って行っておいて助かった。厄介なのがロープで、普段は引っ張れば戻るようなちょっとしたネジレやループがそのまま固まってもつれの原因になってしまうので、引き上げたロープをできるだけ凍らせないように、別の場所に掘った穴から湧き出ている水につけながら作業していた。

夏に船を浮かべていたのとまったく同じ場所に、テントを張って作業している。とても不思議な気分だ。

調査を終えて、暖かいホテルの部屋に戻って一息つきたいところだけど、むしろここからが大変な濾過。今回は調査に時間がかかってしまったこともあり、フラフラになりながら日付が変わるころまで頑張った。

面白かったのが湖底直上の水で、採る水深が1m違うだけで、透明だった水がこのような茶色い水に様変わりする。ここは湖底からの温泉成分の流入があって、湖底付近だけ水温が少し高い。温泉水の比重が高いために上の水と混ざり合うことがなくて、水は鉄と硫黄が混ざった嫌気っぽい匂いがした。ここにどのような微生物がいるのか気になるところだけど、無機粒子が多すぎてこの水はほとんど濾過できなかったので、十分なDNA量がとれるかは分からない。

で、2日目がさらに過酷だった。この日は湖の別の地点の調査だったのだけど、悪天候のうえに、ふわふわの雪が深く積もっていて、おまけに雪の下の方は、氷の上に染み出した水でシャーベット状になっていて、長靴で歩くと沼のようにシャーベット層に足が埋まって動けなくなってしまう有様だった。スノーモービルが使えない状況だったので、スノーシューを履いて、ソリに機材を載せて、それを曳いて、雪の中ひたすら湖上を歩き続ける修行のような調査だった。前日の深夜までの濾過で疲労がたまっていたこともあり、久しぶりに体力の限界まで追い込まれた。でも、この瞬間が、一番今回の調査で楽しい瞬間でもあった。あまりに非日常な景色と状況と、容赦ない自然の中で、体を限界まで使って、機材の準備やロジの手配に費やしたここまでの工夫と努力を結集させて、紛れもない世界初のサンプルを採る。これを達成したときの達成感と満足感は何にも代えがたいものがあった。

 改めて、フィールド調査は自分が好きな要素が詰まっているなと思うし、「これがやりたかったから研究者になったのだ、これが本当に自分がやりたかった仕事だ」と心の底から思うことができた。正直、今回の調査は想定外の事態が起こって予定通りに進まない可能性がかなりあると思っていたので、ほぼ計画通りに調査を終えられたことについて、天候や運に恵まれたことに感謝するとともに、理想とする「現場力の高い研究者」にまた少し近づけたかなという自信が得られた経験になった。

創発的研究支援事業に採択されました

「湖間比較で拓く高解像度な生態系多様性研究基盤」という研究課題名でJSTの創発的研究支援事業に採択いただいた。長期で思い切った研究をできる環境を頂けることは本当にありがたい。特に今回「湖」という言葉を課題名に入れて採択を頂いた意義は自分にとって大きい。以前、論文のタイトルに関して同じようなことを書いたけど、「湖」という言葉を入れて研究対象を限定することは、一般性という観点ではマイナスに働くリスクがある。他の採択課題を見ていても、もっとジェネラルでカッコいい課題名がたくさん並んでいるので、課題名をどうするかは結構迷った。それでも「湖」を入れて勝負することを選んだのは、「自分が組み上げてきたこの研究系の可能性をもう少し追究してみたい」という純粋な好奇心を正直にぶつけておきたいと思ったからだ。

 研究は昔も今も面白いのだけど、今までどうしても「評価される論文を書いて生き残る」という気持ちが心の奥にあって、「本当にやりたい、面白いと思えていることをやれているのか?」という自問自答があった。そもそも、自分が面白いと思えることは他にもたくさんあって、湖で研究を続けているのは単なる偶然と非合理なこだわりの産物にすぎないと思っている。そんな中で今自分が持てている「純粋な好奇心」は本物であり、論文になるとか生き残るとか関係なく、心の底から進んでみたいという方向が明確に見えている状況が起きている。この感情と、そこに至るまでに積み上げてきたアイデアと経験と実力を申請書と面接でぶつけてみて、どういう評価が下るのか知りたい・・・というのが応募の動機だった。

 なので今回、「湖」を入れた課題名で採択されたことは、自分のこの考えを認めてもらえて、背中を押してもらえたような気持ちでいる。とくに、採択後の審査員からのコメントで「新しい技術を積極的に取り入れて、他分野の研究者と解析を進めて欲しい」というのがあって、これはまさに自分が力を入れていきたい方向性でもあるし、創発事業の趣旨にもマッチする方向でもあるので、そこに言及してもらえたのは嬉しいし励みになったし楽しみだ。

