yokaのblog

湖で微生物の研究してます

攻めきったスペイン出張

The Local Pangenomeというワークショップに参加するため、4泊7日の弾丸でスペインのアリカンテに出張に行ってきた。ヨーロッパでここまで短い出張は初めてで、スペインに行くのも初めてで、いつも以上にトラブルにも見舞われ、覚悟はしていたけどそれ以上に壮絶な出張になった。

 そもそもこのワークショップに参加することになったきっかけは、2022年の3月にさかのぼる。今回のワークショップの主催者であり、環境微生物のゲノムの微小多様性の研究の先駆者であるFranciscoに、Metagenomic Forumでのオンライン講演に呼んでもらったことが始まりだった。Metagenomic Forumはコロナをきっかけに、世界中のメタゲノム研究者がオンライン講演してまわるセミナーシリーズで、Franciscoの呼びかけでそうそうたるメンバーが集まっていて、講演内容のビデオの公開もあったので、もともと自分もファンで、参考にさせてもらっていた。なので、自分がmSystemsの論文プレプリントを出したことをきっかけに、ここでその内容を発表して欲しいとFranciscoから直接メールが来たときは驚いたし、こんな人たちに肩を並べて自分も話していいのか?という恐れ多さもあった。もちろん喜んで引き受けて、精いっぱいの講演をさせてもらったのが4月。これをきっかけに、メーリングリストに入れてもらい、様々な情報共有の場に入れてもらうことになった。その中でFranciscoから、コロナの制限が落ち着いてきたのでオフライン版をやりたいのだけどどうか、という提案があって、そこから今回のThe Local Pangenomeの企画に至ることになった。こういう経緯だったので、ワークショップ自体はオープンではあるものの、知り合いを伝ってしかその存在をしるきっかけがないという状況だった。日本でメールを受け取っていたのはおそらく僕だけだったので、それなりに日本の知り合いにも広めたものの、結局のところ日本からの参加者は自分だけで、韓国から発表無しで1名来ていた以外には、アジアからの参加者・発表者も自分だけというアウェーな状況だった。

 実は自分自身も、先月も長期で海外出張に出ていたことや、その他学会や調査の出張などが重なっていることもあって、スペインに行くかどうかはかなり迷っていた。というより、7割くらい行かないつもりでいた。が、Franciscoから直々に声をかけてもらったこともあり、「いけないかもしれないけど、登録だけしておくよ」ということで、(キャンセルしてもスケジュールに負担がかからない)フラッシュトークに申し込んでおいた。ところがその後、事務局から来たメールを読むと、30分のロングトークとして採択されました、と書かれている。その後スケジュールが発表されたのだけど、豪華な名前がならぶ講演者リストに自分の名前も並んでいて、嬉しいながらも外堀を埋められた形で参加を強行したという経緯だ。

 ワークショップは連日19時過ぎまで講演が入っていて、初日の最初の講演が始まる直前に現地に到着し、最後の講演が終わってすぐに現地をでるという、滞在時間よりも移動時間の方が長いクレイジーな旅程だった。なのでとにかく体調を崩さないことを最優先にしたかったのだけど、そもそも出発日の時点で体調が万全ではない状況だった。乗り継ぎが嫌いなので、普段は東京便を使ってでも直行便を探すのだけど、日本からスペインへの直行便はコロナで絶滅していて、ヨーロッパでの乗り換えはロストバゲージの話をよく聞くのでできれば避けたくて(実際、韓国から来ていた人はアムステルダムで荷物が無くなって大変なことになっていた)、そもそも今はロシアの上を飛べなくて乗り継ぐならヨーロッパ経由でなくても時間は変わらないので、色々考えて、大阪から香港経由でマドリードまで行って、そこから高速鉄道で会場のアリカンテに行く経路にした。マドリードからアリカンテへの高速鉄道は、ギリギリもう1本前のでも間に合いそうだったけど、変更可能なチケットにしておいて、もしマドリードに早くつけば直前に変更する考えで予約をした。

