yokaのblog

湖で微生物の研究してます

人生のストーリーを追究したいという非合理なこだわり

学部生時代から一貫して湖で研究を続けているのだけど、事あるごとに「海には興味ないの?」と聞かれてきた。確かに湖よりも海のほうが研究人口が多くて議論も盛んだし、就職での選択肢も多い。地球上の大部分を占める海の研究は単純に湖よりも成果のインパクトが大きいし、自分の技術的にも知識的にも、湖の研究で培ったノウハウを活かして海の研究に鞍替えするハードルは高くない。それでもこれまで、湖一本でやってきた。それは、たまたま環境がそうだったという理由もあるけれど、意図的に海の研究と距離を置いてきた側面も少なからずある。だけど、別に僕は海の研究が嫌いなわけではない。

 むしろ僕は、かつては毎日放課後に海辺で生き物を捕まえて遊ぶ小学生であり、もともと海洋生物の研究者になりたいと思っていた。大学に入って微生物生態学に興味を持ってからも、海の微生物生態学をやりたいと思っていた。ところが残念ながら、所属していた学部には「海」と「微生物生態学」を両方満たす研究室の選択肢が無かった。「琵琶湖」と「微生物生態学」であれば、興味に合いそうな環境があった。そんなきっかけで湖での研究をスタートすることになった。

 そこからは色々と発見に恵まれ、当初捨てきれなかった海の研究への未練も、成果が積みあがるにつれ薄まっていき、今は「湖の研究に出会えてよかった」と心から感じている。確かに湖は、海ほどスケールが大きくなく、研究人口も多くない。だけどその裏返しで、研究規模が手ごろで、競争が激しすぎないというメリットもある。そのおかげで、学生の段階から自分自身の力で最前線を切り拓いていく感覚を味わうことができた。自分で考えたテーマ、自分で考えた研究計画で、自分の好きなように研究をしていたけど、ちゃんと論文として成果を形にできたのは、環境と運に恵まれた側面もあったけど、やはり湖の研究だったからという理由が大きいと思う。海の研究から始めていたら、調べるべき先行研究の数も、調査に必要な資金や手続きの数も桁違いであり、おそらく、大きなプロジェクトの一員として参加させてもらい、与えられたテーマをこなしながら自分の専門性を磨いていくような形でやることになり、湖と同じように自由にやっていては成果がでなかっただろう。早くから自分の裁量で研究領域を開拓でき、自分なりの研究の世界観を持つことができた点については、湖に出会うことができた偶然に感謝するほかない。

 話は変わるけど、僕はこれまでの人生の岐路において、一般的な評価軸に従うことよりも、自分の人生のストーリーを追究することを優先してきた。受験で東大よりも京大を選んだのも、就活で外資コンサルを蹴って国内コンサルを選んだのも、高給会社員を辞めて極貧大学院生に逆戻りしたのも、「みんなが目指す場所に行くこと」よりも「今の自分に至るまでの偶然と考えの積み重ねを反映した選択」を目指した結果だった。今振り返って、これらの選択が合理的で最適解だったとは決して思わない。だけど、もう一度人生があっても同じ選択をしていただろうという点では、後悔のしようがない選択だった。

 同じことが、今の湖の研究に対するこだわりに対しても言えると思う。「海の研究をやればきっと楽しいだろうし、視野も可能性も選択肢もぐっと広まるのだろうな」というのは分かっている。だけど

海はデカいんだからみんなが研究して当たり前であって、今はそれよりも、偶然と運と自分なりの考えを積み重ねてここまで湖一本でやってきた自分のストーリーを追究したい

という非合理なこだわりとプライドが捨てきれない。それで、あえて海の研究には近づきすぎず、湖の研究に自分のリソースを集中させてきた。

 だから、そのこだわりをきちんと活かさなければならない。これはある人に言われて今でも心にとどめているのだけど、

自分の選択やキャリアは活きるものではなく、活かすもの

だ。自ら積極的に可能性に挑戦し、チャンスを拾っていかなければ、「やっぱ一般的な評価軸に従って無難に選択しておくのが正解だったね」という結論になってしまう。湖という研究系の特徴を活かしながら、海には真似できないアプローチで、大発見に繋がる研究を育てていきたい。

 一方で、もっと長期的に考えると、もともと海の研究者になりたかった自分の思いに立ち返るところまでが、自分の人生のストーリーなんじゃないかと思ったりもする。いつか、湖の研究で大成して一通り満足したところで、そのノウハウを引っ提げて海の研究に進出する、というのは面白いストーリーだと思う。なので、その将来を見据えて、今後はもうすこし海の研究にも取り組んでみてもいいのかもしれない。これからも偶然と縁と自分の考えの積み重ねを大事にしながら、この非合理なこだわりを追究していきたい。