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就活するか?博士課程に行くか?

「就活するか?博士課程に行くか?」というのは、これからの時期、多くの修士1年の学生が抱える悩みだ。自分自身も、研究者を志して博士課程に行くつもりで修士課程に入学したのだけど、研究者として食っていくことの難しさを冷静に見れば見るほど不安になり、進路について大いに悩んだ。結局「研究以外の業界も見ておきたい」という気持ちや、「東京で会社員として稼ぐ生活を経験してみたい」という好奇心から、修士1年の冬から就活を始め、卒業後は会社員として3年働いた。その後会社を辞め、博士課程の学生として研究に戻ってきて3年で学位を取り、今ポスドク1年目なので、会社を辞めてからは4年が経とうとしていることになる。辞めた直後は、(学振DCをもらっていたとはいえ)給料は大きく下がったし、やる気だけはあったけど、本当に研究でやっていけるのか、アテも自信もない状況で、正直なところ「会社を辞めて研究に戻った自分」を正当化するのに必死だった。あれから時間も経って、少しずつ研究成果が出てきて、(まだ決して安泰ではないけど)自分の将来の方向性も見通せるようになってきた。ようやく過去の自分と比べなくても「研究やってて楽しいし戻ってきて良かった」と思えるようになったし、会社員生活と研究者生活、それぞれで自分が経験してきたことを客観的に見ることができるようにもなってきた。

 こういう経歴もあって、修士課程の後輩から「就活するか?博士課程に行くか?」という相談を受けたり、飲み会で自分のこれまでの選択の経緯について話題になったりすることも多い。そしてその度にこの問題が、答えのない難しい問題であることを痛感する。「こんなに優秀で研究が好きだと自覚できている人でも、進路に悩み、就職を選んでしまうのか」と思う事もある一方で、その悩みを聞けば聞くほど、悩んだ末に就職を選ぶ気持ちも理解できてしまう。自分自身も、同じように悩んで就職を選び、その悩みの深さを知っているから、「時間いっぱい後悔できないくらい悩んで決めたのならそうするしかないよね」ということくらいしか言えない。もしかすると自分の将来を決めるのは「時間切れになった瞬間に、頭の中のシーソーがどちらに傾いていたか」というタイミングでしかないのかもしれない。もしそうなっても言い逃れできず納得できるよう、本人がしっかり考えて悩むことしか解決策はない、というのが基本的な僕の意見だ。

 その前提のうえで、就活と進学の両方を経験したものとして、少しでもこの悩みの手助けになることを期待して、この問題の論点と、現時点での自分の考えの整理をしてみたいと思う。

目次

なぜ悩むのか?

まず、この問題に悩むのは「もともと博士課程に行くつもりがあった人」がほとんどで、「もともと就活するつもりだった人」が悩むケースは少ないという前提で話をしたい。なのでこの問題は言い換えると

もともと博士課程に行くつもりがあった人(=研究を続けたいと思っていた人)が進学を躊躇する理由は何なのか?

ということになる。で、その理由を整理すると、以下の三つが大きいのではないかと思う。

1.博士をとった後に生き残っていけるのかという不安

修士1年と言えば、少しずつ研究が軌道に乗ってきて楽しくなってくると同時に、学会等での外部の研究者との交流も増えてきて、厳しい現実を知る時期でもある。最初から博士卒業後に就活する計画であれば別だけど、アカデミアに残って研究を続けたいと思うなら、最終的に安定した身分を得ることは簡単ではない。「こんな優秀な人でも職探しに苦労しているのか」という事実を何例も見せられると同時に、「そんな人たちと競争していかなければならないのか」ということに自信を無くす。パーマネントの身分が得られるまでは数年任期の職を転々とすることになり、あちこち引っ越さなければならず、生活が安定しないし、家族にも迷惑がかかる。自分の研究に絶対的な自信や実績があるのならその不安も和らぐけれど、修士1年の段階ではそんなの分からない人がほとんどだ。なので、リスクばかりに目が行くことになり、冷静に考えれば考えるほど「研究が好き・楽しい」という気持ちだけで選んでよいものか、という不安が募る。

