yokaのblog

湖で微生物の研究してます

4年の試行錯誤とこだわりの成果

 学振ポスドクとしてやっていたメインの仕事の論文が出版された。つくばから毎月新幹線で琵琶湖に通って、船のトラブルに見舞われながらも、色々な人にサポートしてもらい、なんとか1年通しで調査をやりきった。全サンプルからDNAとRNAを一発でミスなく完璧に抽出できたのも、先進ゲノム支援に採択されてロングリードのメタゲノムに挑戦できたのも当初の予想以上だったし、何よりも、あと1年動きが遅かったらコロナに巻き込まれて研究が中断していただろうと思うと、本当に幸運に恵まれたし、完璧にきまった研究計画だったと思う。

 研究の内容はプレスリリースを出したのでそちらに譲るとして、改めて振り返ると、構想からは5年、研究を始めてからは4年と、かなりの時間を費やした研究になった。調査を始めたのが学位を取得してポスドクになった直後の2018年5月、1年のサンプルを採り終わったのが2019年の4月で、2019年11月までDNA/RNA同時抽出方法の開発で試行錯誤し(これは別論文としてまとめる予定)、得られたDNAをロングリードとショートリード解析に回して、シーケンスデータが出そろったのが2020年の8月。そこからロングリードのアセンブリとゲノム構築を進めるのだけど、初めて扱うロングリードメタゲノムで色々と試行錯誤を繰り返しつつ、京大への異動のバタバタもあって、ゲノム構築まで済んだのが2021年の3月、さらに詳細な解析に踏み込んで論文の骨子が固まったのが2021年の10月頃、その後冬休みに一気に論文を書き進めて、形になったのが2022年2月頃、そこから清書して、共著者とのやり取りも踏まえて最終版を投稿したのが2022年3月になる。

 こうやって列挙すると、それぞれのステップにかなりの時間がかかってしまっているけど、今振り返っても、これ以上のスピードで進めるのは難しかったなというくらいに頑張ってこれだった。特にポスドクから教員になってからは集中できる時間をまとまってとるのが難しくなって、アウトプットが滞っている現状に休日が楽しめなくなるくらい精神的に追い込まれていた。実際、今回の論文のほとんどが、休日や長期休暇を捧げて捻出した時間に一気に集中して書き進めた内容でできている。ので、頑張ったといえるし、これ以上の速度で進める(これ以上の犠牲を払う)のは無理だったと思う。で、ようやく1本出してみたけど、相変わらず「大学の先生はいつどうやって論文を書くものなのか」への答えは分からない。教員の仕事にも慣れてきて色々と見通しがつくようになってきたので、そのうち持続的な方法が見つかると信じたい。

 論文の投稿プロセスは、「自信作だったのになかなか読んでもらえず、やっと読んでもらえたと思ったらあっさり通った」という点で、前々作とほとんど同じ流れだった。まずは前々作同様、PNASに投稿。さすがに今回は査読には回るんじゃないかなー、くらいの自信だった。で、投稿してから1か月弱音沙汰がなかったので、てっきり査読に回ったと思って安心していたら、突然のエディターリジェクト。何がどこまで進んでいたのか全く分からないけど、毎度のことながら、お祈りメールはまともに読んでくれた形跡がない定型文。で、前回同様、固いと思っていたISMEJにもエディターリジェクトされ、Molecular Biology and Evolutionも、mBioも、読んですらもらえずリジェクト。で、どんどん自信が無くなって、「もうどこでもいいからとにかく一度読んでくれよ。読んだら分かるから」という気持ちでmBioからmSystemsにtransferしたら、ようやく査読に回してもらえることに。で、1か月ちょいで返ってきた査読コメントは前々回同様に絶賛系で"I really enjoyed reading this manuscript. It is well-written and clear..."という感じで、あとはちょっとだけ手直ししたらエディター判断で即日アクセプト。前々回同様、まともに読んでもらえるまでが長く、まともに読んでもらえさえすれば価値を分かってもらえる、という経験をした。

