yokaのblog

湖で微生物の研究してます

水素吸蔵合金

 中学生の頃の話。社会の授業で、近所の自動車メーカーの社員がやってきて、自動車の開発や製造について紹介してくれる機会があった。その話の内容は今はもう覚えていない。だけど、よく覚えているのが授業後の感想のアンケートで「水素吸蔵合金が面白いと思った」と書いたことだ。なぜそれを覚えているのかというと、後日、そのアンケートを読んだ社員が、僕に会いに中学校まで来てくれたからだ。中学時代といえばもう20年近く前になる。中学校の校舎や校庭の様子ももうはっきりとは思い出せない。だけど、その日放課後の図書室で、その社員と、社会の先生と、自分の3人だけで話をしたことは今もとても印象に残っている。水素吸蔵合金の技術を紹介するパンフレットを一緒に見ながら、金属分子の隙間に水素が入り込むのだということを説明してくれた。確かに水素吸蔵合金を面白いとは思ったものの、授業の感想を書かなければならなかったから書いたというくらいのレベルだったので、忙しい中で自分一人のためにわざわざ説明しに来てくれたことに対して、嬉しさと驚きと申し訳なさが交ざった感情で話を聞いていた。別にこの話が自分の人生を変えたとかそういうのではない。だけどこの出来事は、今でも時々思い出すくらい、自分にとって感情を揺さぶられた出来事だった。

 その後自分も大人になり、当時のことを思い出して改めて「あの人あの時よく来てくれたな」と思う。熱心に説明をしてくれたので、水素吸蔵合金の技術を開発していた本人だったのかもしれない。それでも普通、中学生一人のために、わざわざ説明しに来てくれるだろうか?彼はどのような気持ちで、何を伝えようと、貴重な時間を割いてくれたのだろうか?それは分からないままだと思う。いずれにせよ、自分も大人になり、研究者になって、あの出来事が以前よりも意味を持つようになった。自分に伝えられるものがあるなら、たとえ相手が中学生であっても、それは真剣に伝えたい。それで自分の話に興味をもってくれたらもちろん嬉しいけれど、たとえそうでなくとも、少しの時間を割いて真剣に話をすることで一生記憶に残る何かを伝えられるのならそれは素敵なことだ。

人を相手にするかモノを相手にするか

 人を相手にする仕事と、モノを相手にする仕事がある。人を相手にする仕事が気にするのは「伝わり方」であり、目指す成果は「納得感」だ。モノを相手にする仕事が気にするのは「事実」であり目指す成果は「確かさ」だ。どちらも「結果」を出しているのだけど、この両者はゴールもアプローチも全く違うし、互いに相容れない。

 研究は当然モノを相手にする仕事だ。そして自分はモノを相手にする仕事のほうが向いているし好きだ。だから今やっている仕事は楽しい。以前働いていた会社(シンクタンク)に元々入社したいと思った理由も、アカデミアの外の世界を対象にしながらも、モノを相手にするスタイルで仕事ができそうだと思ったのが大きな理由だった。ところがその考えは間違っていた。シンクタンクのような、社会のより上流の意思決定に関わる仕事こそ、「伝わり方」や「納得感」が重要な、人を相手にする仕事なのだった。もちろん前提には「事実」や「確かさ」はあるのだけれど、最終的には「納得感」がそれに勝る。社会のあらゆる意思決定の場がそのような「納得感」で動いていることは、それまで受験と研究の世界だけで生きてきた自分にとっては大きな学びだった。社会を動かすにはモノではなく人を相手にし、「事実」よりも「納得感」が必要だ。だから同じ事実を伝えるにも「誰が」「どう言うか」がとても重要で、言い方を考えることで価値を出す仕事が存在する。このことは会社員生活を通じてとてもよく理解できた。とてもよく理解できたうえで、やっぱり自分はモノを相手にする世界で仕事をしたい、と思った。何なら、人を相手にする仕事は、モノを相手にする仕事よりも難度が低いとすら思っている。モノを相手にしようとすると、分かっていることと分かっていないことを正確に見分けることが必要になるから、たくさん勉強して事実をインプットしなければならない。それは時間がかかって大変だ。一方で、人を相手にするときに気にするのは相手がどう感じ、どうやったら納得してくれるかということだ。勉強は必要なくて、相手と仲良くなって、相手のことを一生懸命考えるだけでいい。その「相手のことを考えるのが大変なのだ」という反論があるかもしれない。確かに、人の心を掴みまくるカリスマ営業マンや宗教指導者のようなレベルに到達しようとすれば、事実を勉強するよりもはるかに大変な努力と才能が必要なのだろう。だけど、そういうトップレベルを目指すならともかく、普通のレベルで人を相手にする仕事をするのはそんなに難しいことじゃない。少なくとも、勉強よりは楽だ。だから、モノを相手にする仕事の方が、人を相手にする仕事よりも難度が高く、やりがいもあってカッコいいと思っている。もっと言うと、人相手の仕事に頼りすぎて、モノ相手の仕事が軽視されていることが、この国の科学に対するリスペクトの低さにも繋がっていると思う。そういうわけで、モノを相手にする仕事をもっとやりたいと思って、研究の世界に戻ってくることにした。