2. 金銭的な不安

日本の博士課程の学生は、給料が出ないどころか、高額な授業料を払わなければならない。ただでさえ、学部・修士と6年間も授業料を払い続け、多くの人が奨学金(という名の教育ローン)の返済も抱えていて、睡眠や研究時間を削ってアルバイトをせざるをえない状況にあるなかで、さらに3年、最短でも27歳までこの状況が続くというのは耐え難いというのは、もうその通りでしかない。研究者になるつもりで勉学に励んでいるようなレベルの修士卒の学生であれば、民間企業に行けば少なくても初任給で年収300~400万円台は貰えるはずだ。実際には社会保険や家賃補助などもついてくるだろうし、授業料を払わなくてよい分、金銭的な機会損失はさらに大きい。3年間で軽く1000万円以上は差が出るだろう。「好きな研究やってるんだから我慢しろ」という意見もあるかもしれないけど、こんなのは好きでもやってられない仕打ちだ。お金の余裕は心の余裕に直結する。「じゃあ辞めます」という答えになっても仕方がない。学振DCがとれれば年240万円の給料が出て、授業料も半額以上免除になる可能性が高い。贅沢はできないし、東京だとそれでも生きていくのには足りないと思うけど、バイトや奨学金で心を消耗せず研究に集中できるメリットは大きい。ただそれも採用率3割弱の狭き門であるうえ、後述するように採用が決まるタイミングが悪いので、進学するかどうかを考える基準にはならない。

3. 双方の選択肢を十分に比較できていない不安 

これは人によるのかもしれないけど「研究以外の世界を見たことが無いのに研究の道に絞ってしまって大丈夫なのだろうか?」という不安もあると思う。「研究生活はひとまず経験したけど、会社員生活はまだ経験していない。両方見てみないことには正確に比較できないではないか」というのは当然出てくる考え方だ。海外のように、正式採用の前にインターンがあって企業とマッチングするチャンスあれば良いのだけど、新卒一括採用の日本ではそうはいかない。冒頭に書いたように、僕はこの動機が結構大きくて一度就職したのだけど、「両方の世界を見た結果、研究のほうが良かった」という結論になって戻ってくるのに3年を浪費したし、そこに割いた心身のエネルギーも相当なものだった。そう簡単に戻ってこられるわけではない。基本的には、就活は片道切符になる。なので悩む。就職せずに「就職よりも進学を選ぶべき理由」を見つけて自分を納得させるのは難しい。

おまけに就活のスケジュールが早すぎる

これらの悩みをさらに増幅して問題を難しくしているのが就活のスケジュールが早すぎるということだ。年度によって時期はずれるけど、大体毎年、冬(今頃)から説明会などが始まって、春~夏から内定が出始めるスケジュールだ。学部から研究室にいたとしても、研究を始めて1年半少し、修士から新しく研究室に入ったとしたら1年も経っていない時期に、就活を考え始めなければならなくなる。ようやく研究が軌道に乗ってきたところか、人によってはまだ研究テーマが決まりきっていない段階かもしれない。結果が出始めて面白くなってくるのはその後だし、その研究に将来性があるか、自分に向いているかを判断できるのもその先だ。さらに悪いことに、学振の申請書類を提出するのが就活真っただ中の5月頃、その結果が出るのが内定式後の10月頃だ。「学振が通れば進学、ダメなら就活」という選択ができるなら、金銭的な不安は大幅に軽減することができるし、それができれば進学をもっと真剣に考えられた人もたくさんいただろう。だけど実質的に博士課程に行くためには「就活を諦める」選択を一番最初にしないといけない仕組みになっている。ますます「就活有利」だ。