 が、初日から誤算で大変な目に合った。香港までは順調に来たのだけど、香港からマドリードの便が50分ほどの遅れ。過去の運行履歴もチェックして遅れがほとんどないことを確認していたのに、運が悪い。電車を1本早くするプランはこれで消えたなと思いつつマドリードに到着したら、こんどは入国審査が大行列。空港から高速鉄道の駅までは電車で20分ほどなので、乗るべき電車を調べつつ並んでいたけど、列が全然進まない。最初は長くても30分待ちくらいかと思ったけど、15分くらい待ったところで1/4くらいしか進んでなくて、これは1時間はかかるぞ、という感じになってきた。そうなると電車には間に合わない。予約変更可能なチケットなので、電車を1本遅らせる手もあったけど、そうすると最初のFranciscoのトークには間に合わない。横には乗り継ぎ時間が少ない人だけが並べるファストトラックがあったけど、電車の乗り継ぎには取り合ってくれないだろうなと、ダメ元で空港の係員にチケットを見せて時間が無いことを伝えたら、「いいよ」って感じですぐに通してくれた。前に並んでいた爺さんに「お前はどっから来たんだ、ずるいぞ」みたいな嫌味を言われたけど、なりふり構わずファストトラックに並ばせてもらい、なんとか入国審査をパス。これでギリギリ空港から高速鉄道の駅までの電車に間に合うはずだった。が、今度は荷物の受け取り所で大変な目に合った。ターンテーブルがたくさん並んでいて、案内板で自分の便の荷物が流れてくるレーンを確認するのだけど、電光掲示板に自分の便の表示がない。その辺を歩いている人や係員に聞いて回るけど、「知らない」「掲示板に載ってなければ無い」「うちの会社じゃないから知らない」という冷たい返事しかなく、もしかしてこの空港には別のターンテーブルフロアがあって、そもそも居る場所を間違えているのか?という可能性も考えだして、右往左往する状況に。空港のオフィシャルな案内所が一番頼りになりそうだったけど、そこも長蛇の列ができていて、一旦並んだけれど、列が一向に進まないので離脱。ターンテーブルフロアの端から端まで3往復くらい走って汗だくになりながら探すけど何も情報が見つからず、そうこうしているうちに、間に合うはずだった最後の接続の電車の時間が過ぎてしまい、絶望的な状況に。諦め半分で空港オフィシャルの案内所をもう一度見ると、列が消えている。猛ダッシュしてチケットを見せて、この便の荷物はどこに来ている、と聞いたら、「8番だよ」と教えてくれた。で、8番のところに行くと「リオデジャネイロ発」との表示がされていたけれど、すぐに自分のスーツケースが回っているのを見つけて回収。たぶん、ターンテーブルが足りなくて次の便の荷物も一緒に回していたのだろうけど、どこにも香港発との情報はなく、これはあまりにも不親切だ。自分はファストトラックで入国審査が早く済んだ方なので、他のほとんどの人もこの後自分の荷物を探すのに同じ目に合っただろう。さて、この時点で高速鉄道の発車時間までは20分をきっていた。Google Mapではタクシーで空港から駅までは15分と出ている。ここまで来て電車を取り直すくらいなら最後の賭けに出ようと決心し、タクシー乗り場に走っていく。またもや長蛇の列が発生しており、さすがに終わったかと思ったけど、タクシーが次々とやってきてすごい勢いで列がはけて、なんとか電車の発車14分前にタクシーに飛び乗った。ぼったくられないように料金を事前確認するが、英語が全く通じない人で、おそらくスペイン語ジェスチャーで31ユーロと言っているのだろうけど、よく確認できないまま飛び乗る。チケットを見せて、「この電車に乗りたいから急いでくれ」というと、頑張ってみる、みたいなジェスチャーで高速を飛ばしてくれた。その間に、タクシーがちゃんと目的地に向かっていること、運賃が31ユーロで間違いないことを、携帯と車内の掲示から全力で情報収集し、すぐに降りられるように信号待ちで現金と急いでくれた分のチップを渡して、なんと空港から11分で駅に到着。残りは3分だ。スペイン語だけど「あの歩道橋が近道だ」みたいなのを言っていたので、それを信じてスーツケースをもって全力疾走。列車案内の電光掲示板が遠くに見えたので、走って近づきながら視力の限りをこらして自分の電車を探す。乗る電車がまだ表示されていて少し安心し、表示された番号のプラットフォームに向かおうとするも、場所が分からない。まごまごしていると、近くを歩いていたお兄さんが方向を教えてくれて命拾い。これでいよいよ電車に乗れるかと思いきや、空港みたいな手荷物検査があって、「ここで引っかかったら最後だ」と祈るが、問題なくパスし、プラットフォームに走り降りて、係員にチケットを見せたのが発車時間ちょうど。汗だくで電車に乗り込み勝利をかみしめた。結局電車が10分くらい遅れて出発して、ここまで焦らなくても間に合ったというオチだったのだけど、放心状態で何もできないままアリカンテまで運ばれた。