 ところが最近、というか分かってはいたことだけれど、研究の世界であっても、重要な意思決定は「人相手」で下されるのだと感じさせられる。伝え方で結果が変わるような場面があって、そのためにメールの文面を一生懸命考えたりしている時間がある。研究に比べたらチョロいと思っているはずの仕事で、研究の時間を捻出するために一刻も早く片付けるべき仕事のはずなのに、かなりの時間と労力を使っていて、「ああ、これも自分が時間を使って価値を出す仕事なのか・・・」ということに残念な気持ちになってしまう。

 モノ相手の仕事だけで完結する世界がないことは分かっている。いかなる事実も、人に受け止められて初めて価値を持つ。どんなに素晴らしい研究成果(材料)があっても、それを魅力的に伝える努力(味付け)がなければ、人には伝わらない。そしてその味付けには相当の自由度があって、大いに属人的だ。研究も、末端では人を相手にする仕事になる。ただ常に、モノを相手にする仕事が主であり、人を相手にする仕事が従なのだという形にしたい。人を相手にする仕事が主になるのは嫌だ。事実よりも納得感が重要な世界からはできるだけ離れた場所にいたい。人相手で価値を出すのは自分には向いていないし、もったいないと思っている。

科研費若手落ちた

 環境中の未培養の細菌のゲノムが簡単に得られる時代になって、原核生物の多様性や「種」の実態を全ゲノム(=塩基配列で生物を分類するうえで最高解像度の情報)で捉えなおす動きが加速している。その中でも重要な未解決課題の一つが、「種間の明確な境界」と「種内の膨大な微小多様性」という、一見相反する多様化機構が両立しているメカニズムの解明である。本研究では、湖間の微生物群集の比較メタゲノム(高網羅度)と、ロングリードメタゲノム(高解像度)によって浮動要因・環境要因・種特異要因を切り分けて議論しつつ、原核生物にユニバーサルなゲノム多様化メカニズムを炙り出し、その「種」の概念の実像に迫る成果を目指す。 

 大体こんな内容だ。これまでに書いてきた申請書の類って、大体数か月後に読み返すと「もっとこう書けば良かったな」という感想になって、当時の自分の未熟さと自分の成長を感じていたところだったけど、昨年の秋に出したこの若手研究の申請書は今読み返しても結構よく書けていると思う。もっと言えば、当時は猛々しく「これを若手研究で出すのはもったいない」とさえ思っていて、前年度で無くなった基盤Bの若手優遇枠がまだあったらそっちに出していたかもしれない。結局「もしダメだったら自分が代表の研究費がゼロという事態になってしまうので、ここは手堅く基盤となる研究費を確保しておこう」という生意気な考えで若手に申請を出した。当時は自分の周りのメンバーもほとんどが若手研究を貰っていたこともあり、自分もまぁ大丈夫だろう、と根拠なく自信満々だった。