 これまでの自分の主著論文はほぼ全て、査読に回ってからはマイナーリビジョンですんなりアクセプトされていて、査読後にリジェクトされたことは一度もない。自分が書く論文は、文章構成も内容も図も時間をかけてしっかり煮詰めてから外に出している自負がある。それは、自分が査読者として他人の論文を読んでいても感じることで、自分の論文の原稿のクオリティは、査読に回る平均的な原稿のクオリティよりは高いだろうと自分では思っている。それが単なる自分の思い込みではないということを、実際に「読んでもらえさえすれば必ず評価される」という経験を何度もすることで実感できていて、自信になっている。

 なので自分にとっては論文は「エディターさえ通ればアクセプトされるもの」になっている。そして、前回の論文の記事でも書いた通り、エディターをパスできるかどうかは相性や運の要素が大きくて、自分の中の論文の評価と全く一致していないと感じている。自分は格の高い雑誌に掲載したいという執念はそんなにないので、別にそれでもよいのだけど、雑誌の格がまだ重要な意味を持っている中で、運や相性の要素がかなり大きいように感じられるのは理不尽だなとも思う。

 一方で、エディターをパスできる確率を高める努力の余地もまだあるのだろうと思う。だけど、それは自分のやりたいことではないとも思う。端的に言えば、「枝葉は捨ててワンメッセージに絞る」「個別具体的感を出さず、一般性の高さをアピる」といったことをすれば、エディター受けは良くなるだろう。例えば、今回の論文のタイトル「Long-Read-Resolved, Ecosystem-Wide Exploration of Nucleotide and Structural Microdiversity of Lake Bacterioplankton Genomes」についても「Viral infection is the major driver of bacterial genome microdiversification in the environment」みたいなタイトルにして、ウイルス要因に絞り込んで深い解析をする方向でも論文は書けただろうし、その方がエディター受けも良かっただろうと思う。それに"lake"という言葉は一気に研究対象を狭めるので、それだけで一気に読者を失いかねない、ある意味NGワードだと思う。でも自分は、琵琶湖に通い詰めて網羅的に調査や解析を行ったその全体像を示したかったし、湖を起点に微生物生態学の研究を展開していくというビジョンにこだわりがあったので、不利になることは承知で、自分がやったことに正直な書き方をすることにした。この辺は自分の不器用なところと言えばそれまでだけど、「別にエディターや雑誌のために論文を書いているわけではないぞ」というプライドもあっての判断なので、それを踏まえて、一応関係者が一通り目を通すであろうレベルの雑誌には載せられたので、あとは引用数で評価してほしいなという感想だ。

 先にも書いた通り、今回の研究ではサンプルからDNAとRNAを同時抽出していて、今回はDNAだけの結果の論文だ。試行錯誤したRNAもこれまた完璧なシーケンスデータが得られていて、これの解析と論文にも(また相当時間がかかりそうだけど)今後着手していく予定だ。今回の研究のキーワードである「高解像度」は、微生物生態学の今後のキーワードでもあるし、自分の研究の今後のキーワードでもあり、武器になりそうな気がしている。高解像度な手法を使うことで、色々と明らかになったこと以上に、面白い課題がたくさん炙り出されてきた。ちょうどこの研究のサンプリングを始めた4年前、

今は登り始めた目の前の道を登るしかない状況になっていて苦しいけど、この山を登り切って一段落着けば、データも知識もスキルも一通り揃って、かなり自由に周りを見渡せるようになっているはずだ。そうしたら、次は安易に目の前の山を登らず、じっくり時間をかけて、「本当に知りたいこと」「一番面白いと思う事」を見つけ出して、無限にある山から、本当に登るべき山を選ぶ作業をやりたい。

というようなことを書いていたけど、4年経って、少しずつその境地に近づいてきたと言えるようになった気がする。

話をしないと現実は見えない

 コロナで失われていた、対面でダラダラおしゃべりできる時間が戻ってきつつある。仕事のオンライン化で移動や会議が短くなったのは良いことだけど、その裏で失われたものも実は結構あって、それが何なのか、これから元の生活に戻っていく中で、徐々に実感することになるはずだ。

