yokaのblog

京都大学で湖の微生物の研究してます

歳をとると感情は減るのか増えるのか

  1. 感情的なのは幼くて良くないことである
  2. 感情は、理解と現実の間のギャップに説明がつけられないときに発生する
  3. 歳をとると、知識や経験の蓄積によって「説明できること」が増える
  4. だから歳をとると、理解と現実の間にギャップがあっても、それに自分の頭の中で説明をつけて納得することで自己消化ができることが増える
  5. なので歳をとるとどんどん感情的になることは減っていく
  6. そうなると、精神的に安定して、悩みや苦しみや争いは減る。一方で、感情から得られる刺激や成長も減ってしまって寂しい
  7. でもこれが残念ながら歳をとるということなんだろう

20代後半くらいから、ずっと↑このように考えていたのだけど、最近↓このようなロジックもあるなということを思うようになった。

  1. 全く同じモノを見聞きしても、人によって捉え方は異なる
  2. 捉え方の違いは、見聞きしたモノに説明をつけるための経験や知識の違いで生じる
  3. だから歳をとると、経験や知識の蓄積によって、同じモノを見聞きしても、より高解像度で捉え、より多くの情報が得られるようになる
  4. なので歳をとると「今まで気付かなかったこと」にどんどん気が付くようになる
  5. 新しく気が付くものには、自分の経験や知識で説明できないものも含まれている
  6. 説明できないとき、そこに理解と現実のギャップが生まれ、感情が生じる
  7. なので歳をとっても、感情的になれる機会はまだたくさんある

ただし後者のロジックが成り立つのは、

歳をとって蓄積される経験や知識を、理解と現実のギャップを埋める説明に使うだけではなく、理解を超えた現実を捉えるために積極活用する

というのが実践できている場合に限る。

 子供が、自分がもう意識しなくなっている身近で些細な出来事に新鮮な気持ちで向き合っているのを見ると、「人生に慣れて感情が減る」効果を実感する。一方で、子供が気にも留めない一瞬の出来事に、自分の経験や知識が突然結びついて嬉しくなったり腹が立ったりすることもあって「解像度が上がって感情が生まれる」効果を実感する。自分は「人生ではできるだけ多くのことを考えたり経験したりしたい」「知らなくて良いことなどないはずだ」という思想で生きているので、知識や経験の蓄積を肯定しつつも、「歳をとると感情が減ってつまらなくなる」という不安を解消するこのロジックは心地が良い。ぜひ実践して確度を高めていきたい。

2026年5月 琵琶湖調査

昨日、新「はす」号になってから初めての琵琶湖調査に行ってきた。新船デビューにふさわしい好天・無風の調査日和だった(毎年この時期は桟橋のイネ科花粉がすごすぎて呼吸困難になるのを除けば)。

ひとまわり大きくなった船、造船所で見たときは前の船から大きく変わったような印象だったけど、実際に乗ってみると、思ったよりも違和感が無くて、いつもの感じで調査ができた。作業スペースの形状がかなり変わったので、ここは慣れが必要だと思うけど、大きくなって揺れにくくなってスピードも上がったし、何よりもキャビンが広くて空調付きで、より快適に調査ができそうだ。色々と機材も一新されていて、湖の調査船としてはかなり大規模なものや先端的な装備もついているので、今回は単なる採水だけだったけど、いずれは「この船でしかできない調査」もできると良いなと思う。

湖はものすごく穏やかだったのだけど、アンカーを打っているのにものすごい速さで水が南に向かって流れていて、こんなのは見たことが無かったのでびっくりした。前日の強い南風で北に吹き寄せられた水が戻っているのだろう。そのうち「琵琶湖の北端と南端でゲノム解像度で微生物集団の違いが見られるのか」というを検証してみたいなと思っていたのだけど、これだけ速く水が動くなら、微生物は水平方向にはかなり混ざっていてあんまり差はないのかも、と思ったりした。一方で湖なのに海の潮目みたいになっている場所もあったりして、プランクトンとか魚の集まり方は水平方向に結構ばらつきがありそうだと思った。やっぱ陸水物理っぽい話は結構好きかもしれない。最近色々とうまく行かないことが多くて疲れていたので、久しぶりの調査でとても癒された。

 

創発RA(月額上限20万円) 大学院生を募集しています

 現在採択いただいているJST創発的研究支援事業の中で、大学院生(修士・博士課程)をRAとして雇用(月額上限20万円)できる枠があり、ただいま2027年度春から研究に参画してくれる学生を募集しています。