 それが4月1日になってもログイン先の画面の表示が変わらなくて本当に焦った。「異動を挟んだから他の人よりも結果が来るのが遅いのかな」とか考えながら1日中画面をリロードしていたけど、何も起こらず、そのまま時が経ってしまった。で、本日結果が正式に開示されて、無事不採用の通知を受け取った。学振はこれまで全勝だったので、「おお、これがあの不採用ABCの画面か」となった。

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 「研究方法の妥当性」の「研究経費と計画の整合性」で評価が低かったのは、ほとんどの費用を初年度のシーケンス解析に割り振って、それでもまだ足りないので一部のサンプルの解析をスキップするような計画になっていたので、雑だという印象を持たれてしまったのかなと思う。予算規模に沿ったコンパクトな研究計画にして、使い道や配分ペースももう少し丁寧に割り振るべきだったと思う。これは次回に行かせる反省点だ。一方で「学術的重要性」で低評価がついているのはやはり納得ができないし、何が悪かったのかが良く分からないので反省のしようがない。「他の申請の方がもっと重要な課題に挑戦していたから」と言われればそれまでだけど、一体どこが伝わらなかったのかのフィードバックがあればと思う。4人のジャッジの半分に「学術的独自性・創造性」を「やや不十分」以下と評価されているのだから、客観的に不十分な点があったはずで、「相性が悪かった」で片づけるのには納得感が足りない。まぁ、理由もなく落とされることが常のこの世界で、これだけフィードバックを貰えるだけでもありがたく思わなければならないのかもしれない。世界は厳しい。

 というわけで、今年度は代表の研究費がゼロになって、計画の多くがストップしてしまった。幸いにも手元にデータがたくさんあるので研究が止まる事態にはなっていないけど、次の種まきがストップするのは良くないので、何とか別の研究費をいただけるように申請を進めたい。

 

追記:本年度の反省を活かし、翌年リベンジに成功しました

学問はもっと気軽に志せるものであってよい

自分の人生は3年区切りだ。中学生・高校生を3年ずつやったあと、学部3回生まで京都で過ごし、4回生・修士2年の計3年は滋賀の生態研で研究して、その後東京で3年間会社員をやって、再び滋賀の生態研に戻って3年かけて学位をとって、3年任期のポスドクとしてつくばに異動した。そこで2年8カ月経ったところで、去年の12月に京大に着任したので、この異動で人生史上約20年ぶりに3年区切りルールを破ったことになる。そういう訳で、異動して4カ月が経っているけど、この3月末でようやく一区切りがついて新しい節目が始まるような感じがしている。

 3年区切りで見れば、この3月末は会社を辞めてから6年の節目でもある。研究に戻ってきたばかりの当時の自分は「メタゲノム」という言葉の意味も理解できておらず、Linuxを触ったことも無くcdコマンドすらも知らない素人だった。それが6年後には大学教員になっている。考えてみれば何の専門性も無い学部生だって大学院で5年学べば博士の学位をとれるわけで、学問の世界って、5,6年ほど真剣に取り組めば、十分に最前線に立てる可能性があるということなんじゃないかと思う。スポーツ選手や芸術家を目指すとなるとそうはいかないだろうけれど、そういった世界と比べれば、研究は才能よりもやる気や努力でカバーできる比率が比較的高い業界なのではないだろうか。

 なので、別の分野・業界から転身して研究者を目指し始めるのに遅すぎるということはないと思っている。また逆の発想で、「一生研究するつもりはないけれど、人生の一期間を学問に捧げてその最前線を味わってみたい」という興味も、十分に実現可能だと思う。なので自分自身も、理由さえあれば、ある日突然全く違う分野に転身したっていいのだ、という心持ちでやっている。

 つまり、学問の世界は本来もっと気軽に出入りしても大丈夫な場所なんじゃないかということだ。そうなることは学問の発展にとっても望ましい方向だと思う。気軽に出入りできるようになれば単純に人が増えて量的に活性化するだろうし、様々な世界を経験した多様な人間が出入りすることで質的な活性化も期待できる。