 そんな「失われたもの」の中で大きなものの一つが、「ネットに書けない情報の存在を知る機会」ではないかと思う。この世には「思っていてもネットには書けない」ことがたくさんある。というより、書けないことがほとんどだ。しかも、ネット上の情報にはバイアスがかかっている。語りたい人の意見が、語る必要のない人の意見よりもはるかに多く流れてくる。失敗よりも自慢が載りやすく、満足よりも不満が載りやすい。ネットに流れている情報一つ一つは事実であったとしても、そこから現実は見えない。現実の主成分は「ネットに書かれていないこと」だからだ。

 コロナ生活で、見聞きする情報のうちネット経由が占める割合が増えた。しかも、世界がオンライン化してどんどん便利に速くなっていく中で、人に会いに行く時間やダラダラ話す時間を非効率で無駄なものだと排除する傾向が強まっているように思う。自分自身、以前と比べて移動や会話が面倒に感じてしまったり、人の話に興味を持って会話を盛り上げる意欲が以前より薄くなってしまったりしているところがある。

 だけど今、少しずつ他人とダラダラおしゃべりする機会が戻ってきて、この世にはオンラインでは得られない情報や経験がたくさんあることに、改めて気づかされている。ダラダラと長話をする中で、互いにまとまりのない未熟な意見の開陳が始まり、それに対して率直な反応を出し合う過程で、「やっぱり同じように感じていたのか」という安心感があったり、「あまり共感してもらえないな」という意外感があったり、「そんな考え方もあるのか!」という発見があったりする。調子に乗って「言い過ぎて失敗した」と思うこともあったりするけど、その時の空気の緊張感や、それを乗り越えて学ぶことも、ダラダラおしゃべりでなければ得難い経験だ。会話の内容だけでなく、他人とお互いに時間と空間と話題を共有するという体験そのものも、現実を成し、人生を成していると思う。

 コロナ生活が2年を超えて、元の世界が想像できなくなるほど長い時間が経ってしまった。変わって良かったこともあるけど、努力して元に戻していかなければならないものもある。現地に足を運び、人に会って、「ネットに書けないこと」を直接見聞きしない限り、現実は見えないことは忘れてはいけない。

博士課程は最低年収よりも最高年収を上げるべき

 日本で博士課程に進学する人がどんどん減っていてマズいということで、博士課程学生の生活を金銭的にサポートする制度が増えてきて、良いことだと思う。自分が学生の頃は、博士課程で給料をもらおうと思ったら学振特別研究員ほぼ一択だった。それも採択率20%程度で、もし通らなければ無給なうえに授業料も払わなければならず、奨学金という名の借金を膨らませながら研究生活を送るしかない。貧すれば鈍するで、お金の余裕の無さは心の余裕の無さに直結する。金銭的問題が博士課程進学をためらう大きな理由になっていることは間違いなくて、その声がようやく政策に反映されて状況が変わりつつあるのは明るいニュースだ。

 一方で個人的意見として、この政策が博士課程進学を迷う優秀な学生を引き止める効果はそんなにないと思っている。なぜなら貰える金額が、一般的な民間企業や公的機関に就職した場合の給与に対して比較にならないほど低いままだからだ。新制度によるサポートはいずれも、学振特別研究員と同等かそれを下回る金額だ。つまり、サポートを受けられる人数は増えたものの、「どんなに頑張っても『年収240万円 - 授業料 & 社会保険なし』が頂点である」という状況には変わりがない。東京で一人暮らしだと、ギリギリの生活だ。博士課程でも活躍間違いなしの優秀な学生が民間企業に行けば、その2~3倍はすぐに貰えるようになる。それとの比較に耐えうるレベルの待遇を用意できなければ、優秀な人たちが去っていくのを止めることはできないだろう。

 もちろん原資は税金であり、大学の研究は民間企業と違って利益を上げているわけではないので、同レベルの待遇は現実的に不可能だ。なので「とにかくお金が大事」という考えの人はそもそも博士課程進学には向いていないと思う。一方で、自分が追究したい学問に打ち込めるのならば、待遇のことは多少差し引いて考えても良いという気持ちの人も多いはずだ。ただ今の博士課程への待遇は、本当に研究が好きで向いている人であってもなお、そこを割り切ることができないほどに悪い。