 以前書いたように、これだけ高額の研究費を、税金から、しかも前払いで助成して頂くというのは大変かつ深刻なことだと思っている。それだけ、重い期待を背負っているのだという気持ちで、しっかりとそれに応えられるように頑張りたい。

丁寧に考えて動く年にしたい

 歳を取るにつれて年末年始の年末年始感が無くなっている気がする。今年も忙殺されていてすでに半月経ってしまって今更だけど、1年を振り返ると、昨年の目標として掲げていた「主著論文を2本以上投稿」は何とか達成できた。もう一つの目標の「大学の先生として尊敬されるに値する仕事をすること」は学生に聞いてみないと分からないけれど、先生としてはこれ以上ないくらいに一生懸命に働いたとは思う。

 去年の今頃の記事でも研究と教育を両立させる難しさ、とくに教育の大変さを感じていたところだけど、その思いは1年たっても変わっていない。学生を教えるのは本当に大変だし難しい。学ぶことも、思うことも、言いたいけど言えないことも、報われないこともありながら、達成感も、世の中の役に立っている実感もあって、有意義ではあるのだけど、それらをじっくり振り返って消化する間もなく時間が過ぎて行ってしまう感じだった。昨年の記事では

とりあえず今は、教育も研究も目の前のことをやれるだけ頑張るがむしゃらフェーズで、大学教員としての自分の経験や成長が一巡するまではそれでよいのだと思っている。

というようなことを書いたけど、もはや「がむしゃら」というよりも、「こなす」「さばく」「消化する」「やっつける」といった言葉のほうが適切な有様だった。

 仕事が多すぎて手が回らない状況が増えてきたからか、人生経験で対処できる状況が増えてきたからか、おそらくその両方が理由だけど、歳を取るにつれて自分の考えも行動も、だんだん雑になっているのではないかという反省がある。やっつけ仕事でもいいからとにかく量をこなす、目の前の仕事をさばく、みたいな働き方とか文化を忌み嫌っていたはずなのに、放っておくと自分もそっちに行ってしまいそうだということに突然気が付いて、これは良くない、と立ち止まって今これを書いている。

 なので今年の目標は、主著論文を1報以上投稿することに加えて、一つ一つの考えや行動にもっと丁寧に取り組むことにしたい。今思えば、ポスドクくらいまでは環境にも心境にもそれなりの変化と刺激が感じられて、もう少し日々に緊張感を保っていられた気がするけど、今や人生は35年目、社会人としては11年目に突入して、「生きること」や「働くこと」自体に慣れが出てきてしまって、以前よりも漫然と毎日を送ってしまっている気がする。そしてこの傾向は、放っておいても加速するばかりで、改善に向かう要素はない。つまり、人生に慣れてどんどん生き方が雑になっていく先には衰退しかない。なのでここで立ち止まって、できるだけこの流れに逆らいたい。自分の子供が、日常の一つ一つの出来事に新鮮なマインドで全力で取り組んで、みるみる成長していくのを見ていると、自分が失ってしまっていた緊張感や、日常から感じられるはずだった豊かさを思い出させてくれ、自分がいかに雑に生きているかを反省させられる。それを見習って、日々の考えや行動を、できるだけ丁寧にして、できるだけ豊かにする。これを心がけ、実践する年にしたい。

琵琶湖・猪苗代湖・中禅寺湖・洞爺湖、国際共同調査

 9月20日から10月4日にかけ、チェコ科学アカデミーのMichaela Salcher博士らの研究グループが来日し、琵琶湖・猪苗代湖中禅寺湖洞爺湖の共同調査を行った。

 Michiのことを最初に知ったのは、10年以上前の学部生の頃だ。当時卒業研究で行っていた、FISH法を駆使した淡水細菌の多様性の研究で、関連文献を調べているとやたらと名前が出てくることからその存在を知るようになった。その頃Michiは学位をとりたてのタイミングだったのだけど、すでに淡水微生物生態学をリードする成果を次々と出していた。当時は面識なく、単に論文著者の名前として存在する人物に過ぎなかった。その後、国際学会のポスター発表で直接話をするチャンスがあって、顔見知りになった。後から聞いた話によれば、自分の論文の査読を引き受けてくれたことがあったらしく、そのこともこちらの存在を知ってもらうきっかけになったらしい。転機になったのは博士課程在学中に当時チューリッヒ大にいたMichiの研究室を2か月半訪問する機会を得たことだ。以降、共同研究者の関係になり、Michiがチェコに移った後も、コロナ前までは年に一度はヨーロッパを訪問していて、これまでに4本の共著論文を出すに至っている。