 人の出入りを活性化させるのに必要なのは、入口と出口を広げることだ。現在のアカデミアは、その両方がネックになっている。入口を広げるために必要なのは、給料を含めた待遇の充実だ。現状、民間企業からアカデミアに転身した場合、同等のスキル・専門性を持っていても、生活水準に影響が出るレベルの待遇の格差が存在する。「好きでやっているのだから給料が低くても我慢しろ」で耐えられる人だけが来るという構造で今は回っているけれど、その裏では能力と適性とモチベーションを兼ね備えながらも待遇面で妥協しきれず諦めてしまった膨大な人数が来る機会を逃してしまっている。

 一方で、いくら入口を広げても、出口が狭ければ、リスクを冒して研究界に飛び込もうという人の数は増えないだろう。といっても、実は出口はすでに十分に広くて、問題なのは「出口が狭く見えてしまっている」ことにあると思う。ある学問を極め、国際競争の中で最前線を切り拓いていく研究者のスキルや経験は、アカデミアの内外問わず活かせる機会は広いはずだ。問題は、そういった研究者の仕事や科学的思考力・発想力に対するリスペクトがあまり社会から感じられない点にあると思っている。つまり、研究者の社会的地位を向上させて、様々な分野でのその活躍の可能性にきちんと光を当てることが必要なことではないだろうか。

 入口の問題も出口の問題も、そう簡単には解決しそうにないけれど、学問を志すことが人生の通過点の一つとして受け入れられる世界になっていけばよいし、そうなっていくべきだと思う。

出張は無くならない

コロナの谷間を見計らってつくば出張に行ってきた。前所属の産総研で長期培養している微生物サンプルの確認と、まだ京都に移動できていなかった冷凍サンプルの輸送が目的だ。

 まだつくばにいた去年の7月に関西を訪れて以来、半年以上ぶりの出張だ。何もかもがオンラインで大学内の移動すらほとんどない生活が普通になっていたので、電車や新幹線に乗っているだけでワクワクした非日常感を味わえた。コロナ前は毎月のようにどこかに出張に行っていたので、新幹線に乗り込んで椅子に腰かけて、ガラガラの車内の天井を眺めながら車内放送をボーっと聞いて、「当たり前だった風景が画面の外にまだあってよかった」ということをしみじみ感じていたりした。

 ほんの4カ月前まで住んでいたはずなのに、久しぶりに訪れるつくばの印象も変わっていた。つくばの人工的で殺風景な街並みはあまり好きにはなれなかったけど、ごちゃごちゃした京都の道の狭さや渋滞に少しうんざりしていたところなので「きれいで広々としていていいな」と感じた。空間的余裕は精神的余裕に直結するのだと再確認した。4カ月前までいたはずのラボも、大学の環境に慣れたところで改めて訪れてみると新鮮に感じられた。改めて、機材や研究環境に恵まれていたなと思うし、学生がいなくてポスドク以上の研究者とテクニシャンがガリガリと研究を進めていく様に、圧のようなものを感じた。何より、同世代の研究者がたくさんいて久しぶりに色々と話ができたのが楽しかった。地元に帰ってきたかのような安心感があり、改めて、ここでこのタイミングで良い人脈を築くことができたのは本当に幸運だったと思った。同世代の話に刺激を受けて、自分ももっと挑戦的にやっていかなければならないという気持ちも新たにした。やっぱり直接会って雑談含めてダラダラ話す時間はとても大切だし、この交流はオンラインミーティングでは代替できない。このまま出張や学会の文化が無くなると嫌だなと思っていたけど、出張も学会も無くならないんじゃないかな、と少し安心できた。「コロナが明けたら〇〇しよう」とあちこちで言いながら一向にその日が来ないまま1年が経ったけど、もう1年後にはさすがに現実になっていて欲しい。そうなっていない未来も十分に想像できるから怖いけれど。

 培養サンプルのスクリーニングも計画通りに終えて、うまく培養ができていそうなサンプルは詳細な解析をするために京都に持ち帰った。もともと前回の出張で琵琶湖で採った細菌をつくばで培養していたものなので、関西と関東を新幹線で1往復した選ばれし細菌たちだ。面白いものが捕れていてほしい。