 「では来年から博士課程学生の待遇を改善して、最低年収400万円にしましょう」となればすぐにでも問題は解決するだろうけど、あらゆるものが縮小・衰退しつつある国の現状で、そのような状況はまず起こりそうにない。限られた財源のなかで最低年収が設定されたとすれば、採用人数が激減して、悪名高い「選択と集中」路線をとるしかない。急成長期であり、ポテンシャルの塊である博士課程学生への投資にあたっては、広く浅くの方針で裾野は広くしておくべきだ。

 じゃあ限られた財源の中でどのような打ち手があるのか。自分が効果的だと思うのは、最低年収ではなく、最高年収を引き上げることだ。つまり、広げる予定だった裾野をほんの少しだけ削って、それをごく一部に集中的に投資する。例えば1人の採用枠を削ってその分を1人に追加で与えることで、これまでの2倍の年収480万円の採用枠を作ることができる。採択率は1%、つまり学振特別研究員20人に1人とかでもよいと思う。重要なのは、このような枠が存在するという事実自体、つまり「どんなに頑張っても年収240万円がMAX」という状況を無くすことだからだ。たとえ可能性が低くても、「頑張れば高く評価してもらえる可能性がある」かどうかで、気の持ちようは全然違う。1%の採択率に可能性を感じてチャレンジするのが上位10%くらいに位置する学生だとすれば、博士課程でも民間企業でも活躍間違いなしの優秀な学生を抜群の費用対効果で引き止めることができるのではないだろうか。

 類似のやり方は、ポスドクの特別研究員(PD)ではすでにSPDやCPDのような形で存在していて、これらはとても良い制度だと思っている。同じことを博士課程学生相手にやることは、政策としてもすでに検討されているに違いないので、未だに採用されていないということは、何か弊害が考えられるということなのだろうか。裾野を広げるのは良いことだけど、「どんなに頑張っても240万」のまま裾野をこれ以上広げても期待されているような効果はないだろうと感じているので、是非前向きに検討して欲しい。

申請書に壮大なストーリーは要らない

 科研費若手に内定をいただいた。今年の申請書は、落ちてしまった昨年の申請書と比べると、3割くらいの時間で書いた、ある意味手抜きの申請書だ。

 手抜きをしたのは、単にポスドク時代よりも忙しくなって申請書に割ける時間が無くなったこともあるけど、それ以上に、昨年ダメだった理由を考えた結果「大きなことをやろうとしすぎた」のが原因だったという結論に至ったからだ。難しいことは考えず、極限までシンプルにして、極限まで分かりやすくする。それだけで良かったのではないか。研究のスケールを追究して複雑になるよりも、単刀直入に1つの分かりやすい問題に取り組む。そういう内容の方が評価されるのではないか。この方針に切り替えてから、立て続けに申請書が2本採択され、さらに今回科研費も採択され、その考えを確信するに至っている。

 具体的には、昨年の申請書は、大きな問題を細かく漏れなく切り分けて、切り分けられた各課題をさらに複数の仮説に切り分けて、その検証を積み上げながらゴールを目指すような内容だった。一方で今年の申請書は、最初から小さな具体的な問題にフォーカスして、そこに一本道で迫っていくような内容で書いた。そして、後者の方が採択された。

 つまり、複雑で緻密で壮大なストーリーを頑張って考えて制限文字数に収める努力や時間は必要なかったということだ。むしろ努力を払うべきは、いかに話を極限までシンプルに分かりやすくするか、という点だ。もちろん話をシンプルにするのも簡単ではなく、「解決すべき課題は何なのか、そこにどうアプローチすべきか」が完璧に整理しきれていないとできない。でもそれは、普段から勉強して研究していれば、自然に整理されてくるものだと思う。今年の申請書も、普段からずっとやりたいと思っていたことを思っていた通りに書いたので、あまり時間をかけないでシンプル化することができた。

 当然、研究費の助成対象や規模によっては当てはまらない場合もあると思う。けど、科研費若手の規模であれば、壮大なストーリーは心の中にとどめておくべきもので、申請書に書くべきものではない、というのが今の結論だ。

休日にやりたすぎる仕事も問題である

 「休日にもやりたいと思えるくらい好きなことを仕事にしたい」というのが、自分が会社員を辞めた大きな理由の一つだった。研究者になって、今は正真正銘、休日にもやりたいと思える楽しい仕事をしている。毎日が休日といっても良いくらい、本当にやりたい事しかやってない。これはとても楽しいし、幸せなことだ。

