yokaのblog

湖で微生物の研究してます

創発的研究支援事業に採択されました

「湖間比較で拓く高解像度な生態系多様性研究基盤」という研究課題名でJSTの創発的研究支援事業に採択いただいた。長期で思い切った研究をできる環境を頂けることは本当にありがたい。特に今回「湖」という言葉を課題名に入れて採択を頂いた意義は自分にとって大きい。以前、論文のタイトルに関して同じようなことを書いたけど、「湖」という言葉を入れて研究対象を限定することは、一般性という観点ではマイナスに働くリスクがある。他の採択課題を見ていても、もっとジェネラルでカッコいい課題名がたくさん並んでいるので、課題名をどうするかは結構迷った。それでも「湖」を入れて勝負することを選んだのは、「自分が組み上げてきたこの研究系の可能性をもう少し追究してみたい」という純粋な好奇心を正直にぶつけておきたいと思ったからだ。

 研究は昔も今も面白いのだけど、今までどうしても「評価される論文を書いて生き残る」という気持ちが心の奥にあって、「本当にやりたい、面白いと思えていることをやれているのか?」という自問自答があった。そもそも、自分が面白いと思えることは他にもたくさんあって、湖で研究を続けているのは単なる偶然と非合理なこだわりの産物にすぎないと思っている。そんな中で今自分が持てている「純粋な好奇心」は本物であり、論文になるとか生き残るとか関係なく、心の底から進んでみたいという方向が明確に見えている状況が起きている。この感情と、そこに至るまでに積み上げてきたアイデアと経験と実力を申請書と面接でぶつけてみて、どういう評価が下るのか知りたい・・・というのが応募の動機だった。

 なので今回、「湖」を入れた課題名で採択されたことは、自分のこの考えを認めてもらえて、背中を押してもらえたような気持ちでいる。とくに、採択後の審査員からのコメントで「新しい技術を積極的に取り入れて、他分野の研究者と解析を進めて欲しい」というのがあって、これはまさに自分が力を入れていきたい方向性でもあるし、創発事業の趣旨にもマッチする方向でもあるので、そこに言及してもらえたのは嬉しいし励みになったし楽しみだ。

 以前書いたように、これだけ高額の研究費を、税金から、しかも前払いで助成して頂くというのは大変かつ深刻なことだと思っている。それだけ、重い期待を背負っているのだという気持ちで、しっかりとそれに応えられるように頑張りたい。

丁寧に考えて動く年にしたい

 歳を取るにつれて年末年始の年末年始感が無くなっている気がする。今年も忙殺されていてすでに半月経ってしまって今更だけど、1年を振り返ると、昨年の目標として掲げていた「主著論文を2本以上投稿」は何とか達成できた。もう一つの目標の「大学の先生として尊敬されるに値する仕事をすること」は学生に聞いてみないと分からないけれど、先生としてはこれ以上ないくらいに一生懸命に働いたとは思う。

 去年の今頃の記事でも研究と教育を両立させる難しさ、とくに教育の大変さを感じていたところだけど、その思いは1年たっても変わっていない。学生を教えるのは本当に大変だし難しい。学ぶことも、思うことも、言いたいけど言えないことも、報われないこともありながら、達成感も、世の中の役に立っている実感もあって、有意義ではあるのだけど、それらをじっくり振り返って消化する間もなく時間が過ぎて行ってしまう感じだった。昨年の記事では

とりあえず今は、教育も研究も目の前のことをやれるだけ頑張るがむしゃらフェーズで、大学教員としての自分の経験や成長が一巡するまではそれでよいのだと思っている。

というようなことを書いたけど、もはや「がむしゃら」というよりも、「こなす」「さばく」「消化する」「やっつける」といった言葉のほうが適切な有様だった。

 仕事が多すぎて手が回らない状況が増えてきたからか、人生経験で対処できる状況が増えてきたからか、おそらくその両方が理由だけど、歳を取るにつれて自分の考えも行動も、だんだん雑になっているのではないかという反省がある。やっつけ仕事でもいいからとにかく量をこなす、目の前の仕事をさばく、みたいな働き方とか文化を忌み嫌っていたはずなのに、放っておくと自分もそっちに行ってしまいそうだということに突然気が付いて、これは良くない、と立ち止まって今これを書いている。