シェルのパイプからRを使って最大値や平均値を簡単に得る方法

 シェルでデータテーブルを触るのにawkがよく使われるけど、最大値・最小値・平均値などを計算しようとすると結構めんどい。Rでやれば2語で済むような処理も、awkだとifやforを使って複数行を使って書かなければできなかったりする。自分はRのほうが得意なので、データが複雑になるとすぐにRに切り替えて解析するのだけど、概ねシェルで完結できそうな作業の中で一部だけRを使いたいときに、いちいち環境を切り替えるのが面倒で頑張ってawkで書いて時間を浪費することになっていた。なんとかならないかな、と思って色々と調べていたら、この方法を見つけて感動したので備忘で書いておく。 

例えば以下のようなtsvがあって、これの最大値を求めたい。

$cat data.txt
1	2	3
4	5	6
7	8	9

欲しい数値は9だ。awkでやろうとすると、列ごとに最大値を求めるのもまあまあめんどいのに、このケースでは列を横断して最大値を求めようとしているので余計にめんどい。
Rなら

max(data.txt)

の一行で済む。で、以下のようにすれば、これをシェルスクリプトの中で直接実行できる。

$cat data.txt | xargs Rscript -e 'max(as.numeric(commandArgs(T)))'
[1] 9

パイプからの出力をxargsでRscriptに引数として渡して、それをcommandArgs()で読み込んで実行するという流れ。-e' '内のコマンドをRスクリプトとして直接実行するために必要なオプション。commandArgs()内のTはtrailingOnly=TRUEの省略形で、余計な引数をRscriptに渡さないようにするために必要な呪文(デフォルトでTRUEになってないのは何故なのだろうか)。注意点としては、この方法では行列の形で渡しても、Rにはベクトルとして渡っているということと、渡された引数は文字列として認識されてしまうために数値として扱うにはas.numeric()をかませる必要があるということだ。
例えば以下のようになる。

$cat data.txt | xargs Rscript -e 'commandArgs(T)'
[1] "1" "2" "3" "4" "5" "6" "7" "8" "9"

入力を行列として受け取りたい場合は、R内でmatrix()を使って整形するなどの対応が必要になる。
また、デフォルトのRの出力では行頭に要素番号[1]がついていて、シェル内で変数として代入したい時など、数値だけが欲しいときには不都合だ。Rのcat()関数を用いれば要素番号を消せるのだけど、cat()はデフォルトでは最後に改行を返してくれないので不都合が起こることがある。そこで、paste0()で改行を行末に足すことで、数値だけを取り出すことができる。

$cat data.txt | xargs Rscript -e 'cat(paste0(max(as.numeric(commandArgs(T))),"\n"))'
9

で、これを応用すれば、最小値も平均値も中央値も合計も自在に求めることができる。

#最小値
$cat data.txt | xargs Rscript -e 'cat(paste0(min(as.numeric(commandArgs(T))),"\n"))'
1
#平均値
$cat data.txt | xargs Rscript -e 'cat(paste0(mean(as.numeric(commandArgs(T))),"\n"))'
5
#中央値
$cat data.txt | xargs Rscript -e 'cat(paste0(median(as.numeric(commandArgs(T))),"\n"))'
5
#合計
$cat data.txt | xargs Rscript -e 'cat(paste0(sum(as.numeric(commandArgs(T))),"\n"))'
45

行や列ごとの最大値が欲しいときは、シェルの段階で処理してからRに渡す。

#2列目の最大値を求める
cat data.txt | awk '{print $2}' | xargs Rscript -e 'cat(paste0(sum(as.numeric(commandArgs(T))),"\n"))'
8
#3行目の合計を求める
cat data.txt | sed -n '3p' | xargs Rscript -e 'cat(paste0(sum(as.numeric(commandArgs(T))),"\n"))'
24

もう少しデータが複雑になったら素直に一旦ファイルに出力してからR上でread.delimで読み込んだほうが早そうだけど、「Rなら1行でできるのに!」がシェル上でも1行でできるようになってとても快適になった。