 一方で休日と平日の区別が薄くなったことで、休むためにはカレンダーの日付の色ではなく、自分の心の中での線引きが必要になった。自分はもともと多趣味人間なので、「休日にやりたい趣味が多いと『やりたいけどできないこと』が増えて不幸になるので、趣味を減らしていく努力をしなければならない」ということに以前は悩んだりしていた

 趣味も人生の大事な一部だと考えていたので、「趣味のリストラ」はなかなか受け入れがたい、長くて苦しい課題になるだろうなと思っていた。ところが、良いことなのか悪いことなのか(自分は悪いことだと信じている)自分でも想像していなかった方向でこの課題は解消されてしまっている。端的に言えば「休みの日に仕事がしたい」が行き過ぎて、それと戦っていたはずの「休みの日に(一人で)遊びたい」という感情がほとんど無くなってしまった。家族がいるので昔と違って休日に一人になれる時間があまり無いというのはもちろん大きい。一方で、一人の時間が貴重だからこそ、その時間は思いきり趣味に投じたいという気持ちになると思っていた。だけど今は、休日に手に入った自分の時間は、体力維持のための運動を除けば、すべてを論文書きに投じている。趣味に時間を使いたいという気持ちは今はほとんどない。

 かつて熱中していた趣味にこれだけあっさり興味がなくなってしまうのは寂しいことだけど、ここまでなら、自分一人の問題なのでまだ良い。良くないと思っているのが、休日を休日として過ごしている時間は全て論文を書く時間を削って捻出しているという感覚になってしまっていることだ。家族と過ごしている時間も、「割に合うように」できるだけ有意義に過ごしたいと考えてしまい、段取りが悪いことが起こるとイライラしてしまうことがある。これは明らかに不健康な状況だ。

 幸いにも原因は大体わかっていて、今ほどの状況はいつまでも続くものではないと考えている。論文を1年以上投稿できてないこと、その後ろに控えている論文にできてないデータが過去最高に溜まっていることに加え、年度末を控えて論文以外の仕事も忙しくなっていること、そんな中でも比較的自分自身の仕事に充てられる時間が貰えたにも関わらず思ったように進められなかったことが重なって、とにかく心が焦っていることが理由だ。そもそもこうやって時間の無さを言い訳にし、休日も犠牲にしながら、事実として進んでいないこと自体が、自分の無能さと効率の悪さを露呈しており、余計にイライラしてしまう。

 最近、昔ほどブログを書かなくなった理由として、忙しくなったこと以上に、「ブログは自分の心に説明がつかないときに説明をつけるために書くもの」であり、経験値が溜まって「ブログにしなくても頭の中で説明がついて消化できてしまう」ことが比較的増えたことが大きかった。ところが最近、うまく説明できない心の変動が多く、続けて更新してしまった。書いてみてわかったことは、焦りが原因であり、ひとまず論文を書き上げれば心が落ち着くだろう、ということだ。もう少し時間をかけないと終わらなさそうだけど、ゆっくりと趣味に時間を投じられる日を楽しみに頑張りたい。

大学の先生の本分は研究ではなく教育である

何を当たり前のことを言っているんだという話だけど、「大学の先生は研究者ではなくて先生なのだ」ということを改めて感じている。ある程度は想像していたけれど、当初の想像をはるかに超えて、学生を教える仕事は重要だし大変だし、本気で取り組むべきものだと感じている。想像を超えていた理由は色々とあるけど、学生に期待すべきものを自分が見誤っていたというのが一つだと思う。学生とは上下関係を排して対等に接するべきだと考えていたけど、そうではなく、むしろ自分が前に立って積極的に導かないといけない。先生の立場で学生に期待すべきは意見や成果ではなくまず成長であり、成長の先に成果や意見があるのだと思う。また導くべき強さや方向は十人十色であり、ユニバーサルな正解は存在しない。そこまで見通せていなかったという意味では、教育者となる自覚と覚悟が足りていなかった。