 なので今年の目標は、主著論文を1報以上投稿することに加えて、一つ一つの考えや行動にもっと丁寧に取り組むことにしたい。今思えば、ポスドクくらいまでは環境にも心境にもそれなりの変化と刺激が感じられて、もう少し日々に緊張感を保っていられた気がするけど、今や人生は35年目、社会人としては11年目に突入して、「生きること」や「働くこと」自体に慣れが出てきてしまって、以前よりも漫然と毎日を送ってしまっている気がする。そしてこの傾向は、放っておいても加速するばかりで、改善に向かう要素はない。つまり、人生に慣れてどんどん生き方が雑になっていく先には衰退しかない。なのでここで立ち止まって、できるだけこの流れに逆らいたい。自分の子供が、日常の一つ一つの出来事に新鮮なマインドで全力で取り組んで、みるみる成長していくのを見ていると、自分が失ってしまっていた緊張感や、日常から感じられるはずだった豊かさを思い出させてくれ、自分がいかに雑に生きているかを反省させられる。それを見習って、日々の考えや行動を、できるだけ丁寧にして、できるだけ豊かにする。これを心がけ、実践する年にしたい。

琵琶湖・猪苗代湖・中禅寺湖・洞爺湖、国際共同調査

 9月20日から10月4日にかけ、チェコ科学アカデミーのMichaela Salcher博士らの研究グループが来日し、琵琶湖・猪苗代湖中禅寺湖洞爺湖の共同調査を行った。

 Michiのことを最初に知ったのは、10年以上前の学部生の頃だ。当時卒業研究で行っていた、FISH法を駆使した淡水細菌の多様性の研究で、関連文献を調べているとやたらと名前が出てくることからその存在を知るようになった。その頃Michiは学位をとりたてのタイミングだったのだけど、すでに淡水微生物生態学をリードする成果を次々と出していた。当時は面識なく、単に論文著者の名前として存在する人物に過ぎなかった。その後、国際学会のポスター発表で直接話をするチャンスがあって、顔見知りになった。後から聞いた話によれば、自分の論文の査読を引き受けてくれたことがあったらしく、そのこともこちらの存在を知ってもらうきっかけになったらしい。転機になったのは博士課程在学中に当時チューリッヒ大にいたMichiの研究室を2か月半訪問する機会を得たことだ。以降、共同研究者の関係になり、Michiがチェコに移った後も、コロナ前までは年に一度はヨーロッパを訪問していて、これまでに4本の共著論文を出すに至っている。

 そして今回、彼らがグラントを獲得したプロジェクトの一環で、日本の深い湖の微生物サンプルを採りたいという話で声をかけてもらって、受け入れを担当することになった。学部生時代には論文上の存在でしかなかった憧れの研究者を、まさか10年後に自分が日本に招くことになるとは想像していなかった。共同研究者になってからも、いつか日本に呼びたいと思いながら、コロナなどもあってなかなかその機会が巡ってこなかったので、今回の訪問は自分の研究者人生の中でも一大イベントで、とにかく失敗なく調査を完遂しつつ、日本滞在を楽しんでもらいたい一心でとりかかった。

 琵琶湖に加えて、東北・北海道3つの湖を2週間で回り、深水層(80-150 m)の大量採水(40L)を含むサンプリングとそのサンプル処理まで終えるというタイトな計画で、傭船業者の空き状況、悪天候に備えた予備日、新幹線の接続、ヤマトの配達の所要日数等を考慮に入れて日程を組みながら、宿泊とレンタカーを手配して、一日も余裕の無いギチギチのスケジュールが出来上がった。琵琶湖で調査を行ってから新幹線で那須塩原に移動し、そこを拠点に猪苗代湖中禅寺湖を二日連続で調査した後に、新幹線で函館、函館からさらに車で洞爺まで移動し、洞爺湖を調査したら逆のルートで函館から京都まで新幹線で帰るという、3000km以上を陸路で移動するクレイジーな旅程だった。ちなみに、支笏湖・十和田湖調査で青函連絡船に乗ったので、これで北海道へは飛行機、カーフェリー、鉄道の全ての手段で渡ったことになる。

 然別湖で起こったような深層採水システムや濾過システムの故障が起こらないか、予備日で吸収しきれないほど天気が悪い日が続いたらどうしようか、冷蔵・冷凍サンプルや調査機材の配達が予定通りに届かなかったらどうしようか、時間管理をミスって予定通りの新幹線に乗れなかったらどうしようか・・・自分にとってもここまでタイトな調査計画は初めてな中で、自分しかリーダーとして音頭をとれる人がいないという状況で、とにかくドキドキワクワクな2週間だった。案の定、2週連続の台風接近で予備日の半分を消化する状況になったけど、調査が中止になる事態は避けられ、採水システムもトラブルなく、ロジスティクスも全て計画通りに動いてくれて、致命的な失点なく調査を終えることができた。最後、洞爺湖の水を無事に採り終えた後は、安心感で一気に疲れが出て、しばらく動けなかった。