 そして今回、彼らがグラントを獲得したプロジェクトの一環で、日本の深い湖の微生物サンプルを採りたいという話で声をかけてもらって、受け入れを担当することになった。学部生時代には論文上の存在でしかなかった憧れの研究者を、まさか10年後に自分が日本に招くことになるとは想像していなかった。共同研究者になってからも、いつか日本に呼びたいと思いながら、コロナなどもあってなかなかその機会が巡ってこなかったので、今回の訪問は自分の研究者人生の中でも一大イベントで、とにかく失敗なく調査を完遂しつつ、日本滞在を楽しんでもらいたい一心でとりかかった。

 琵琶湖に加えて、東北・北海道3つの湖を2週間で回り、深水層(80-150 m)の大量採水(40L)を含むサンプリングとそのサンプル処理まで終えるというタイトな計画で、傭船業者の空き状況、悪天候に備えた予備日、新幹線の接続、ヤマトの配達の所要日数等を考慮に入れて日程を組みながら、宿泊とレンタカーを手配して、一日も余裕の無いギチギチのスケジュールが出来上がった。琵琶湖で調査を行ってから新幹線で那須塩原に移動し、そこを拠点に猪苗代湖中禅寺湖を二日連続で調査した後に、新幹線で函館、函館からさらに車で洞爺まで移動し、洞爺湖を調査したら逆のルートで函館から京都まで新幹線で帰るという、3000km以上を陸路で移動するクレイジーな旅程だった。ちなみに、支笏湖・十和田湖調査で青函連絡船に乗ったので、これで北海道へは飛行機、カーフェリー、鉄道の全ての手段で渡ったことになる。

 然別湖で起こったような深層採水システムや濾過システムの故障が起こらないか、予備日で吸収しきれないほど天気が悪い日が続いたらどうしようか、冷蔵・冷凍サンプルや調査機材の配達が予定通りに届かなかったらどうしようか、時間管理をミスって予定通りの新幹線に乗れなかったらどうしようか・・・自分にとってもここまでタイトな調査計画は初めてな中で、自分しかリーダーとして音頭をとれる人がいないという状況で、とにかくドキドキワクワクな2週間だった。案の定、2週連続の台風接近で予備日の半分を消化する状況になったけど、調査が中止になる事態は避けられ、採水システムもトラブルなく、ロジスティクスも全て計画通りに動いてくれて、致命的な失点なく調査を終えることができた。最後、洞爺湖の水を無事に採り終えた後は、安心感で一気に疲れが出て、しばらく動けなかった。

 調査の無事に加えて、彼らをビッグゲストとしてもてなして、関係を深めつつ、日本での経験に満足して帰ってもらうというのも今回の大きな目標だった。こちらも、概ね達成できたと思う。色々な日本食にチャレンジしたいという要望に応えて、連日全力で美味しい店を探して、美味しいものを食べまくった。自然を見たいという要望に応えて、持てる知識と情報と時間を総動員して、海や森や火山を案内してまわった。これ以上の旅は無かったのではないかと思うし、自分自身もとても楽しく充実した2週間だった。

 今回得たサンプルから良い研究成果が得られることが楽しみなのはもちろん、それ以上に、一流の研究者達が日本に来てくれて、友人として楽しい時間を一緒に過ごしてくれたということ、それに応えてほぼ満点の計画ともてなしができたということに、この上ない満足感と達成感が得られた経験となった。先日の然別湖の調査に続いて、「こういうことがやりたかったから研究者になったんだよな」というのを思い出させてくれる、とても楽しい時間だった。

 

然別湖調査

 北海道の然別湖に調査に行ってきた。琵琶湖以外の湖で調査をするのは久しぶりで、今月後半に予定している中禅寺・猪苗代・洞爺湖調査のリハーサル的位置づけの調査でもあった。然別湖は最大水深約98m、標高810mで、自分が研究対象にしている大水深淡水湖(有酸素深水層を有する中~貧栄養の淡水湖)の中では、国内では最も寒い場所に存在する湖だ。北海道の大水深淡水湖では、これまで洞爺・支笏・屈斜路・摩周湖の微生物組成を明らかにしてきたけれど、然別湖はそれらの湖の中間に位置しており系統地理的な観点からもまだ網羅できていないエリアにあるし、完全結氷する2回循環湖という意味でもまだきちんとカバーできていないジャンルの湖だ。今回、共同研究者の調査に誘っていただき採水のチャンスを得た。

 1発目の採水から採水器のトラブルに見舞われ、調査が中断するハプニングがあり多方面に迷惑をかけてしまった。深層の水を採るための電動リールを活用したシステムがきちんと活躍してくれたのが救いだった。同行した研究者にも助けていただいて、何とか予定通りの採水をすることができた。

宿に戻ってからは濾過作業。極限までシンプル化し、大量の細菌サンプルを採集することに特化したコンパクトなシステムにした。然別湖は貧栄養湖で当日の透明度も10mを超えていたけど、思っていたよりも生物量が多かったようで、想定していたよりも早くフィルターが目詰まりしてしまった。