参考にした記事:
immanacling63.rssing.com

論文出版社がますます嫌いになった話

 前回の記事では、今回出版した論文の内容を簡単に紹介したのだけど、どちらかというと書きたかったのはこっちだ。今回の論文は初稿完成から出版まで9カ月かかった。9カ月という期間だけみると、そんなに長い方ではないのかもしれない。だけど、原稿がこちらの手元にある時間がほとんど存在しなかったという点で、出版社の対応に疑問を抱かざるを得ないところが多々あった。せっかくなので、過去のメールをさかのぼって、これまでのスケジュールを確認してみた。

日      対応 所要日数 待ち日数
4月2日 初稿が完成、共著者に回覧を回す 0 0
5月9日 すべての著者からのコメントが揃う 37 0
5月11日 共著者すべてのコメントを反映した改訂が完了、共著者に再回覧 2 0
5月20日 共著者からの2周目のコメントが揃う 9 0
5月21日 2周目のコメントに対応した改訂を完了し、英文校閲にまわす 1 0
6月2日 英文校閲が返ってくる 0 12
6月5日 全共著者からの投稿同意を得て、原稿完成。APCの支払方法で確認事項が生じ、Editorial officeにメール 3 0
6月9日 返事がないのでリマインドのメールを送る 0 4
6月11日 それでも返事がないので、出版社に直接メール 0 2
6月12日 出版社から返事があり、問題解決。ようやく投稿 0 1
8月16日 査読結果がminor revisionで返ってくる 0 65
8月20日 すぐに改訂稿とresponse letterを作成し、共著者に回覧 4 0
8月25日 共著者全員とのすり合わせが完了し、再投稿 5 0
9月, 10月 Minor revisionだったのですぐ結果が出ると思いきや、全く音沙汰がなく、不毛で不満で不安な日々を過ごす - -
11月6日 再査読も覚悟していたところで、いきなりアクセプトの連絡 0 73
11月7日 早速APCの請求書が来るも、6月に問い合わせていた事項が伝わっておらず、再び同じ問い合わせをする羽目に 0 1
11月12日 返信を受け取る。相変わらずレスポンスが遅い 0 5
11月14日 APC支払に必要な書類を作成し、送付 2 0
11月21日 1週間経っても返事がないので、状況確認のメールを送付 0 7
11月23日 ようやく返事があったが、書類に不備があるので作り直せとの内容でため息 0 2
11月25日 書類の問題を解決し、支払手続きがようやく完了 2 0
12月8日 ここからがさらにひどかった。アクセプトから1カ月以上経って連絡がきて、やっとproofができたのか、と思ったら、video abstractを作ってやるからその素材を提供しろという内容。しかも翌日までに返事をしろと書かれている。これだけ待たせておいてその締切は無いだろと思ったけど、こんなくだらないことがボトルネックになっている事態はすぐに解決したかったので、即日で返信。 0 13
12月22日 それから2週間待ってやっとメールが来たので、proof遅すぎだろと思いながら開いたら、「video abstractができたよ!確認してね!」という内容。こちらが送った文章を字幕にしてそれっぽい音楽と画像に合わせて動画にしているだけの、存在価値のよく分からない動画。こんなくだらないことがボトルネックになっている事態はすぐに解決したかったので、即日で返信。 0 14
1月5日 なんと年を越してしまい、アクセプトから2カ月がたった。しかもジャーナルのウェブサイトを見ると、自分の論文よりも後にアクセプトされた論文がすでにpublishされている。どうなっているのかと、確認のメールをEditorial officeに送る。 0 14
1月8日 またしても返事がないので、またしても出版社に直接メール。少し怒っている雰囲気を出しておいた。 0 3
1月9日 返事が来て、「もう少しでproofできるよ」という1行のメール。申し訳ないの一言もなく、delayの理由を教えて欲しいというこちらからの質問は無視。なんでもいいから早くしてほしい。 0 1
1月11日 メールが来て、やっとか、と思ったら、「我々の対応はどうでしたか?」という出版社からのアンケートの自動送信メール。まだ対応をされていないので答えようがない。 0 2
1月12日 ついにproofが来た。アクセプトから67日目。と思いきや、なんとaccpepted dateが12月7日になっている。確認しても12月7日には何のやり取りも発生してない。確かに11月6日にアクセプトの連絡を受けているし、散々待たされた一ヶ月が無かったことにされるのは不満だったので、「アクセプトの日付が間違っているから確認してほしい」とコメントを入れてすぐに返した。 0 1
1月24日 特に編集部からの確認の連絡等もなく、いきなり論文がpublishされた。そしてアクセプトの日付は12月7日のままで直っていない。video abstractも現時点で“The video is not available.”となっている。全てが不満だけど、それよりもやっと終わったことの方が嬉しかったので、めでたしということにしておいた。 0 12
初稿完成以降の合計日数 65 232
投稿以降の合計日数 13 213
Accept以降の合計日数 4 75