 会場とホテルはアリカンテの郊外で、駅から長距離の路線バスに乗るという最後の関門があったのだけど、これは事前リサーチをしっかりしておいたおかげで、チケット購入もバス搭乗も一発で決まって、ホテルに着いたのが開場の1時間前。一息ついて、すぐに会場に向かう。ここまで必死に移動に移動を重ねるだけで、会場の表示を見るまでは自分が正しいことをしている確信が無かったけど、表示を見て初めて「着いた」という気持ちになって安心した。

 着くまでで終わったんじゃないかというくらい疲れたけど、ここからが本番だ。初日からレジェンド級の研究者の講演が続くので、一言も聞き漏らさないように一生懸命聞いた。初日からANI95%とか99.5%とか99.99%とかの話題が前置きなく飛び交う、微生物ゲノムの種内多様性や進化に特化したワークショップだった。こういう国際集会では、何が分かっているかよりも何が分かってないかが知れることが重要だと思っている。最先端の人が「The reason is still unknown」「This is paradoxical」みたいなことを自信満々に言ってくれると「これは本当に分かってないんだ」というのが確信出来て良い。また、こういう理論っぽい研究では、自分の意見を強く持っている研究者が多く、研究者間で意見の相違があってバチバチしているところも見ることができた。「この人結構きつい言い方するな」とか「この人のこだわりポイントはここなんだな」みたいなのが垣間見えるのは面白い。こういう、論文の著者名でしか知らなかった人たちの人間性や関係性が知れるのも、国際会議に参加する意義だと思う。初日の夜のパーティーはさすがにパスして、翌日の自分の発表に備えてホテルに戻ってすぐに休んだ。今回は滞在時間が短いので、現地時間に適応せず、できるだけ日本時間からリズムをずらさずに生活する作戦をとった。

 次の日は自分の発表があって、おそらくこれまでで一番の大舞台なのに、これまでで一番準備に時間を割けなかった国際発表になった。当日の朝に早起きしてリハーサルして、発表時間を大幅に超過していたのでその場で構成を変えた。30分のトークなので通しで練習できたのはその1回だけで、後半はほぼぶっつけでの発表だった。日本語でも英語でも「これを言うのを忘れなければ繋がる」というキーフレーズがあって、それさえ押さえておけば何とかなる、という経験があって、今回もそんな感じでなんとか乗り切った。発表が終わった直後に、複数の場所からたくさん手が上がったのは嬉しかった。質疑が終わった後のコーヒーブレイクでも何人かに質問してもらえて、大御所からランチに誘ってもらったり、海の結果と湖の結果を比べる共同研究を提案されたり、最近読んだ面白い教科書の編者に直接声をかけてもらって本の感想を伝えたり、自分の発表内で使っていた解析ソフトの開発者と話をしてその場で新機能を実装してもらったり、その他色々と論文でしか名前を知らなかった有名人と話ができて、遠くまで来た甲斐があったと思った。この日は19:30までびっちり講演が入っていて、とてもタフだった。もともと体調があまり良くなかったところに疲れも重なって、午後からは喉を壊して声が出なくなってしまった。熱は出なかったけど、その日の夜も大事をとって飲みの誘いは全て断り、スーパーで買った総菜をホテルで食べてすぐに寝た。