翌日は他の研究者の調査に同行し、船の操船を担当。船舶免許が久しぶりに活躍した。

調査の空き時間に山の方に散歩に行ってみたら、ナキウサギに遭遇する幸運にも恵まれた。

改めて、野外調査は楽しいなと思ったし、そもそも自然の中でこうやって仕事をやりたいから研究者になったんだよな、というのを思い出させてくれる出張だった。湖の調査では、海洋の調査のように装備が充実した船と熟練船員のサポートが使えるわけでは無く、遠隔地の不便な状況の中で、あらゆるものを自分達で手配し、あらゆる事態を想定した準備をしなくてはならない。今回は、自分よりもはるかに湖調査の経験がある猛者達に同行しての調査だったので、湖の状況やメンバーの要望に応じて常にスケジュールやロジスティクスを組みなおしながら進める、その準備の徹底ぶりと柔軟かつ効率な進行にとても感心した。機材の破損や不調が起こると、ドラえもんのごとくすぐに道具が出てきてバックアップ体制がとられる点や、船のエンジンの不調にすらその場にある道具と知識でなんとか対応してしまう場面もあったりして、そのサバイバル能力の高さに強い憧れを感じた。久しぶりに会う人も、初めて会う人もいたけど、地学・物理・化学・生物と分野は異なっても、全員が湖を対象にしていて、湖を愛している。初日から昼夜問わずひたすら湖の話で盛り上がって、ものすごく楽しかった。陸水研究の面白さを改めて感じたとともに、自分もこの文化を引き継ぐ一員になりたいと思った。

 人生も研究も、険しくて先が見えない「冒険」パートこそがその醍醐味だと思っている。湖調査はまさに「冒険」であり、その苦労の結晶として得られた自分だけのサンプルからは、世界で自分が初めて知ると断言できる結果が得られる。久しぶりに冒険心が満たされて満足したとともに、今回得られたサンプルの解析結果を見るのがとても楽しみだ。今月後半の調査もものすごい冒険になる予定で、とてもワクワクドキドキしている。

国際微生物生態学会(ISME18)@ローザンヌ

コロナ以降初の海外渡航で、スイス・ローザンヌで行われた国際微生物学会(ISME)に参加してきた。ロシアの戦争のせいで、行きの飛行機は北極回りで15時間もかかった。グリーンランドの氷河や流氷がたくさん見れた。

ISME自体はモントリオールライプチヒに続いて3回目の参加で、会場の雰囲気はある程度知っていたので、以前のように「とにかく色々行きまくって疲れまくる」ということはしないで、自分の興味に近い発表だけを効率よく回ることができた。というより、帰国前のコロナ検査で引っかかって帰れなくなるのが怖くてできるだけ参加を避けたというほうが正確かもしれない。特にポスターセッションは半数以上がノーマスクかつ三密が完全に揃っていて危険な雰囲気が漂っていたので、一切参加しなかった。ポスターセッションの時間にホテルで一人で食事をとる代わりに、ランチタイムの人がいない時間にポスターを見て回る、という方法で、一応ポスターは一通り目を通せはした。休憩時間に提供されるコーヒーや軽食も手を付けず、恒例の大規模パーティーももちろん参加せずで、自由に楽しめない感じが常にストレスな海外出張だった。


 救いは、今回は口頭発表で採択されたので、自分の研究を多くの人に知ってもらえたことと、その反響が思ったより大きくて、発表後に色々な人に声をかけてもらったり、共同研究に発展しそうな案件も出てきたりしたことだ。また以前書いたように、若い頃と比べて学会に参加する意義として、「情報収集」以上に「同窓会」的な側面が増してきているのは今回も感じた。特にコロナ前は毎年のように会っていたヨーロッパの共同研究者らと久しぶりに対面して、研究の打ち合わせも含めてじっくり話ができたのは、このストレスを乗り越えてでも今回無理やり海外に出てきた意味があったなと思った。それでも遅くまで飲みに付き合うということは今回は避けたので、以前のようなレベルで交流を深めることは叶わなかった。

 案の定、会場で感染してしまった人がそれなりにいたようだ。スイスは完全にコロナ前の生活に戻っていて、もはや感染するかどうかは運の問題でしかないと感じた。自分は結果的に帰ってこれたので、無理しても行って良かったなという感想だけど、結局ほとんどの食事をホテルで一人でとって過ごすことになったし、「周りは楽しんでいるのに自分だけ自由に楽しめない」というストレスが想像以上に大きかったので、海外とのコロナ対策の温度差がもっと縮まるまで、しばらく海外出張はしなくても良いかな、というのが今回の感想だ。