yokaのblog

湖で微生物の研究してます

丁寧に考えて動く年にしたい

 歳を取るにつれて年末年始の年末年始感が無くなっている気がする。今年も忙殺されていてすでに半月経ってしまって今更だけど、1年を振り返ると、昨年の目標として掲げていた「主著論文を2本以上投稿」は何とか達成できた。もう一つの目標の「大学の先生として尊敬されるに値する仕事をすること」は学生に聞いてみないと分からないけれど、先生としてはこれ以上ないくらいに一生懸命に働いたとは思う。

 去年の今頃の記事でも研究と教育を両立させる難しさ、とくに教育の大変さを感じていたところだけど、その思いは1年たっても変わっていない。学生を教えるのは本当に大変だし難しい。学ぶことも、思うことも、言いたいけど言えないことも、報われないこともありながら、達成感も、世の中の役に立っている実感もあって、有意義ではあるのだけど、それらをじっくり振り返って消化する間もなく時間が過ぎて行ってしまう感じだった。昨年の記事では

とりあえず今は、教育も研究も目の前のことをやれるだけ頑張るがむしゃらフェーズで、大学教員としての自分の経験や成長が一巡するまではそれでよいのだと思っている。

というようなことを書いたけど、もはや「がむしゃら」というよりも、「こなす」「さばく」「消化する」「やっつける」といった言葉のほうが適切な有様だった。

 仕事が多すぎて手が回らない状況が増えてきたからか、人生経験で対処できる状況が増えてきたからか、おそらくその両方が理由だけど、歳を取るにつれて自分の考えも行動も、だんだん雑になっているのではないかという反省がある。やっつけ仕事でもいいからとにかく量をこなす、目の前の仕事をさばく、みたいな働き方とか文化を忌み嫌っていたはずなのに、放っておくと自分もそっちに行ってしまいそうだということに突然気が付いて、これは良くない、と立ち止まって今これを書いている。

 なので今年の目標は、主著論文を1報以上投稿することに加えて、一つ一つの考えや行動にもっと丁寧に取り組むことにしたい。今思えば、ポスドクくらいまでは環境にも心境にもそれなりの変化と刺激が感じられて、もう少し日々に緊張感を保っていられた気がするけど、今や人生は35年目、社会人としては11年目に突入して、「生きること」や「働くこと」自体に慣れが出てきてしまって、以前よりも漫然と毎日を送ってしまっている気がする。そしてこの傾向は、放っておいても加速するばかりで、改善に向かう要素はない。つまり、人生に慣れてどんどん生き方が雑になっていく先には衰退しかない。なのでここで立ち止まって、できるだけこの流れに逆らいたい。自分の子供が、日常の一つ一つの出来事に新鮮なマインドで全力で取り組んで、みるみる成長していくのを見ていると、自分が失ってしまっていた緊張感や、日常から感じられるはずだった豊かさを思い出させてくれ、自分がいかに雑に生きているかを反省させられる。それを見習って、日々の考えや行動を、できるだけ丁寧にして、できるだけ豊かにする。これを心がけ、実践する年にしたい。