就活よりも進学を選ぶ理由

ここまで書いた通り、この問題の難しいところは「進学よりも就活を選ぶ理由」はたくさん見つかる一方で「就活よりも進学を選ぶ理由」に関しては情報が限られていることにある。この情報の非対称性を解消するためには「大学院⇒就職」という一方通行を無くし、両方の世界を経験し客観的に比較することができる人を増やすこと、具体的には、在学中のインターンシップや、就職後の大学院への出戻りをもっと一般的にする施策が必要だと思う。なお後者に関しては、会社に籍を置きながら在学する、いわゆる社会人ドクターという選択肢もあるけれど、個人的意見として(分野にもよると思うけど)、会社とのしがらみ無く自分のリソースを100%研究に投ずる経験をしないと学位という称号を超えるものは得られないから、会社とは縁を切って研究に打ち込んだほうが良いのではないかと思っている。なので僕は、そういう選択がしやすいように学振等の制度や待遇を見直すべきだと考えている。ただそうは言ったところで仕組みがすぐに変わるわけもない(少しずつは変わっていくだろうと信じているけど)。なので、どんなことが「就活よりも進学を選ぶ理由」になりうるか、両方の世界を見た経験から今自分が感じていることを共有しておきたい。ちなみにこの中には、研究に戻ってきてすぐに感じたこともあれば、戻ってきてから3年以上経った最近になって感じるようになったこともある。逆に言うと、この先時間が経って経験を積み重ねていけば、また自分の考え方も変わっていくのだろうと思っている。なので、以下に書くことは、現時点で自分が感じていることの記録という意味もある。

1. こだわることが許されている

乱暴な言い方をすると、ビジネスでは

「100点の仕事を6本やること」より「60点(合格点)の仕事を10本やること」

が評価される。60点でも期待に応えられる(=お金がもらえる)のであれば、効率良く60点スレスレを連発するのが一番儲かる。60点を100点にするヒマがあるなら別の60点を生み出すべきであり、相手の期待を超えて100点を出そうとするのは自己満足だと怒られる。むしろ評価されるのは、60点を量産する仕組みを創り出した人間だったりする。一言で言えば「自分のこだわりを捨てて、上司や顧客の期待値を読み取り、そこに忠実に応え続けること」が多くの会社で求められる「仕事」だ。

 対してアカデミアは、この世に存在する数少ない「こだわり抜くことが許されている世界」だ。この世の道理を追究するためであれば、どんなに時間をかけて情報収集をしても、どんなに緻密な分析をしても、どんなにマニアックな図を作っても、それを論文として出すことができるし、そこに意味があるのなら、世界の誰かが読んでちゃんと評価してくれる。完成度を60点から90点、90点から100点に上げていく努力にも敬意が払われ、「やりすぎて否定されること」はない。「何かをとことん追究して深みにたどり着きたい」という研究肌の人にとって、この「納得いくまで仕事ができる環境」というのは、会社には無い大きな魅力だ。

2. 頑張り損が無く、成果が客観的に評価される

僕の会社員時代の3年間、常に脳内流行語としてノミネートされていたのが「やったもん負け」という言葉だ。業界・職種・会社の規模によって違うだろうけど、多くの企業で、成果を2倍出しても給料は2倍にならないし、よっぽどのことをしなければクビにならない。そうすると当然、労働者としての最適戦略は「クビにならないギリギリまでサボること」になる。それでも誰かが働いて稼がなければならない。そうすると、やる気のある人から搾取される。仕事を頑張れば頑張るほど、能力の高い人・仕事の速い人・長時間働ける人としてみなされればみなされるほど、ますます仕事が集中し、不公平感が募る。個人的にこの「頑張り損」の問題が企業の若手のモチベーションやその将来に及ぼす影響はかなり深刻だと思っているのだけど、年功序列や終身雇用のシステムも絡んだ複雑な問題であり、現時点では自分が折れるか逃げるかしか解決方法がない。

 対してアカデミアは完全なる「やったもん勝ち」、というか「やらないと死ぬ」世界だ。仕事のパフォーマンスは「論文」という属人的で客観的な指標によって形になる。論文の量にしろ質にしろ、やりたければどこまでやっても良いし、こだわりたければどこまでこだわっても良い。頑張った分は全て形になる。研究者の論文リストは、コネやブランディングによる粉飾抜きで、静かにその人のこれまでの仕事の成果が並べられていて、とても美しい。そして、激しい競争のおかげで「サボったほうが得をする」ということは基本的にない。どこまでやってもやりすぎることはないし、それで損をすることも、怒られることもない。この「心おきなく頑張れて、頑張りが全て形になる」という部分は、会社を辞めて戻ってきた当初から今まで、一貫してアカデミアの良いところだと感じている。