 研究より教育が本分であることをどう捉えるかは人によって違うだろう。研究は世界最先端との戦いだ。そこに人生を賭して本気で取り組みたいのであれば、大学ではなく研究所に行くのが正解なのだと思う。自分自身も、研究を志して、研究を究めたくてここまでやってきたという気持ちがもともと強かった。だけど、この1年で教育者として得た経験はあまりに新鮮で強烈で、仕事に対する自分の考えが揺らぐ衝撃を受けている。そして今も、毎日のように新たに学んだり感じたりすることがあって、この先自分の考えがどこに着地するのか見えていない。

 少なくとも今は楽しめている。日々新しい経験ができること自体が単純に面白いし、その経験に対して自分がどう考え、どう変わっていくのかを体験することも楽しい。自分は教育は嫌いではないし比較的向いている方だと思う。一方で、研究でもまだまだ成果をあげたくて、持てる全てを研究に投じて出来るだけ先に行ってみたい気持ちもどこかにあるはずだ。「どこかにあるはず」と言ったのは、今はその気持ちを「自分の考え方が大きく変わる過渡期である」という理由で押し込めていて、どこにあるのか分からないからだ。

 とりあえず今は、教育も研究も目の前のことをやれるだけ頑張るがむしゃらフェーズで、大学教員としての自分の経験や成長が一巡するまではそれでよいのだと思っている。幸いにも、教育も研究も尊敬できるレベルで本気で取り組んで両立させている、ロールモデルともいえる先生が周りにたくさんいるので、自分の考えがどんどん変わっていく中でも、今の方向を信じて進むことに不安はない。ただ、今の考えの進化が落ち着いて、自身を冷静に見られるようになったとき、一体何を感じるのか、「どこかにあるはず」と思っている気持ちが本当にどこかにまだあるのかは分からなくて、先が読めなくて怖いと思うところもある。

 研究者として求められるものと、教育者として求められるものは、あまりに違うと思う。自分は研究のプロとしては経験を積んできたけど、教育のプロとしての経験はない。ポスドクから大学教員になって、会社で言えば職階が上がったくらいの変化だと考えていたけど、実際には業界を変えて転職をしたくらいの気持ちでなければならなかった。こういう環境が変わった後の急激な考え方の変化は、味わっているときにしか味わえず、じわじわと慣れて無くなって思い出せなくなってしまうものなので、今しっかり味わって、記録しておきたい。

 

2021年の感想:大学の先生はとてもすごい

2021年は大学教員として過ごす最初の1年だった。コロナで例年のやり方やイベントが無くなったままなのでまだ仕事の全体像を掴めた感覚が無いのが残念だけど、ようやく自分のペースが作れるようになってきて、自分が教員であることに慣れてきた。教員になるにあたり一番心配していたのが、自分の研究時間(主著論文の仕事に取り組める時間)がどれくらい減るのか、ということだったけど、これに関しては、ポスドク時代に比べて3-4割くらい減った印象だ。正直もっと減ることを覚悟していた(期待値を下げておいた)ので、不満度はあまり高くない。むしろ、一般的な大学教員と比較して授業や学務の負担は少なく、実際に研究以外の仕事をかなり堰き止めてもらっている実感があるので、恵まれた環境だと思っている。

 ただやはり、絶対的な研究時間が減った分、ポスドク時代と比較して研究のパフォーマンスは確実に下がった。また研究時間が減っただけでなく、研究に使える時間が分断化されることも難しい問題だった。1日中自分の研究に使える日はなかなか無くて、多様な仕事の合間の細切れ時間をかき集めて研究を進めなければならない。時期によるムラも大きくて、休暇シーズンにまとまった時間が取れて一気に研究が進むこともあれば、1カ月以上データや原稿に触ることが叶わなかった時期もあった。実際、今書いている論文の解析と執筆も、その大半が去年の冬休みと今年の夏休みに一気に進めたものだ。複雑なメタゲノムデータの解析やその論文書きには、高い集中力と膨大な一時記憶が必要になる。なので、作業時間が分断されると、どうしてもその都度、元の集中力や記憶を復元するための時間がかかってしまい、減った時間以上にパフォーマンスは削られる。