 3日目も日本時間にできるだけ合わせるために4時には起きて、溜まったメール処理などをしていた。やっぱり体調が良くなくて、スマートウォッチの異常心拍アラートが頻繁に作動する状況だった。スペインは西側にあるのにドイツなどと同じ時間を使っていて、夏時間が終わる直前のこの時期は朝8時でもこんな感じだ。

暗い中で通勤ラッシュが始まり、暗い中で朝ご飯を食べる。この日は昼に少し時間があったので、アリカンテのシンボルであるサンタバーバラ城を見に行った。頂上からの景色は、日本はもちろん、他のヨーロッパの国とも違った雰囲気の、乾いた山々の景色と海の対比がとてもきれいで、いつまでも見ていられる景色だった。正直、ここにくるまで移動とホテルと会場しかなかったので、この景色をみるまで、夢の中にいるような感じで、スペインに来たという実感が無かった。

本当にスペインにきたのだ、という気持ちがようやく沸いたところで、会場に戻り、最後のセッションが終わったのが19:15。その後20:30からが懇親会だ。始まるのが遅い。日本の感覚だと懇親会が終わる時間だけど、日が昇るのが遅いスペインでは、昼食時間も14時ごろで、日本よりも夜型の生活が普通らしい。体調は万全ではなかったけど昨日よりはよくなっていたので、絶対に早く帰る決意とともに会場に向かった。

 懇親会でとても後悔しているのが、料理を十分に楽しめなかったことだ。それまで機内食とスーパーの総菜とコーヒーブレイクの軽食くらいしか食べてなくて、レストランなどに行くチャンスもなく、ここが唯一本格スペイン料理を楽しめるチャンスだった。生ハムやアヒージョやパエリアをはじめ、美味しい料理が立食形式でたくさん出てきたのだけど、人と話すのに夢中で、きちんと味わえず、見過ごしてしまった料理もいくつかあった。どれも一口食べてとてもおいしかったことは覚えているけど、せっかくの場所なのでネットワークを作ることに必死で、料理を味わうことにももう少し必死になるべきで、もったいないことをした。エストニアで二次会から帰れなくなった二の舞になるわけには行かないので、22:30ごろ、話が途切れたところでそっと荷物をもって、誰とも目を合わさずにしれっと会場を後にしてすぐに寝た。

 最終日も4時に目が覚めた。後で聞いたところによれば、案の定多くの人がこの時間まで飲んでいたらしく、朝はみんなラフな格好でげっそりしていた(それでも9時にちゃんと来るのがすごい)。この日はウイルス関連の話が並んで、Kooninの刺激的で印象的なトークで締めくくられた。環境微生物の種内ゲノム多様性研究の最先端が今どこにあるかを改めて認識できた、期待通りの素晴らしいワークショップだった。自分の研究を多くの人に知ってもらえ、評価してもらえたことも嬉しかったし、最後まで迷ったけどはるばる参加した甲斐があった。最後にFranciscoにお礼を言って、みんなにお別れを言って、すぐに帰路に着いた。アリカンテ滞在時間はちょうど72時間だった。

 アリカンテからマドリードまで再び高速鉄道で戻り、翌朝の飛行機に備えて、マドリード市内に宿泊。週末だったので空いている宿がなかなか見つからなくて、勢いで選んだ安いホテル(それでも東京のビジネスホテル並みの値段)だったので、ちょっと心配だったけど、スーツケースを開いて置けないくらい狭くて、洗面トイレシャワーが占有なのだけどなぜか共用スペースを歩いた先の別の部屋にあるというのを除けば、一応清潔で寝るだけなら問題ない部屋だった。昔アメリカの安宿で南京虫に刺されてひどい目に合ったので、一応シーツを剥がしてチェックして、カバン類は全部棚の上に置いて、念には念を入れて腕や脚に虫よけを塗っておいた。チェックインした後、まだ明るかったので外に出て、主要な広場や王宮などを、暗くなるまでにできるだけ早歩きで見て回った。