 RAとして給与を出すからには創発プロジェクトに関連する研究を進めてもらう必要がありますが、簡単に言うと、湖の微生物の大規模ゲノムデータを使って、環境中の微生物の多様性・生態や、ゲノム・遺伝子の進化的背景を明らかにする、という研究で、大規模データが出発地点にありさえすれば、テーマはかなり幅広く設定が可能です。

 「ビッグデータを扱う生物学をやりたい」という方にはかなりマッチする研究内容ではないかなと思っています。対象の生物は細菌とウイルスがメインですが、真核微生物も一部扱っています。なので、「環境中のウイルスに興味がある」「植物プランクトンが好き」といった生物起点の興味で、ゲノムデータを使って切り込みたいという方にもお勧めできます。1種類の生物や遺伝子をとことん深堀りするスタイルでも、多種横断的データを俯瞰的に眺めて新発見を炙り出すスタイルでも、どちらでも研究できます。もちろん、「高解像度データを使って集団遺伝学的な研究をしたい」とか「湖間の比較で環境中の遺伝子の動態や系譜を紐解きたい」とか「時系列データでウイルス防御システムの進化を捉えたい」とか「環境微生物ゲノムの可塑性を調べあげて種の境界の定義に挑戦したい」みたいな、具体的な興味で来てくださる方も歓迎です(あんまりいないと思いますが)。

 対象の環境については「湖」という縛りがありますが、必ずしも湖に興味が無くても良くて、むしろ「湖」という環境の特性を活かすことで、より一般的な問いに答えられないかというモチベーションで研究しています。例えば天然の閉鎖的生態系である湖を、それぞれ「進化実験のフラスコ」のように捉え、互いに対象区(control)や反復(replicate)とみなして相違点や類似点を炙り出すことで、近年に起こった進化や遺伝的ボトルネックを容易に検出できます。また湖は季節的変化が激しいのに再現的であるというのもポイントで、環境変化に対するゲノムや遺伝子の応答をクリアに観察できるという面白さもあります。簡単に言うと、他の環境(海や土壌など)よりも生物学的なパターンが明瞭に観察されやすいために、先導的な研究に取り組みやすい、というのが、湖を対象にする面白さであり、強みであると思っています。そうした点に興味をもっていただけるなら、湖が好きである必要は必ずしもないかなと思います(こう言う私ももともとは海の研究をしたいと思っていました)。

 ただやはり、大自然の中で苦労して自分の手で採ってきた微生物サンプルから研究をスタートさせられるというのは、この研究の醍醐味だと思っていますので、できれば湖の調査や、得られたサンプルからの核酸抽出やシーケンス解析も経験してもらいたいなと思っています。最近の調査の様子については以下の記事を参考にしてください。湖の調査は信じられないほど楽しいです。

 対象とする「ビッグデータ」の詳細はここには書ききれないですが、日本各地の湖で採り進めているオリジナルの微生物メタゲノムデータがメインで、一部の湖ではロングリードデータやメタトランスクリプトームデータもあります。さらに国際共同研究や公共データベースから取得した、世界各地の湖から得られた同様のデータとも横断的解析が可能な状態に整備してあります。さらにメインフィールドとしている琵琶湖では、8年以上にわたる長期時系列メタゲノムや、シングルセルゲノム解析のデータなどもあります。こうして多様なサンプルから多様な技術で得られた大規模湖環境ゲノム情報を、様々な切り口で解析をして論文を発表してきました。以下にその一部を示します。

まだ得られたデータのほんの一部しか発表できておらず、まだまだ無数に切れそうな切り口があるのですが、とても解析しきれないので、ぜひ創発RAの枠組みで、一緒に研究しませんか、というのがこのお誘いです。

 研究環境はトップクラスのものが揃っています。まず、京都大学化学研究所のスパコンシステムの潤沢な計算資源が利用可能です。スパコンには豊富かつ最新のバイオインフォマティクスツールやデータベースが維持管理されていて、サーバーのメンテを自前で行っている研究室も多いことを考えると、とても恵まれた環境かと思います。湖の調査やデータの利用に関しては、国内外のネットワークを使った機動的な研究が可能で、国内では主要な大水深淡水湖はほぼカバーしていて、特に琵琶湖では京大生態研との共同研究にてちょうど代変わりして2026年度進水となる最新の調査船を利用して自由度高く調査ができます。