 調査の無事に加えて、彼らをビッグゲストとしてもてなして、関係を深めつつ、日本での経験に満足して帰ってもらうというのも今回の大きな目標だった。こちらも、概ね達成できたと思う。色々な日本食にチャレンジしたいという要望に応えて、連日全力で美味しい店を探して、美味しいものを食べまくった。自然を見たいという要望に応えて、持てる知識と情報と時間を総動員して、海や森や火山を案内してまわった。これ以上の旅は無かったのではないかと思うし、自分自身もとても楽しく充実した2週間だった。

 今回得たサンプルから良い研究成果が得られることが楽しみなのはもちろん、それ以上に、一流の研究者達が日本に来てくれて、友人として楽しい時間を一緒に過ごしてくれたということ、それに応えてほぼ満点の計画ともてなしができたということに、この上ない満足感と達成感が得られた経験となった。先日の然別湖の調査に続いて、「こういうことがやりたかったから研究者になったんだよな」というのを思い出させてくれる、とても楽しい時間だった。

 

然別湖調査

 北海道の然別湖に調査に行ってきた。琵琶湖以外の湖で調査をするのは久しぶりで、今月後半に予定している中禅寺・猪苗代・洞爺湖調査のリハーサル的位置づけの調査でもあった。然別湖は最大水深約98m、標高810mで、自分が研究対象にしている大水深淡水湖(有酸素深水層を有する中~貧栄養の淡水湖)の中では、国内では最も寒い場所に存在する湖だ。北海道の大水深淡水湖では、これまで洞爺・支笏・屈斜路・摩周湖の微生物組成を明らかにしてきたけれど、然別湖はそれらの湖の中間に位置しており系統地理的な観点からもまだ網羅できていないエリアにあるし、完全結氷する2回循環湖という意味でもまだきちんとカバーできていないジャンルの湖だ。今回、共同研究者の調査に誘っていただき採水のチャンスを得た。

 1発目の採水から採水器のトラブルに見舞われ、調査が中断するハプニングがあり多方面に迷惑をかけてしまった。深層の水を採るための電動リールを活用したシステムがきちんと活躍してくれたのが救いだった。同行した研究者にも助けていただいて、何とか予定通りの採水をすることができた。

宿に戻ってからは濾過作業。極限までシンプル化し、大量の細菌サンプルを採集することに特化したコンパクトなシステムにした。然別湖は貧栄養湖で当日の透明度も10mを超えていたけど、思っていたよりも生物量が多かったようで、想定していたよりも早くフィルターが目詰まりしてしまった。

翌日は他の研究者の調査に同行し、船の操船を担当。船舶免許が久しぶりに活躍した。

調査の空き時間に山の方に散歩に行ってみたら、ナキウサギに遭遇する幸運にも恵まれた。

改めて、野外調査は楽しいなと思ったし、そもそも自然の中でこうやって仕事をやりたいから研究者になったんだよな、というのを思い出させてくれる出張だった。湖の調査では、海洋の調査のように装備が充実した船と熟練船員のサポートが使えるわけでは無く、遠隔地の不便な状況の中で、あらゆるものを自分達で手配し、あらゆる事態を想定した準備をしなくてはならない。今回は、自分よりもはるかに湖調査の経験がある猛者達に同行しての調査だったので、湖の状況やメンバーの要望に応じて常にスケジュールやロジスティクスを組みなおしながら進める、その準備の徹底ぶりと柔軟かつ効率な進行にとても感心した。機材の破損や不調が起こると、ドラえもんのごとくすぐに道具が出てきてバックアップ体制がとられる点や、船のエンジンの不調にすらその場にある道具と知識でなんとか対応してしまう場面もあったりして、そのサバイバル能力の高さに強い憧れを感じた。久しぶりに会う人も、初めて会う人もいたけど、地学・物理・化学・生物と分野は異なっても、全員が湖を対象にしていて、湖を愛している。初日から昼夜問わずひたすら湖の話で盛り上がって、ものすごく楽しかった。陸水研究の面白さを改めて感じたとともに、自分もこの文化を引き継ぐ一員になりたいと思った。

