yokaのblog

湖で微生物の研究してます

休日にやりたすぎる仕事も問題である

 「休日にもやりたいと思えるくらい好きなことを仕事にしたい」というのが、自分が会社員を辞めた大きな理由の一つだった。研究者になって、今は正真正銘、休日にもやりたいと思える楽しい仕事をしている。毎日が休日といっても良いくらい、本当にやりたい事しかやってない。これはとても楽しいし、幸せなことだ。

 一方で休日と平日の区別が薄くなったことで、休むためにはカレンダーの日付の色ではなく、自分の心の中での線引きが必要になった。自分はもともと多趣味人間なので、「休日にやりたい趣味が多いと『やりたいけどできないこと』が増えて不幸になるので、趣味を減らしていく努力をしなければならない」ということに以前は悩んだりしていた

 趣味も人生の大事な一部だと考えていたので、「趣味のリストラ」はなかなか受け入れがたい、長くて苦しい課題になるだろうなと思っていた。ところが、良いことなのか悪いことなのか(自分は悪いことだと信じている)自分でも想像していなかった方向でこの課題は解消されてしまっている。端的に言えば「休みの日に仕事がしたい」が行き過ぎて、それと戦っていたはずの「休みの日に(一人で)遊びたい」という感情がほとんど無くなってしまった。家族がいるので昔と違って休日に一人になれる時間があまり無いというのはもちろん大きい。一方で、一人の時間が貴重だからこそ、その時間は思いきり趣味に投じたいという気持ちになると思っていた。だけど今は、休日に手に入った自分の時間は、体力維持のための運動を除けば、すべてを論文書きに投じている。趣味に時間を使いたいという気持ちは今はほとんどない。

 かつて熱中していた趣味にこれだけあっさり興味がなくなってしまうのは寂しいことだけど、ここまでなら、自分一人の問題なのでまだ良い。良くないと思っているのが、休日を休日として過ごしている時間は全て論文を書く時間を削って捻出しているという感覚になってしまっていることだ。家族と過ごしている時間も、「割に合うように」できるだけ有意義に過ごしたいと考えてしまい、段取りが悪いことが起こるとイライラしてしまうことがある。これは明らかに不健康な状況だ。

 幸いにも原因は大体わかっていて、今ほどの状況はいつまでも続くものではないと考えている。論文を1年以上投稿できてないこと、その後ろに控えている論文にできてないデータが過去最高に溜まっていることに加え、年度末を控えて論文以外の仕事も忙しくなっていること、そんな中でも比較的自分自身の仕事に充てられる時間が貰えたにも関わらず思ったように進められなかったことが重なって、とにかく心が焦っていることが理由だ。そもそもこうやって時間の無さを言い訳にし、休日も犠牲にしながら、事実として進んでいないこと自体が、自分の無能さと効率の悪さを露呈しており、余計にイライラしてしまう。

 最近、昔ほどブログを書かなくなった理由として、忙しくなったこと以上に、「ブログは自分の心に説明がつかないときに説明をつけるために書くもの」であり、経験値が溜まって「ブログにしなくても頭の中で説明がついて消化できてしまう」ことが比較的増えたことが大きかった。ところが最近、うまく説明できない心の変動が多く、続けて更新してしまった。書いてみてわかったことは、焦りが原因であり、ひとまず論文を書き上げれば心が落ち着くだろう、ということだ。もう少し時間をかけないと終わらなさそうだけど、ゆっくりと趣味に時間を投じられる日を楽しみに頑張りたい。