▲ 研究対象としている国内の大水深淡水湖

 国外では世界中の湖の微生物調査を進めているヨーロッパの研究者らと主に共同研究進めていて、サンプルやデータを共有しながら国内外の湖の比較解析に取り組んでいます。相互訪問共同調査も頻繁に行っていて、日本を拠点にしながらも、日本代表あるいは日本支部のような形で国際的な研究の枠組みに積極的に参画しています。この点では、国際的交流に積極的で、英語を使いたい、海外に行きたい、というモチベーションが強い方が望ましいです。

 私自身は学生時代から一貫して湖の微生物生態学に取り組んできたので、湖に生息する微生物やプランクトンについて熟知しており、生物の特性を踏まえた解析や解釈のアドバイスができます。プログラミングやバイオインフォマティクス解析は勉強してもらうことになりますが、私自身も実験系出身でインフォ解析については学生時代に独学で苦労しながらここまでたどり着いた一人なので、基礎的なことに関してはつまづきポイントも踏まえながら指導できると思います。ただ、どんどん新技術や新ツールが登場する進歩の早い分野なので、「言われたことをやる」とか「教えてもらう」という姿勢ではなく、自分で論文をどんどん読んで新しいやり方に挑戦していくような気概がないと、良い研究にするのは難しいかなと思います。

 ここまで大規模データ解析の話ばかりしてきましたが、湖の微生物の分離培養株を用いた実証的研究にも力を入れており、まだ論文発表は無いものの、科研費等の支援を受けて現在進めている仕事がいくつかあります。「ドライで得られた仮説をウェットで検証する」というのが一番かっこいいスタイルだと思っていて、そのような進め方に賛同いただけるなら、分離株を利用した研究まで取り組める培養環境や実験環境も整っています。是非挑戦してほしいです。

 ちなみに、私はまだPIではないので、創発RAとして来ていただくことになる場合は、私の所属する微生物生態進化学分科(緒方研)を受入先として出願し、京都大学理学研究科の入試を突破してもらう必要があります。

研究室全体では湖以外の研究をしている研究者や学生が多数派ですが、ほぼ全員が微生物やウイルスのバイオインフォマティクス解析に取り組んでいるという点では、知識や技術はほぼ共通なので、その点では学生間や教員とも情報交換しやすい環境だと思います。あとはこのブログにも何度か書いていますが、所属先を選ぶときに一番大事なのは「何をやるか」よりも「誰とやるか」だと思っています。研究室に限らず、サークル・バイト先・会社、どこでもそうですが、必ず対面で会って現場を見て、「この人たちと長く一緒に働けそうか」というのを一番の判断基準にしてもらいたいと思っています。それは、教員の立場から学生をみる場合も同じです。ですので、ご興味を持っていただけたとしても、必ず一度は研究室に見学に来て見てもらってから決めていただきたいです。なお、修士で来られる場合は、創発RA支援の規定により、博士課程まで進学する前提での支援となるので、その点はご承知おきください。また当然ですが、創発RAの枠に収まらない人数や研究内容となる場合は支援をお約束できないこと、大学院入試は通常通りに勉強して突破していただく必要があることもご理解下さい。あと、私自身もそうですが、会社員から博士課程に編入学して研究したい方も歓迎です。学問はもっと気軽に志せるものであって欲しいと思っています。

というわけで、ご興味のある方のご連絡をお待ちしております!質問や見学希望などあれば、まずはメールでコンタクトいただければと思います。修士で来られるか博士で来られるかにもよりますが、院試の出願時期に余裕を持ってご連絡ください。

2026年琵琶湖初め

昨日は2026年初の琵琶湖調査だった。

今回は完全に鉛直混合する前のほぼ混ざりかけの水を採りたかったのだけど、温度躍層がちょうど50mくらいで、狙い通りの時期に行くことができた。今回はRNAサンプルの採集もあったので、久しぶりに採水器直結のろ過システムを稼働させ、船上瞬間凍結(ドライアイス+エタノール)を行った。

冬の嵐が来る前のとても穏やかで最高の調査日和。あまりにも平和なので、調査が終わった後はすべての機器を止めて、無音の湖上をしばらく楽しんだ。暖かくて比良山の雪もだいぶ溶けていたけど、今週でまた真っ白になりそうだ。