 人生も研究も、険しくて先が見えない「冒険」パートこそがその醍醐味だと思っている。湖調査はまさに「冒険」であり、その苦労の結晶として得られた自分だけのサンプルからは、世界で自分が初めて知ると断言できる結果が得られる。久しぶりに冒険心が満たされて満足したとともに、今回得られたサンプルの解析結果を見るのがとても楽しみだ。今月後半の調査もものすごい冒険になる予定で、とてもワクワクドキドキしている。

国際微生物生態学会(ISME18)@ローザンヌ

コロナ以降初の海外渡航で、スイス・ローザンヌで行われた国際微生物学会(ISME)に参加してきた。ロシアの戦争のせいで、行きの飛行機は北極回りで15時間もかかった。グリーンランドの氷河や流氷がたくさん見れた。

ISME自体はモントリオールライプチヒに続いて3回目の参加で、会場の雰囲気はある程度知っていたので、以前のように「とにかく色々行きまくって疲れまくる」ということはしないで、自分の興味に近い発表だけを効率よく回ることができた。というより、帰国前のコロナ検査で引っかかって帰れなくなるのが怖くてできるだけ参加を避けたというほうが正確かもしれない。特にポスターセッションは半数以上がノーマスクかつ三密が完全に揃っていて危険な雰囲気が漂っていたので、一切参加しなかった。ポスターセッションの時間にホテルで一人で食事をとる代わりに、ランチタイムの人がいない時間にポスターを見て回る、という方法で、一応ポスターは一通り目を通せはした。休憩時間に提供されるコーヒーや軽食も手を付けず、恒例の大規模パーティーももちろん参加せずで、自由に楽しめない感じが常にストレスな海外出張だった。


 救いは、今回は口頭発表で採択されたので、自分の研究を多くの人に知ってもらえたことと、その反響が思ったより大きくて、発表後に色々な人に声をかけてもらったり、共同研究に発展しそうな案件も出てきたりしたことだ。また以前書いたように、若い頃と比べて学会に参加する意義として、「情報収集」以上に「同窓会」的な側面が増してきているのは今回も感じた。特にコロナ前は毎年のように会っていたヨーロッパの共同研究者らと久しぶりに対面して、研究の打ち合わせも含めてじっくり話ができたのは、このストレスを乗り越えてでも今回無理やり海外に出てきた意味があったなと思った。それでも遅くまで飲みに付き合うということは今回は避けたので、以前のようなレベルで交流を深めることは叶わなかった。

 案の定、会場で感染してしまった人がそれなりにいたようだ。スイスは完全にコロナ前の生活に戻っていて、もはや感染するかどうかは運の問題でしかないと感じた。自分は結果的に帰ってこれたので、無理しても行って良かったなという感想だけど、結局ほとんどの食事をホテルで一人でとって過ごすことになったし、「周りは楽しんでいるのに自分だけ自由に楽しめない」というストレスが想像以上に大きかったので、海外とのコロナ対策の温度差がもっと縮まるまで、しばらく海外出張はしなくても良いかな、というのが今回の感想だ。

4年の試行錯誤とこだわりの成果

 学振ポスドクとしてやっていたメインの仕事の論文が出版された。つくばから毎月新幹線で琵琶湖に通って、船のトラブルに見舞われながらも、色々な人にサポートしてもらい、なんとか1年通しで調査をやりきった。全サンプルからDNAとRNAを一発でミスなく完璧に抽出できたのも、先進ゲノム支援に採択されてロングリードのメタゲノムに挑戦できたのも当初の予想以上だったし、何よりも、あと1年動きが遅かったらコロナに巻き込まれて研究が中断していただろうと思うと、本当に幸運に恵まれたし、完璧にきまった研究計画だったと思う。

 研究の内容はプレスリリースを出したのでそちらに譲るとして、改めて振り返ると、構想からは5年、研究を始めてからは4年と、かなりの時間を費やした研究になった。調査を始めたのが学位を取得してポスドクになった直後の2018年5月、1年のサンプルを採り終わったのが2019年の4月で、2019年11月までDNA/RNA同時抽出方法の開発で試行錯誤し(これは別論文としてまとめる予定)、得られたDNAをロングリードとショートリード解析に回して、シーケンスデータが出そろったのが2020年の8月。そこからロングリードのアセンブリとゲノム構築を進めるのだけど、初めて扱うロングリードメタゲノムで色々と試行錯誤を繰り返しつつ、京大への異動のバタバタもあって、ゲノム構築まで済んだのが2021年の3月、さらに詳細な解析に踏み込んで論文の骨子が固まったのが2021年の10月頃、その後冬休みに一気に論文を書き進めて、形になったのが2022年2月頃、そこから清書して、共著者とのやり取りも踏まえて最終版を投稿したのが2022年3月になる。

