yokaのblog

湖で微生物の研究してます

学問はもっと気軽に志せるものであってよい

自分の人生は3年区切りだ。中学生・高校生を3年ずつやったあと、学部3回生まで京都で過ごし、4回生・修士2年の計3年は滋賀の生態研で研究して、その後東京で3年間会社員をやって、再び滋賀の生態研に戻って3年かけて学位をとって、3年任期のポスドクとしてつくばに異動した。そこで2年8カ月経ったところで、去年の12月に京大に着任したので、この異動で人生史上約20年ぶりに3年区切りルールを破ったことになる。そういう訳で、異動して4カ月が経っているけど、この3月末でようやく一区切りがついて新しい節目が始まるような感じがしている。

 3年区切りで見れば、この3月末は会社を辞めてから6年の節目でもある。研究に戻ってきたばかりの当時の自分は「メタゲノム」という言葉の意味も理解できておらず、Linuxを触ったことも無くcdコマンドすらも知らない素人だった。それが6年後には大学教員になっている。考えてみれば何の専門性も無い学部生だって大学院で5年学べば博士の学位をとれるわけで、学問の世界って、5,6年ほど真剣に取り組めば、十分に最前線に立てる可能性があるということなんじゃないかと思う。スポーツ選手や芸術家を目指すとなるとそうはいかないだろうけれど、そういった世界と比べれば、研究は才能よりもやる気や努力でカバーできる比率が比較的高い業界なのではないだろうか。

 なので、別の分野・業界から転身して研究者を目指し始めるのに遅すぎるということはないと思っている。また逆の発想で、「一生研究するつもりはないけれど、人生の一期間を学問に捧げてその最前線を味わってみたい」という興味も、十分に実現可能だと思う。なので自分自身も、理由さえあれば、ある日突然全く違う分野に転身したっていいのだ、という心持ちでやっている。

 つまり、学問の世界は本来もっと気軽に出入りしても大丈夫な場所なんじゃないかということだ。そうなることは学問の発展にとっても望ましい方向だと思う。気軽に出入りできるようになれば単純に人が増えて量的に活性化するだろうし、様々な世界を経験した多様な人間が出入りすることで質的な活性化も期待できる。

 人の出入りを活性化させるのに必要なのは、入口と出口を広げることだ。現在のアカデミアは、その両方がネックになっている。入口を広げるために必要なのは、給料を含めた待遇の充実だ。現状、民間企業からアカデミアに転身した場合、同等のスキル・専門性を持っていても、生活水準に影響が出るレベルの待遇の格差が存在する。「好きでやっているのだから給料が低くても我慢しろ」で耐えられる人だけが来るという構造で今は回っているけれど、その裏では能力と適性とモチベーションを兼ね備えながらも待遇面で妥協しきれず諦めてしまった膨大な人数が来る機会を逃してしまっている。

 一方で、いくら入口を広げても、出口が狭ければ、リスクを冒して研究界に飛び込もうという人の数は増えないだろう。といっても、実は出口はすでに十分に広くて、問題なのは「出口が狭く見えてしまっている」ことにあると思う。ある学問を極め、国際競争の中で最前線を切り拓いていく研究者のスキルや経験は、アカデミアの内外問わず活かせる機会は広いはずだ。問題は、そういった研究者の仕事や科学的思考力・発想力に対するリスペクトがあまり社会から感じられない点にあると思っている。つまり、研究者の社会的地位を向上させて、様々な分野でのその活躍の可能性にきちんと光を当てることが必要なことではないだろうか。

 入口の問題も出口の問題も、そう簡単には解決しそうにないけれど、学問を志すことが人生の通過点の一つとして受け入れられる世界になっていけばよいし、そうなっていくべきだと思う。