yokaのblog

湖で微生物の研究してます

忘れられない本

ふと「最近本読んでないな」ということを考えた。学部・修士時代には月に1冊以上は読んでいたし、会社員時代は片道40分の電車通勤があったので本を読む習慣ができていたのだけど、その後は通勤も車か自転車になり、たまに本を読めるようなヒマができたとしても、常にWebアラートや論文が山ほど溜まっている状況なのでそっちに時間を使うようになってしまった。今思い起こすと、10年近く前の学部生時代に読んだ本でも今も内容が頭に残っている本がいくつかあるし、ふとしたときに「今考えていることはあの本に影響を受けているな」とか「今見ているものはあの本に書いてあったことだな」とかすぐに思い出せるほどに、自分の脳みそに染みついているような本もある。出会うべき時にタイミングよく出会えた本は一生の糧になる。やっぱこれからもちゃんと時間作って本を読みたいなと思う。

 読んでからかなり時間が経ってしまっているので、我流の解釈によって記憶が歪んでしまって、本の趣旨とは少しずれてしまっているものもあるかもしれないけれど、自分の読書モチベーションを高める意味でも、僕がこれまで読んだ本の中で、今でも内容を時々思い出してしまうような忘れられない本をいくつか紹介したいと思う。

科学哲学入門―科学の方法・科学の目的 (Sekaishiso seminar)

科学哲学入門―科学の方法・科学の目的 (Sekaishiso seminar)

 

最初は図書館で借りて読んだのだけど、その後手元に置いておきたくて買った本。科学と哲学は一体であり、それまで表面的にしか考えていなかった「科学的に正しい」ということがどういうことか、徹底的に、哲学的なレベルにまで突きつめて考えると何が根底にあるのか、ということを教えてくれた。 この本をきっかけに、科学哲学にハマって何冊か本を読んだけれど、結局最初に読んだこの本が一番まとまっていて分かりやすいと感じた。学部生時代にこの本に出会わなければ、ずっと科学哲学を学ぶことなく研究者になっていたかもしれない。

 

安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書)

安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書)

 

「日本人は(欧米人などと比べて)他人のことを信頼している」というのは勘違いで、「日本人が信頼しているのは、人でなくてルールである」「むしろ欧米人のほうが無条件に相手を信頼している」ということを心理学的な実験と科学的な証拠をもって示した本。「ルールさえ守っていれば快適に暮らせる仕組みが整っているが、ルールを破るものには容赦しない」という社会は、洗練されているとも言えるけれど、裏返すと息苦しさであり、「自分の頭で判断して行動を起こす」という気概が生まれにくい環境に繋がるのではないかと思う。この本は海外に行くといつも思い出す。日本よりはるかに社会のシステムが適当なのに問題なく回っているのは、人を信頼する社会だからなのだと思う。

 

イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」

イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」

 

物事が上手くいくかどうかを決めるのは「良い答え」ではなく「良い問い」であり、「問いを立てた瞬間に勝負は決まっているのだ」という趣旨の本。今となっては自分にとっても当たり前になっている考え方だけど、読んだ当時の自分にとって「解より問いが大事」ということをはっきり言語化してくれた影響はとても大きく、今でも時々思い出す本だ。

 

プロフェッショナル原論 (ちくま新書)

プロフェッショナル原論 (ちくま新書)

 

「プロとしてのあるべき像」を説いた本。会社員時代に「もっと一つ一つの仕事に丁寧に納得いくまで取り組みたいという自分の考え方はおかしいのだろうか?」ということに悩んでいた時に、その考えを肯定してくれて救ってくれた本。あくまで理想を描いたもので、実際にここまでできるような能力や環境に恵まれた人間はほとんどいないだろう、という「プロフェッショナル原理主義」ともいえる内容だけど、いい加減な仕事があふれるこの世界で自分の判断基準がおかしくなってきたときに、「こういうベクトルで仕事をすることは間違ってはいないのだ」ということを確認するために時々読みたい本。

 

「競争力の源は個々の戦略や戦術でなく、その根底にあるストーリーである」ということを、様々な会社の具体的な事例を挙げながら示してくれている本。自分の好き嫌いや目指す方向をはっきりとさせたうえで、それに一貫して取り組むことで差別化要因になるし、短期・部分でなく長期・全体を見据えた戦略を立てることができる。これは経営だけではなく研究でも当てはまることで、安定的に良い成果を挙げている人や研究室は、一連の研究が首尾一貫した独自のストーリーの上に載っていて、効率的・独占的に仕事ができる環境ができていると思う。

 

 これは3年前の記事で触れたやつ青空文庫だけど、今でもたまに思い出す文章。科学は客観的に見えて実は主観的だ。同じ研究対象に対して無数のアプローチができ、同じ結果に対して無数の解釈ができる。実はものすごく自由度が高くて、どのやり方を選ぶかは、自分の主観によって決められる。そういう意味で、科学は芸術みたいなものだと思う。ただ「余計なものを書けない」とか「再現可能性を担保しなければならない」といった科学的なルールが少し厳しく見えるせいで、客観的に見えてしまうだけだ。むしろそういった科学的ルールを当たり前に守れるようになってくると、論文を書くのも小説を書くのと変わらない創造的な仕事になってくる。こういうことを考える度に、この寺田先生の文章を読み返すのだけど、改めて、100年以上前にここまで深くて豊かな思想があったこと、しかもそれが自分が読める文章として残っているということはすごいことだと感じる。