 こうやって列挙すると、それぞれのステップにかなりの時間がかかってしまっているけど、今振り返っても、これ以上のスピードで進めるのは難しかったなというくらいに頑張ってこれだった。特にポスドクから教員になってからは集中できる時間をまとまってとるのが難しくなって、アウトプットが滞っている現状に休日が楽しめなくなるくらい精神的に追い込まれていた。実際、今回の論文のほとんどが、休日や長期休暇を捧げて捻出した時間に一気に集中して書き進めた内容でできている。ので、頑張ったといえるし、これ以上の速度で進める(これ以上の犠牲を払う)のは無理だったと思う。で、ようやく1本出してみたけど、相変わらず「大学の先生はいつどうやって論文を書くものなのか」への答えは分からない。教員の仕事にも慣れてきて色々と見通しがつくようになってきたので、そのうち持続的な方法が見つかると信じたい。

 論文の投稿プロセスは、「自信作だったのになかなか読んでもらえず、やっと読んでもらえたと思ったらあっさり通った」という点で、前々作とほとんど同じ流れだった。まずは前々作同様、PNASに投稿。さすがに今回は査読には回るんじゃないかなー、くらいの自信だった。で、投稿してから1か月弱音沙汰がなかったので、てっきり査読に回ったと思って安心していたら、突然のエディターリジェクト。何がどこまで進んでいたのか全く分からないけど、毎度のことながら、お祈りメールはまともに読んでくれた形跡がない定型文。で、前回同様、固いと思っていたISMEJにもエディターリジェクトされ、Molecular Biology and Evolutionも、mBioも、読んですらもらえずリジェクト。で、どんどん自信が無くなって、「もうどこでもいいからとにかく一度読んでくれよ。読んだら分かるから」という気持ちでmBioからmSystemsにtransferしたら、ようやく査読に回してもらえることに。で、1か月ちょいで返ってきた査読コメントは前々回同様に絶賛系で"I really enjoyed reading this manuscript. It is well-written and clear..."という感じで、あとはちょっとだけ手直ししたらエディター判断で即日アクセプト。前々回同様、まともに読んでもらえるまでが長く、まともに読んでもらえさえすれば価値を分かってもらえる、という経験をした。

 これまでの自分の主著論文はほぼ全て、査読に回ってからはマイナーリビジョンですんなりアクセプトされていて、査読後にリジェクトされたことは一度もない。自分が書く論文は、文章構成も内容も図も時間をかけてしっかり煮詰めてから外に出している自負がある。それは、自分が査読者として他人の論文を読んでいても感じることで、自分の論文の原稿のクオリティは、査読に回る平均的な原稿のクオリティよりは高いだろうと自分では思っている。それが単なる自分の思い込みではないということを、実際に「読んでもらえさえすれば必ず評価される」という経験を何度もすることで実感できていて、自信になっている。

 なので自分にとっては論文は「エディターさえ通ればアクセプトされるもの」になっている。そして、前回の論文の記事でも書いた通り、エディターをパスできるかどうかは相性や運の要素が大きくて、自分の中の論文の評価と全く一致していないと感じている。自分は格の高い雑誌に掲載したいという執念はそんなにないので、別にそれでもよいのだけど、雑誌の格がまだ重要な意味を持っている中で、運や相性の要素がかなり大きいように感じられるのは理不尽だなとも思う。

 一方で、エディターをパスできる確率を高める努力の余地もまだあるのだろうと思う。だけど、それは自分のやりたいことではないとも思う。端的に言えば、「枝葉は捨ててワンメッセージに絞る」「個別具体的感を出さず、一般性の高さをアピる」といったことをすれば、エディター受けは良くなるだろう。例えば、今回の論文のタイトル「Long-Read-Resolved, Ecosystem-Wide Exploration of Nucleotide and Structural Microdiversity of Lake Bacterioplankton Genomes」についても「Viral infection is the major driver of bacterial genome microdiversification in the environment」みたいなタイトルにして、ウイルス要因に絞り込んで深い解析をする方向でも論文は書けただろうし、その方がエディター受けも良かっただろうと思う。それに"lake"という言葉は一気に研究対象を狭めるので、それだけで一気に読者を失いかねない、ある意味NGワードだと思う。でも自分は、琵琶湖に通い詰めて網羅的に調査や解析を行ったその全体像を示したかったし、湖を起点に微生物生態学の研究を展開していくというビジョンにこだわりがあったので、不利になることは承知で、自分がやったことに正直な書き方をすることにした。この辺は自分の不器用なところと言えばそれまでだけど、「別にエディターや雑誌のために論文を書いているわけではないぞ」というプライドもあっての判断なので、それを踏まえて、一応関係者が一通り目を通すであろうレベルの雑誌には載せられたので、あとは引用数で評価してほしいなという感想だ。