3. 自分の名前で世界最前線の発見をする興奮

これは言うまでもない研究の魅力なので、改めて取り上げる必要もないのかもしれない。それでも、

「世界の最前線に立つ研究者の一員である」という自覚が持てるくらいみっちりと勉強できること、そのうえで「目の前の現象やデータは世界でも自分しか知らないはずだ」と自信をもって感じられる瞬間があること、そしてその発見を自分の名前で世界に向けて発信し、この世に永久に残すこと (あるいはその直前で他の研究者に先を越されて、悔しい思いをすること)

は、研究者にしか許されない興奮だと、改めて日々感じている。民間企業でも研究職であればこの興奮を味わえるのかもしれない(自分には経験が無いので分からない)けど、研究職以外の職種に就職するなら、この興奮を味わえるチャンスはまず無いだろう。

4. 楽しそうな年上がいる

これは上記3項目以上に個人的な感想になるのだけど、5歳上、10歳上、20歳上と見渡した時に、会社よりもアカデミアのほうが、話を聞いていてこっちがワクワクしてしまうくらい楽しそうで活き活きしている人が多いと感じている。単に自分が研究者に向いているから、アカデミアのほうに魅力的な人が多くいるように見えるバイアスなのかもしれない。けれど少なくとも自分にとって、「5年後、10年後、20年後にこうなりたい」と思えるような人物は、会社にはほとんどいなかったけど、アカデミアでは何人も頭に思い浮かぶ。「ロールモデルがいるかどうか」は、自分のモチベーションだけではなく、キャリアにも大きな影響を及ぼす。なので進路に迷っている人は、

「将来こんな風になりたい」と思う人物がどんな人で、どこにいる(いそうな)人なのか

ということを考えてみるのも良いと思う。今身近にそういう人がいるのなら、それはとても恵まれたことで、環境を変えるべきではないのかもしれない。

博士課程進学は敬遠されすぎなのではないか

長々書いてきたけど、言いたいことはこれだ。優秀な修士課程の学生から「就職することにしました!」という話を聞くたびに「まぁそうだよね、頑張ってね」と声をかけると同時に、

これだけ研究が好きそうで向いてそうな人が研究の道に進まないのだとしたら、一体この先この業界は誰が支えていくのだろうか

ということも考えてしまい、複雑な気持ちになる。確かに博士課程進学には多くのリスクがあって、得られる情報が限られている中で考えが就活に傾くのは仕方がない。自分自身も一度そうやって就職していて、そのことは否定できないしするつもりもない。一方で先述したように、博士課程に戻ってきてみて、ここでしか得られない経験や興奮、納得感があるのも事実だと感じている。そんな中、リスクを強調する情報ばかりが偏って流れることで、必要以上に博士課程進学が敬遠されているのではないか?そしてそのことで、研究に適性がある人までもが就活を選び、本人にとっても社会にとっても不幸で勿体ないケースが増えているのではないだろうか?個人的な感覚であり、データは無い。だけど、そう感じてしまうことが多い。だから、無責任だけどあえて

研究が好きで向いているという自覚があるなら、そんなにビビらずに博士課程に行けばいいのでは?

という事を言ってみたい。「何かをとことん追究したい」という執念やこだわりは貴重な感情であり、できるだけ無駄にしないでほしいと思うからだ。

 もちろん、研究者としてやっていくためには適性とやる気だけではなく、能力や運も伴っていなければならない。だけど先に書いたように、修士課程の段階で自分に能力や運があるのかなんて分からない。であれば「研究が好きだし向いていると思っている」というだけで、博士課程の学生としての要件は必要十分に満たしているのではないだろうか。むしろ重要なのは、進学すると決めたら、そこから超本気で研究に打ち込んでみることだ。超本気を出してやってみることで、面白い成果が出て研究でやっていける自信が生まれてくるか、自分は論文を出し続けて競争に勝ち抜いていくだけの能力や運に恵まれなかったのかが見えてくる。後者であった場合でも、博士卒で民間企業の研究職に就職することだって普通に可能だし、超本気で研究に打ち込んで培った文章作成能力・情報収集能力・思考力・英語力をもってすれば、この世のどこにも仕事が無いなんてことはまず無いだろう。そんなに深刻に心配することではないのではないだろうか。

