yokaのblog

湖で微生物の研究してます

休日が難しい

 会社員だった頃は「平日こんなに働いているんだから休日など働いてなるものか!」という気持ちで、土日は躊躇なく趣味や旅行に費やせていたのだけど、研究に戻ってきてからは、不本意な罪悪感があって、思い切って休みを楽しむのが難しくなっている。

 自分は今やりたいことをやっていると思う。忙しくしているけど、それは全部自分で決めたことで、自分のペースで進めている。「やらなければならない」と思っていることがたくさんあって、なかなか思っていたようなペースで進んでいないのも事実だけど、それは全て自分が意味があると信じていることで、そのプレッシャーが精神的な苦痛になることはない。もし土日がなかったとしても、僕は健康的に自分の意志で淡々と仕事を進めていると思う。

 だけど実際にはこの社会には「平日と土日」という曜日の別がある。そして僕には研究以外にもやってみたいことや、過ごしてみたい時間、行ってみたい場所が色々ある。常々、多趣味だと「やりたいけど出来ないこと」が増えるから不幸になる、ということを考えるのだけど、実際に色々とやってみたいと思う事があるのだから、この気持ちはどうしようもできない。そこで土日になるたびに「せっかくの休日なのに」という気持ちが芽生える。平日モードになっていた脳みそにとって「土日」は本当に邪魔な存在だ。「人生は仕事だけではない。今やらないと一生できないことばかりだ」という気持ちと「今の仕事をし続けるのに遊んでいる場合ではない」という気持ちがぶつかり合って、気が重くなる。結果、「土日」という、ただカレンダー上の文字の色が違うだけの日が来る度に、仕事をしていても、遊びに出かけていても、モヤモヤした気持ちで過ごしている。

 僕は研究は自営業みたいなものだと思っているけど、本当の自営業の人から「何年も休みなんかないし旅行なんか絶対無理」という話を聞いたことがある。やっぱりそれくらいやらないとダメな世界にいるのだろうか。「命懸けで仕事をしたい」という気持ちで、会社を辞めて将来の見えない世界に飛び込んできて、実際に命懸けで仕事をしている気分でいた。でも、休日をそれなりに楽しんでしまっている今の自分は全然甘くて、他のやりたいことを全て封印して打ち込むようなレベルで命懸けにならないと、この命懸けの世界では生き残れないのかもしれない。

 「カレンダーの色なんかどうでもいいから、働きたいときに働いて、休みたいときに休めばいいじゃん」というのはその通りだと思う。僕もそう思っていた。でも、仕事と趣味、どちらも同じくらいやりたいことがたくさんあるのに、時間の流れ方は全然違っていて、その折り合いを自分の意志でつけるのはとても難しい。今、土日になる度にモヤモヤして過ごしているけど、もし土日がなければ毎日モヤモヤして過ごさなければならなかっただろう。平日を平日にするために、やっぱり土日は必要なのだろうと思う。

 これからも「やりたいけどできないこと」はどんどん増えていくはずで、それが嫌だから、少しずつ「やりたいこと」を減らす努力をしている。けどそうしている自分自身も嫌で、土日に遊び倒していた頃に比べて活動的ではなくなってしまった自分に気が付いて、歳をとってしまったなと感じる。贅沢で傲慢だけど、あの「土日にまで働いてなるものか!」という気持ちで、金曜日の深夜の酒臭い満員電車で帰るワクワクを久しぶりに味わってみたいと思ったりもする。