こちらの手元に原稿があった時間は、初稿から出版までの297日のうち65日だ。そのうち、共著者に原稿を回覧して同意を得るのに要した時間(合計49日)差し引くと、完全に自分の手元に論文があった日数はわずか16日になる。査読が2か月強×2ラウンドというのは、短くはないけれど、すごく長いわけでもなく、忙しい研究者にボランティアでお願いしていることを考えれば仕方がないと思う(minor revision後はほとんど見るところが無かったはずなので、もっと早くできただろ、と思うけれど)。不満なのは出版社の対応だ。投稿前も後も、メールを何度も無視され、仕事が遅く、対応も不誠実だった。特にアクセプト以降は、こちらの手元に論文があったのは4日なのに対し、75日も待たされた。今まで投稿してきた他のジャーナルでは、数週間でproofが来てpublishされていたので、異常に遅い対応だったと思う。そのうえ、アクセプトの日時を改ざんされるという仕打ちまで受けた。法外に高いAPC(£2890/$4170/€3380)を受け取っておきながら一体何にその金を使っているのか。まったく割に合わない仕事ぶりだ。
 もともと、こういうオープンアクセス誌のやり方(法外なAPCと利益優先のいい加減な対応)が好きではなかったので、今回の論文も、元々は別のジャーナル(Molecular Ecologyあたり)に投稿しようと考えていた。ところが、共著者の一人から「APC出すからもう少し上のジャーナルから挑戦してみたら?」との提案をもらったので、チャレンジのつもりでMicrobiomeに出してみた。結果的には幸運にもそのままアクセプトされたのだけれど、とてもハイインパクトなジャーナルとは思えない、もう二度と投稿したいとは思えないような対応だった。
 それから話は変わるけど、今回の経験を踏まえて改めて、雑誌のインパクトファクターというのはあてにならないなということを感じた。正直に言えば、前回出した論文の研究のほうが、はるかに多くの時間を費やし、はるかに多くのデータをまとめ上げた大作であり、こちらのほうがハイインパクトな雑誌に掲載されてしかるべきだと思っている。ところが、先日の記事にも書いたように、あの論文はエディターに恵まれず、何度もリジェクトされて、IFで見れば今回の論文の半分以下の雑誌に掲載されている。結局、ハイインパクトな雑誌に載るかどうかは、エディターや査読者との相性の要素が大きくて、研究の内容は思っていたほど反映されていない、というのがこれまでの自分の経験を踏まえた感想だ。一方で、論文を出した後の引用数は、おおむね自分が感じている自分自身の研究への評価に比例して多くなっている。これは嬉しいことだ。なので、以前から感じていた

自分の研究成果を掲載するのは「ちゃんと読んでもらえる」水準を超える雑誌であればどこでもよくて、大事なのは引用数だ

という思いをますます強くした。
 今回の論文の出版が遅れてしまったせいで、2020年はファーストの論文がゼロという事態になってしまった。2021年中にもう一本出して穴埋めをしなければならない。次も大作になりそうなので時間的にちょっと怪しいけれど、ひとまずはそれを目標に頑張りたい。とにかく、Microbiomeに投稿することはもうないだろう。