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2021年の感想:大学の先生はとてもすごい

2021年は大学教員として過ごす最初の1年だった。コロナで例年のやり方やイベントが無くなったままなのでまだ仕事の全体像を掴めた感覚が無いのが残念だけど、ようやく自分のペースが作れるようになってきて、自分が教員であることに慣れてきた。教員になるにあたり一番心配していたのが、自分の研究時間(主著論文の仕事に取り組める時間)がどれくらい減るのか、ということだったけど、これに関しては、ポスドク時代に比べて3-4割くらい減った印象だ。正直もっと減ることを覚悟していた(期待値を下げておいた)ので、不満度はあまり高くない。むしろ、一般的な大学教員と比較して授業や学務の負担は少なく、実際に研究以外の仕事をかなり堰き止めてもらっている実感があるので、恵まれた環境だと思っている。

 ただやはり、絶対的な研究時間が減った分、ポスドク時代と比較して研究のパフォーマンスは確実に下がった。また研究時間が減っただけでなく、研究に使える時間が分断化されることも難しい問題だった。1日中自分の研究に使える日はなかなか無くて、多様な仕事の合間の細切れ時間をかき集めて研究を進めなければならない。時期によるムラも大きくて、休暇シーズンにまとまった時間が取れて一気に研究が進むこともあれば、1カ月以上データや原稿に触ることが叶わなかった時期もあった。実際、今書いている論文の解析と執筆も、その大半が去年の冬休みと今年の夏休みに一気に進めたものだ。複雑なメタゲノムデータの解析やその論文書きには、高い集中力と膨大な一時記憶が必要になる。なので、作業時間が分断されると、どうしてもその都度、元の集中力や記憶を復元するための時間がかかってしまい、減った時間以上にパフォーマンスは削られる。

 そんなわけで、今年の目標としていた年内の論文投稿は叶わなかった。2020年度までは年1報のペースで主著論文をpublishし続けてきたけど、2021年度はとうとう主著論文無しの年になってしまいそうだ。分野によって論文が出る速度が違うとはいえ、もっと競争的な分野でもっと多くの論文を出している先生もたくさんいる中で、自分は比較的恵まれた環境にいるという自覚がありながら、思ったようにアウトプットが出せないということについては、1年を通してストレスを抱えていたし、未だに大学の先生はいつどうやって論文を書くものなのか、答えが見つからないままでいる。

 では減った時間はどこに消えてしまったのだろうか?自分の研究以外の時間に何をやっていたか、改めて考えてみると、(1)広義では自分の研究といえる時間、(2)研究室の学生を指導している時間、(3)それ以外の仕事をしている時間、の3つに分けられるのかなと思う。

 (1)については、研究費の申請書執筆、査読、学会等での発表、共著論文の解析や原稿の確認などが含まれる。これらはポスドク時代にもやっていたことだけど、件数が格段に増えた。これらは自分の業績になる(可能性のある)仕事なので、研究活動の一環として楽しんでやれているし、ちゃんと本気で取り組みたいというモチベーションもある。ただ、もう少し主著論文を書きたいと思っているところなので、色々と声をかけてもらってチャンスが増えるのは良いことだけど、取捨選択を少し考えないといけない時期に来ていると感じる。(2)は後述するけど、一番時間を使っていて、難しく、やりがいのある仕事だと思う。教育は教員の本分だし、学生の研究成果が論文になれば(1)と同じく広義では自分の研究業績にもなりうる仕事なので、これも全力で取り組まなければならない。(3)は研究室のロジ、学務、講義の時間が含まれる。これらも教員の本分としてやらなければならないのは承知しているけど、正直に言えば、少なくとも今の自分にとって、時間を使うべき優先順位は(1)や(2)が上で(3)はその次とすべきでないかと思っている。感覚的には(1):(2):(3)=3:4:3くらいの比率で時間を使っていて、(1)や(2)に少しでも時間を回すために、(3)はできるだけ効率化して「やらなくて済むことはできるだけやらずに済ます」方向に進めたい。

 で、先に書いた通り、この中で一番大変で難しいのが、(2)の学生の指導だ。単刀直入に言えば、自分が想像していた以上に学生は未熟で、教えるのが大変だというのがこの1年で痛感したことだ。学生がヘボいということを言いたいわけではない。自分自身も同じ年頃は相当に未熟だったし、単に年齢と経験が足りないというだけなのだと思う。また未熟な分、そこからの成長スピードとポテンシャルはとても大きくて、それを見極める難しさも痛感している。学生からすれば、研究室に来る前までは小中高校生の延長のような生活をしていたのが、研究室に入って突然社会人的振る舞いが求められるのだから、それは未熟で当然で、伸びしろがあって当然だ。ただ、自分もそうであった時代からあまりにも時間が経って、色々なことが自然にできるようになりすぎてしまっているので、当時の自分を想像して学生の目線に立つのがとても難しい。この、社会の入口に立つまでの激動の数年をサポートする大変さと責任の重さは想像を超えていた。またその悩みを先輩教員に相談するなかで、世の大学教員が学生を理解し、育てることにいかに多大かつ繊細な苦労を注いでいるのかを知って、ますますその思いを強くしている。

 行き先がアカデミアの内外かを問わず、人を育てて送り出すという、社会にとって不可欠な役割を大学教員は担っている。「大学の先生」なのだから当たり前のことだけど、これまで大学教員の研究者としての側面ばかりに光を当てて見ていたので、その仕事の大変さと責任の重さを感じながら、「大学の先生はとてもすごい」という気持ちを日々新たにしている。しかも、それだけでも十分にすごいのに、それを世界最先端の研究成果をあげながらこなしている。だから大学の先生はとてもすごい。これが、仕事面で2021年を総括する感想だと思う。

 2022年は、今年の不作を取り戻すべく、主著論文を2本以上投稿すること、それから、この「とてもすごい大学の先生像」に少しでも近づいて、大学の先生として尊敬されるに値する仕事をすることを目標に頑張りたい。