 そんなわけで、今年の目標としていた年内の論文投稿は叶わなかった。2020年度までは年1報のペースで主著論文をpublishし続けてきたけど、2021年度はとうとう主著論文無しの年になってしまいそうだ。分野によって論文が出る速度が違うとはいえ、もっと競争的な分野でもっと多くの論文を出している先生もたくさんいる中で、自分は比較的恵まれた環境にいるという自覚がありながら、思ったようにアウトプットが出せないということについては、1年を通してストレスを抱えていたし、未だに大学の先生はいつどうやって論文を書くものなのか、答えが見つからないままでいる。

 では減った時間はどこに消えてしまったのだろうか?自分の研究以外の時間に何をやっていたか、改めて考えてみると、(1)広義では自分の研究といえる時間、(2)研究室の学生を指導している時間、(3)それ以外の仕事をしている時間、の3つに分けられるのかなと思う。

 (1)については、研究費の申請書執筆、査読、学会等での発表、共著論文の解析や原稿の確認などが含まれる。これらはポスドク時代にもやっていたことだけど、件数が格段に増えた。これらは自分の業績になる(可能性のある)仕事なので、研究活動の一環として楽しんでやれているし、ちゃんと本気で取り組みたいというモチベーションもある。ただ、もう少し主著論文を書きたいと思っているところなので、色々と声をかけてもらってチャンスが増えるのは良いことだけど、取捨選択を少し考えないといけない時期に来ていると感じる。(2)は後述するけど、一番時間を使っていて、難しく、やりがいのある仕事だと思う。教育は教員の本分だし、学生の研究成果が論文になれば(1)と同じく広義では自分の研究業績にもなりうる仕事なので、これも全力で取り組まなければならない。(3)は研究室のロジ、学務、講義の時間が含まれる。これらも教員の本分としてやらなければならないのは承知しているけど、正直に言えば、少なくとも今の自分にとって、時間を使うべき優先順位は(1)や(2)が上で(3)はその次とすべきでないかと思っている。感覚的には(1):(2):(3)=3:4:3くらいの比率で時間を使っていて、(1)や(2)に少しでも時間を回すために、(3)はできるだけ効率化して「やらなくて済むことはできるだけやらずに済ます」方向に進めたい。

 で、先に書いた通り、この中で一番大変で難しいのが、(2)の学生の指導だ。単刀直入に言えば、自分が想像していた以上に学生は未熟で、教えるのが大変だというのがこの1年で痛感したことだ。学生がヘボいということを言いたいわけではない。自分自身も同じ年頃は相当に未熟だったし、単に年齢と経験が足りないというだけなのだと思う。また未熟な分、そこからの成長スピードとポテンシャルはとても大きくて、それを見極める難しさも痛感している。学生からすれば、研究室に来る前までは小中高校生の延長のような生活をしていたのが、研究室に入って突然社会人的振る舞いが求められるのだから、それは未熟で当然で、伸びしろがあって当然だ。ただ、自分もそうであった時代からあまりにも時間が経って、色々なことが自然にできるようになりすぎてしまっているので、当時の自分を想像して学生の目線に立つのがとても難しい。この、社会の入口に立つまでの激動の数年をサポートする大変さと責任の重さは想像を超えていた。またその悩みを先輩教員に相談するなかで、世の大学教員が学生を理解し、育てることにいかに多大かつ繊細な苦労を注いでいるのかを知って、ますますその思いを強くしている。

 行き先がアカデミアの内外かを問わず、人を育てて送り出すという、社会にとって不可欠な役割を大学教員は担っている。「大学の先生」なのだから当たり前のことだけど、これまで大学教員の研究者としての側面ばかりに光を当てて見ていたので、その仕事の大変さと責任の重さを感じながら、「大学の先生はとてもすごい」という気持ちを日々新たにしている。しかも、それだけでも十分にすごいのに、それを世界最先端の研究成果をあげながらこなしている。だから大学の先生はとてもすごい。これが、仕事面で2021年を総括する感想だと思う。

 2022年は、今年の不作を取り戻すべく、主著論文を2本以上投稿すること、それから、この「とてもすごい大学の先生像」に少しでも近づいて、大学の先生として尊敬されるに値する仕事をすることを目標に頑張りたい。