ホテルが繁華街にあったので、そこからは渋谷的な場所を通って帰ったのだけど、ちょうどハロウィンの夜で、仮想した人がウロウロしていて、まさに週末の夜に東京の繁華街に来たかのようなすさまじい混雑だった。人混みは嫌いでスリも怖かったので、早々に脱出してホテルに戻り、翌日朝の出発に備えて荷造りをして、寝床についた。

 ホテルの壁が薄くて、夜は何度も近所の部屋に戻ってくる酔っ払いに起こされた。こちらが朝4時に起きた後も、続々と戻ってきていて、そのうち話し声が静かになって、こんどはいびきが聞こえてきた。この日は朝明るくなるくらいのタイミングで、もう1時間くらい外に出る時間がありそうなので、この朝からサマータイムが解除されて新しい時間になっていることを確認しつつ、近所の公園でも散歩しようかと携帯をいじっていたところ、なぜか航空会社から大量のメールが届いていることに気づく。

 これがこの旅の最後を飾るイベントの始まりだった。まず何が起こっているのかを理解するのにかなりの混乱と時間を要したのだけど、まとめると、寝ている間に、乗る予定だった香港便が9時間半遅れること、北京経由の飛行機に振り替えられたこと、さらにその飛行機が仁川経由に再び振り替えられたことを知らせるメールが、次々と送信されていて、月曜日の昼過ぎに日本に着くはずが、月曜日の深夜に着く予定に変更されていた。火曜日は出勤しないといけないし、月曜日の午後には家について荷解きをして一息つける予定だったので、深夜に帰るというのは受け入れがたかった。なんとか代案が無いか、色々調べていると、乗る予定だったキャセイパシフィックと同じ航空連合のフィンエアーで、元の香港便よりも1時間早い出発でマドリードからヘルシンキ経由で関空に帰る接続があって、しかもそれを使えばヘルシンキの乗り換え時間がたった40分で、何なら元の香港便よりも1時間早く日本に帰れることが判明した。このような便利な振替候補があるにもかかわらず提案されなかったのは、おそらく、元の便よりも出発時間が早い便だったためだろうと判断。今すぐに空港に行けば余裕で間に合うし、どのみち早く行かないと振替便の問い合わせでキャセイパシフィックのカウンターは大混雑になるだろうと考え、ヘルシンキ経由への振替を交渉できる可能性に賭けて、すぐに荷物をまとめて、まだ真っ暗な、酔っ払いが転がっている街をスーツケースを引いて駅に走った。

 7:00頃に空港に着いたら、行きのターンテーブル事件を教訓に、すぐに空港オフィシャルの案内所に行き、状況を説明した。すると、キャセイのオフィスが開くのは朝の8時とのこと。ヘルシンキ便が10:20発なので、その時間まで待っていたら、無理ではないけど、ギリギリのタイミングだ。そこで、キャセイのスペイン営業所の電話番号を教えてもらって、いつキャセイのカウンターが開いても一番に入れるように開く前のカウンター前に待機しつつ、そこから電話をかける。が、スペイン語の自動音声が流れて切られてしまった。次に、日本の営業所に電話をしたら、土日は日本語の対応はしていないという自動音声が流れた(おそらくスペイン語でも同じことを言っていたのだろう)あとに、英語なら24時間対応しています、という音声。助かった、と思い、先に進むも、キャセイの会員番号をダイヤルしろという指示で、キャセイ会員でない自分は撃沈。もう少し粘っても良かったけど、国際電話の電話代が爆発するのが怖かったのでそこで電話を切った。次に、英語版のウェブサイトから、WhatsAppの問い合わせ窓口を見つけたので、そこに連絡するも、「お繋ぎの地域からは利用できません」との自動メッセージの返信。終戦かと思ったけど、日本語で調べると、今度はLINEの問い合わせ窓口があることが判明。ダメもとで連絡すると、土日は日本語での対応はやっておらず、英語での対応になります。という自動返信メッセージ。英語なら行けるんか?と思い、状況を説明するメッセージを送るも、的を得ない自動返信メッセージが戻ってきて、ああ、やっぱダメか・・・と思っていたところで、時間差で”This is xxxxx. I will be assisting you today”との人間臭いメッセージが。望みはつながったけど、そんなに期待せずに続きを待っていると、なんとこちらが入力した予約番号から、自分の予約の詳細情報を呼び出して確認してきた。これはいけるかもしれない、と一気に前向きになる。スマホの画面に夢中になってスリに合わないように壁際に移動して、こちらの要求と、向こうが要求する情報を送りまくった。で、トントン拍子に話が進んで、”I am pleased to inform you that I have successfully reissued your ticket on Finnair!”という論文のアクセプトみたいなめっちゃ嬉しい文章が返ってきた。半信半疑でフィンエアーのカウンターに行ってみると、ちゃんと予約が取れていて、あっさりと大阪行きのチケットが発券された。この時の安堵と勝利感たるや。最後はあるとすれば、マドリードを出る飛行機が遅れて、ヘルシンキでの40分の接続に間に合わないパターンだけど、時間通りに問題なく飛んで、ヘルシンキで大阪行きのゲートに着いたところで完全勝利を確信。