 先にも書いた通り、今回の研究ではサンプルからDNAとRNAを同時抽出していて、今回はDNAだけの結果の論文だ。試行錯誤したRNAもこれまた完璧なシーケンスデータが得られていて、これの解析と論文にも(また相当時間がかかりそうだけど)今後着手していく予定だ。今回の研究のキーワードである「高解像度」は、微生物生態学の今後のキーワードでもあるし、自分の研究の今後のキーワードでもあり、武器になりそうな気がしている。高解像度な手法を使うことで、色々と明らかになったこと以上に、面白い課題がたくさん炙り出されてきた。ちょうどこの研究のサンプリングを始めた4年前、

今は登り始めた目の前の道を登るしかない状況になっていて苦しいけど、この山を登り切って一段落着けば、データも知識もスキルも一通り揃って、かなり自由に周りを見渡せるようになっているはずだ。そうしたら、次は安易に目の前の山を登らず、じっくり時間をかけて、「本当に知りたいこと」「一番面白いと思う事」を見つけ出して、無限にある山から、本当に登るべき山を選ぶ作業をやりたい。

というようなことを書いていたけど、4年経って、少しずつその境地に近づいてきたと言えるようになった気がする。

話をしないと現実は見えない

 コロナで失われていた、対面でダラダラおしゃべりできる時間が戻ってきつつある。仕事のオンライン化で移動や会議が短くなったのは良いことだけど、その裏で失われたものも実は結構あって、それが何なのか、これから元の生活に戻っていく中で、徐々に実感することになるはずだ。

 そんな「失われたもの」の中で大きなものの一つが、「ネットに書けない情報の存在を知る機会」ではないかと思う。この世には「思っていてもネットには書けない」ことがたくさんある。というより、書けないことがほとんどだ。しかも、ネット上の情報にはバイアスがかかっている。語りたい人の意見が、語る必要のない人の意見よりもはるかに多く流れてくる。失敗よりも自慢が載りやすく、満足よりも不満が載りやすい。ネットに流れている情報一つ一つは事実であったとしても、そこから現実は見えない。現実の主成分は「ネットに書かれていないこと」だからだ。

 コロナ生活で、見聞きする情報のうちネット経由が占める割合が増えた。しかも、世界がオンライン化してどんどん便利に速くなっていく中で、人に会いに行く時間やダラダラ話す時間を非効率で無駄なものだと排除する傾向が強まっているように思う。自分自身、以前と比べて移動や会話が面倒に感じてしまったり、人の話に興味を持って会話を盛り上げる意欲が以前より薄くなってしまったりしているところがある。

 だけど今、少しずつ他人とダラダラおしゃべりする機会が戻ってきて、この世にはオンラインでは得られない情報や経験がたくさんあることに、改めて気づかされている。ダラダラと長話をする中で、互いにまとまりのない未熟な意見の開陳が始まり、それに対して率直な反応を出し合う過程で、「やっぱり同じように感じていたのか」という安心感があったり、「あまり共感してもらえないな」という意外感があったり、「そんな考え方もあるのか!」という発見があったりする。調子に乗って「言い過ぎて失敗した」と思うこともあったりするけど、その時の空気の緊張感や、それを乗り越えて学ぶことも、ダラダラおしゃべりでなければ得難い経験だ。会話の内容だけでなく、他人とお互いに時間と空間と話題を共有するという体験そのものも、現実を成し、人生を成していると思う。

 コロナ生活が2年を超えて、元の世界が想像できなくなるほど長い時間が経ってしまった。変わって良かったこともあるけど、努力して元に戻していかなければならないものもある。現地に足を運び、人に会って、「ネットに書けないこと」を直接見聞きしない限り、現実は見えないことは忘れてはいけない。