 ・・・書いていて、我ながら無責任だと思う。ここまで言ったところで、冒頭に書いた金銭的な不安や、ポストの不安定さに対する不安は何も解決していない。そもそも僕自身、一度就職を選んでいるうえに、まだ将来どうなるか全然分からない立場だ。残念ながら、あくまで個人の感想で「こういう考え方もあるというくらいでご参考に」ということ以上は言えない。

就活する人たちへ

それでも悩んだ末に出た結論は「就活」かもしれない。なので最後に、僕がこれから就活を始めようとする修士の学生に言いたい、数々の説教臭い経験談から厳選した以下の3点をお伝えしたい。

1. 最後まで研究を楽しむ

就活はとても忙しい。正直、研究と就活を両立させるのは不可能だと思うし、一生がかかっている就活のほうに注力するのも当然だ。一方で上述したように、研究には研究にしかない魅力があり、それは就職してしまえばなかなか無い経験であるということも事実だ。結果が出て研究が楽しくなってくるのも、往々にして内定が出た後だったりする(自分もそうだった)。なのでせっかくやるなら、出来るだけ本気で打ち込んでみて、楽しんでほしい。そこで得た経験やスキル、特に文章作成能力は、どこに行っても、どれだけあっても必ず役に立つ。「そこまでやらなくても良かったのに」と言われるような、自分のこだわりが詰まった成果を出せるチャンスは、就職してしまえばそうそう無い。少しでもこだわりの詰まった論文に仕上げて、それに満足してほしいと思う。

2. 「何をやるか」よりも「誰とやるか」

 先のロールモデルの話にも関連するけれど、モチベーションや満足度に影響を及ぼすのは、「何をやるか」よりも「誰とやるか」のほうが圧倒的に大きいと思っている。研究室選びでも就職先選びでも「何をやるか」の方に目が行きがちだけれど、往々にして「やりたいこと」は単なる自分の思い込みで、時間が経てば変わってしまったりするものだ。なので、就活をするにあたっても「この人たちと毎日一緒に働けるか?」という目で色んな会社を眺めるほうが、良い選択が出来ると思う。説明会に行って「この人たちとは合わないな」と感じた会社は早期に候補から外しても構わないと思うし、最後に複数の会社から内定をもらって悩むようなことがあれば、面倒でも両方の社員とじっくり話をさせてもらって決めてほしいと思う。

3. 入社直後に持った違和感は書き留めておく

入社してこれまでと全く違う環境で働き始める事で、たくさんの気づきがあると思う。感心することもあれば、違和感を持つこともある。その違和感は入社した直後にしか味わえない貴重な感情で、時間が経つうちにどんどん忘れていく。慣れてしまって自然に忘れてしまうものもあれば、本当は気になって仕方がないのだけど気にしてたら仕事にならないのでわざと気にしないようにしているうちに忘れてしまうものもある。だから、忘れないように何かに書き留めておいてほしい。案外、自分が入社した直後の違和感は時間が経っても正しくて、的を得ていることが多いと思う。自分自身、会社を辞める時に、自分の入社直後の違和感を書き留めていたものを読み直して、「結局自分がおかしいと思っていたことは昔も今も変わってなかったのだな」ということを感じた。会社色に染まっていくうちに息苦しくなってくるかもしれないけれど、世の中は思っているよりも広くて自由で、色々やっても大丈夫だ。自分の「こだわり」を信じて大切にしてほしいし、自分が折れてしまう前に環境を変えるという選択があることを忘れないようにしてほしい。

 

2019/12/14 追記 「アカリク アドベントカレンダー」にて本記事を取り上げていただきました