生態研の琵琶湖調査船、老朽化で今年度いっぱいで引退が予定されていて、来年度から新船がやってくる。もしかするとこの船での調査は最後かもしれない。はじめて乗ったのは学部生時代の琵琶湖実習だっただろうか。もう18年くらい前の話になるけど、沖島や沖の白石に連れて行ってもらったことをよく覚えている。そこから学部・修士・博士・ポスドク助教とずっとこの船にお世話になり、国内外の共同研究者を乗せての共同調査も何度もやって、たくさんの論文を出してきた。特に印象に残っているのが2018年の夏の出来事だ。この時はつくばでポスドクをしていて、毎月新幹線で琵琶湖に通って調査をおこなっていたのだけど、調査地に向かっている湖上でエンジンから異音が出て調査が中断に。最寄りの港に緊急着岸して、調査を楽しみにして同乗してくれていた共同研究者と失意の中陸路で帰る羽目になった。船は重症だったようでしばらく使えず、毎月続けてきた調査の継続が危ぶまれたのだけど、たくさんの人に助けてもらって、滋賀県のびわかぜやはっけん号にもお世話になり、なんとか調査を継続することができた。やり直して1年ずれていたらコロナで終わっていただろうし、この時のサンプルで何本も重要な論文を出すことができた。これは本当に幸運で、琵琶湖の神と研究者ネットワークに感謝している。色々な思い出が詰まった船で名残惜しいけど、NHKワールドの番組でも使ってもらってたくさん記録も残してもらったし、また振り返りたいと思う。大変お世話になりました!

1週間フルで休んでみて味わった絶望

↑これを書いたのももう2年前か・・・と思ってよく日付を見たら去年の1月だったことに気が付いた。それくらい、去年は忙しくて長く感じたということかもしれない。

今年の目標は、「やりたいことを減らすのをやめる」にしたい。

と書いたけど、宣言通り昨年はちゃんと、これをずっと頭の中において過ごすことができたと思う。仕事も私事も、「AかBか迷うくらいならAもBも両方」というのをできるだけ実践するようにしてきたし「やらないのが一番楽」という気持ちにはできるだけ流れないように頑張ってきた。仕事を振り返ると、冬から春にかけてなんとか論文を形に仕上げ春はいろいろ欲張りすぎて徹夜寸前まで追い込まれ夏は念願の摩周湖調査を実現し秋は学会ラッシュのカオスでバタバタしている間に一瞬で過ぎ去った。仕事以外では、3月に次女が産まれたのが一番大きくて、あとはジムで体を鍛えだしたり、釣りで巨大マグロと格闘して敗北したり。仕事と家庭と健康と趣味を全部充実させるべく、公私とも予定を詰め込み続けた1年だった。

 そのなかでもハイライトが、秋の学会ラッシュのあとの11月にとった「夏休み」だ。ここでほぼ半年ぶりに1週間ほど空けられそうな期間があって、一昨年までの自分だったらここぞとばかりに書きかけの論文を仕上げにかかっていたところだったけど、先の記事に書いた「仕事で人生を終わらせてはならない」という気持ちのもとで、あえてここで1週間まるまる休みをとって、最低限のメールチェックを除いて仕事以外のことに全振りすると心に決めて、本当の休暇をとった。これが本当に充実していて楽しくて「自分には仕事以外にも今しか過ごせない時間や今しか楽しめないことがたくさんある」というのがよく分かったし、久しぶりに長期間仕事を離れたことで頭がちゃんとリフレッシュできたのも実感できた。ただその一方で、

1週間フルで休んだとしても、自分がやりたいと思っていることはほとんど消化できないんだな

ということを身をもって感じて、絶望というか、考え方を変えないといけないんだなと感じた。「今できる限界まで時間が使えた感覚があるのに、それでも全然足りない」という「絶望」は、仕事のほうではすでに2年前に味わっていたわけだけど、仕事以外のことに対しても、今回同じような絶望を味わうことになった。自分がやりたいことも、今しかできないことも、本当に無限にありすぎて、1週間だとほとんど何もできない。むしろ、中途半端に手を付けたことによる不完全燃焼感がストレスにもなったりした。でも、休みがもう1週間あっても、もう1か月あっても、きっと同じなんだろうなと思う。つまり、永久に満たされることはないのだと悟った。

 何週回って同じところに戻ってきているのか・・・という感じだけど、「やりたいことを全部やるのは絶対に無理」というのを受け入れつつ、「色々やりたいという気持ちは絶やしてはならない」というのと両立させるのは、やっぱり難しくて辛い。でも、そこにちゃんと突っ込んでこの辛さを味わっているという点では、「やりたいことを減らすのをやめる」という今年の目標は達成できたと思っている。今回の絶望を味わうことができたのも、忙しい中しっかりと休みをとったからこそのことなので、その点では収穫としてとらえている。