帰りの飛行機はぐっすり寝れて、体感で往路の1/3くらいの時間で日本に到着。着陸してすぐに関空から京都行きの電車を調べると、急げばギリギリ乗れそうなはるかがあったので、ここで最後の勝負に出る。荷物受取がボトルネックになることは分かっていたので、焦らず入国審査を済ませ、ターンテーブルの前でパソコンを開いて、オンラインでのはるかの特急券の予約画面に進みながら、自分の荷物が出てくるのを待った。はるかは7,8,9号車が新型車両で電源がついていることが多いので、それを期待して座席指定し、発券直前の画面まで進めて待機。ヘルシンキの接続がギリギリだったから、おそらく荷物を載せたのも最後の方で、だとしたら最初の方に出てくるだろうし、さもなければ、接続に失敗してロストバゲージだろうな、という期待と不安で待った。結果、期待が当たって、priorityの人たちの荷物が出てきた直後に自分のスーツケースが出てきたので、その場でクリックして特急券を購入。急いでパソコンを閉じてターミナルを出て、外国人で大行列ができている券売機(これに並んでしまい乗りたい列車に乗れなかったことがある)を横目に改札を走り抜け、ちょうどやってきた目的のはるかに乗り込んだ。運よく新型車両で、電源付きだった。前日の朝に始まった不運と混乱を帳消しにする完璧なプレーだった。終わり良ければ全て良し、で気持ちよく帰路に着いた。

 あまりにも壮絶な出張だったので、ワークショップと関係ない話をダラダラ書いてしまった。これまでの海外出張経験を総動員してなんとか乗り切ったけど、どこかで少しでもミスっていたら(1分でもタクシーに乗るのが遅かったら、マドリードの駅でお兄さんがプラットフォームを教えてくれなかったら、LINEの問い合わせ先に気が付かなかったら)予定がめちゃくちゃに破壊されていた可能性があるし、体力的にも体調的にもギリギリを攻めて何とか持った(正確には、体調を優先してキャンセルした予定があるので持ってない)感じなので、予定通りに全日程参加して無事に帰ってこれただけでラッキーみたいな感じだ。これを反省に、今度からはさすがにもう少し余裕を持った旅程にしたいと思う。一方で、歳をとって自分が色々と守りに入っている感じに危機感を持っていたので、35歳にもなって、こんな攻めた出張を企画して、アウェーに突っ込んでぶっつけで発表をこなして、これだけのトラブルと戦って生還してくるなんて、まだまだ自分もやれるな、という嬉しさもちょっとあった。

 できるだけ時差をずらさないで過ごしていたおかげか、いつもよりは時差ボケも上手く抑えられている気がする。これからワークショップでとった大量のメモを消化・復習して糧にしなければならない。出張中に放置して溜まっている仕事も色々あるので、通常運転に戻るのにはまだ時間がかかりそうだ。