 歳をとるほど、仕事も家庭も状況が複雑になる一方で、若いころのように無茶できなくなるし、そんな中でも趣味は最低限続けたいというわがままがある。なので「やらなければならないこと」と「やりたいこと」の種類は減ることなく、どんどん増える。「量」だけではなく「種類」が多いというのが苦しみポイントだ。その結果、1つ1つにほとんど時間をかけることができない。仕事であっても、家族との時間であっても、健康維持の運動であっても、趣味であっても、「乗ってきた」と思ってきたところでの途中中断ばかりで、あれもこれも不完全燃焼だ。次にやっと時間ができたと思っても、不完全燃焼させて湿らせてしまった炭に再び火をつけるかのような不毛な再開コストを払うところから始まるのでとても効率が悪いし、何かを「極める」というレベルになかなか到達できなくなった。解決方法は「やることを絞ってそこにリソースを全振りする」に決まっているのだけど、「やりたいことを減らしてはならない」という縛りで生きているので、それはできない。だから、今のところ解決策は見つかっていない。

 しかし、若かりし頃はもっと哲学的なことに悩んでいたはずなのに、ここ数年の悩みはずっと、時間の使い方とかワークライフバランスとかの現実的なことばかりになっている。悩むということは、「言葉による説明がつけられていない」ことと同義だと思っている。言葉で説明がつくことであれば、それで納得ができるので悩む必要はない。悩んだり感情的になったりするのは、起きていることと自分の理解や理想との間のギャップを埋める説明が存在しないために、そのギャップを処理しきれなくなることで起こる。まさに今の自分は、ワークライフバランスに関する理想と現実のギャップを埋めるうまい説明の言葉が見つからないために、このことに苦しんで悩んでいる。

 多分若かりし自分が哲学的なことに悩んでいたのも、人生の経験値が浅いがために、身の回りのことにうまく説明がつけられないことが多くて、それに自分なりに解説をつけて納得したいという動機が大きかったのだと思う。ただそうだとしても、不完全燃焼に苦しむ今の自分からすると、哲学的なレベルで悩み、図書館で哲学の本を借りて読み漁るほどに深く考えていたし、考えずにはいられなかったし、考える時間があった、かつての自分をとても羨ましく思う。人生の経験値がたまって、いろいろなことに説明がつけられるようになり、感情的になることがどんどん減っている中で、時間まで無くなってしまって、もうああいう次元で何かを考えるような動機もチャンスも二度とないのかもしれないと思うと残念だ。歳を取るってそういうことなんだろう。

 さていつもここに書いている1年の目標はどうするべきか。「時間の使い方で悩むのを止める」と言いたいところだけど、この悩みは解決しないというか、「やりたいことを減らしてはならない」という縛りで生きる限りは解決できないことだと思うので、多分1年後も悩んでいると思う。でもいい加減このことばかりで悩んでいるのも疲れたので、目標は「時間の使い方以外の何かで悩む」というのにしたい。それが何かは分からないけど、時間のことばっかり考えていて、それしか見えてなくなっている気がするので、これを目標に掲げることで、それ以外のことを考えるきっかけにしたい。なんとなく、世代間ギャップだったり、人付き合いのあり方だったりで、まだ説明がつけられてなくて悩みの種になりそうなことがあるような気がしている。論文のほうは、筆頭で年1本は堅持しつつ、できれば2本、コレスポや共著あわせて7-8本くらい出せるとうれしい。

年上が楽しそうにしているのを見るのは楽しい

 今年度から先進ゲノム支援に採択いただき、その班会議に出席するため、横浜に今年最後の出張に行っていた。同支援に採択された全国の研究者が研究の進捗を紹介する場だったのだけど、これがあまりにも刺激的で楽しすぎて打ちのめされた。内容はクローズドの約束なので詳細はここには書かないけど、まぎれもない最先端の人たちがまぎれもない最先端の研究を紹介しまくる、というのが、ショートトークとポスターぎっしり、昼食も夕食もセミナーしながらという濃密な2日間のスケジュールに詰め込まれていて、息つく暇もないまま脳がオーバーフローして帰ってきた。オミクス界隈、特に医学に近い分野では技術的最先端はすごいことになっているし、全然自分はキャッチアップできてなかったなと感じた。最近Twitterを見なくなったことも、あんまり自分が先端的な話をフォロー出来なくなっていたことの理由だったりするのかなと感じて、ノイズ情報が多すぎて辛いけど、目を通すくらいは時々やったほうがいいのかもしれないなと思った。前も書いたけれど、このような集会に参加する意義として、「どこまで分かっているか」よりも「どこからが分かっていないか」を知ることのほうが重要だと思っていて、最先端の人が「ここにいま挑戦中」というの教えてくれるのはとてもありがたくて、今回はそういう話がたくさん聞けてとても勉強になったので、本当に参加してよかったと思った。

 でもここで言いたいのは、発表の内容が良かったという話だけではない。それよりも良かったのは、発表者がみんな生き生きと楽しそうに自分の研究を紹介していたことだ。学会でもみんな楽しそうでよいのだけど、今回は参加者の分野が多様で、厳密な研究成果の報告というよりはショートトークやポスターの短時間で自由に研究紹介することが求められていたことと、PIクラスの話が上手い人ばかりだったこともあって、普段の学会以上にみんな楽しそうに話していた。さらにポイントは、自分は採択者の中では比較的若いほうで多くの人は年上だったということだ。この「年上の人たちが楽しそうにしている」というのは、仕事環境を選ぶうえでの最上級の指標だと思っていて、これが実現できているのは、ものすごく幸せで恵まれたことだと思っている。年上をみて、歳をとってもまだ楽しいことがたくさんありそうだと思えるのは、とても楽しいことだ。会社を辞めて研究に戻ってきてまだ日が浅いころに、最先端の人たちと鳥肌を立てあえる研究って楽しい、ということを書いたけど、ほぼ10年たった今もその感想は変わっていないし、10年後も変わっていないんじゃないかなと思う。そういうことを改めて確認できたという意味でも、今回はとても意義深い出張になった。

休日でもやりたい仕事ができて楽しい

 以前もここに書いたし、リアルでも何度も言っていることだけど、「休日でもやりたいと思えるくらい楽しいことを仕事にできて幸せ」ということをずっと思っているし、自分が会社を辞めて研究の世界に戻ってきたのも「休日でもやりたいと思えることを仕事にしたい」というのが大きな理由だった。その結果夢は実現し、むしろ毎日やりたいことをやっている休日みたいになってめちゃくちゃ楽しくて幸せな反面、休みと仕事の境目がなくなってしまって、「放っておくと休日も仕事をしてしまうので仕事以外のことにもちゃんと人生を使わないといけない」とか「休日に仕事ができる人は羨ましい」とかいう以前とは違う次元での考え事が出てくるようになった。研究に戻ってきて10年が経ち、もはや自分にとって「仕事が楽しすぎる」のは当たり前のことになってしまっているけど、かつての自分の境遇やそこで見てきたことを思い出せば、これは全く当たり前のことではなく、ものすごく恵まれていることで、感謝しないといけないことだし、研究に戻ってきた当初の感動を忘れてはいけないという気持ちを、時々新たにする。

 インターネット上ではネガティブで扇動的な情報ばかり拡散して、満足している人はわざわざ発信をしないので、ネットの情報ばかり見ている学生は往々にしてアカデミアに対するネガティブな情報で染まっている。なのでせめて自分が対面で学生に話すときは、この仕事のポジティブな面を積極的に語らないといけないと思っていて、この「休日でもやりたいと思えることが仕事にできていてお給料貰えるの最高すぎる」という話を時々する。が、最近この話を別の研究者にしたところ「休日に仕事」とか言っている時点で、ホワイト労働志向の今の学生からしたらドン引きなのでは?という意見をもらった。「ああ、そっちの方向に受け取られるのか」とびっくりしたのだけど、確かにそうかもしれない、当たり前に理解されるとは思っていてはいけない、とも思った。

 おそらくこのギャップの根源にあるのは、「選んだ仕事は辞めるまでずっとやり続けないといけない」という事の重大さへの理解度の差だと思う。中学高校大学大学院と自動的にステップアップして環境が変わる未来が見えていた学生時代と、10年20年上の先輩がいて、辞めない限りはそこに居続けることになる就職後の人生の見え方は全然違う。なので「休日でもやりたい思える仕事ができるのは素敵なことだ」にドン引きする学生も、いざ就職して、「自分はこの仕事/職場に人生の大半を注ぎ続けなければならない」ということを身をもって実感したときに、その本当の意味を理解してくれるんではないかと思っている。もちろん、それを実感したうえでも「休日でもやりたい仕事とか意味わからん」という意見のままでいるならそれもありだと思う。

 こういうことで自分の中で説明がついて納得できたので、引き続き、例えドン引きされるとしても、「休日でもやりたいと思える仕事ができて研究者サイコー」という話はし続けたいと思う。