最近ずっと論文を書いている。自身3本目の論文で、博士課程の研究のメインの成果になりつつも、僕の今後の研究のベースにもしたいと思っている論文だ。今回は計画段階から練り込むことができた研究なので、なかなかこだわりの強い内容に仕上げられたと思う。
科学論文は客観的でなければならないように見えて、実は全然客観的ではない。同じテーマでも、仮説の立て方、実験デザイン、結果の見せ方、文章の組み立て方といった研究者の味付けにより、全然内容が変わる。材料(客観的データ)に手を加えてはならないこと、冗長にしてはならないことを除けば、あとは小説を書くのとなんら変わりないのではないか。なので、研究者は実はかなり創作的・芸術的な職業なのではないかと思う。もちろん納期や予算に追われて「乗り越えること」「こなすこと」が必要とされる場面もある。だけどそれでも、世の中の大多数の仕事に比べればはるかに穏やかで、「こだわること」「やりすぎること」に寛容なのが研究だと思う。これは幸せなことだ。
もっと言えば、個々の論文が芸術的であるだけでなく、その集合体である「自分の研究人生を成す一連のストーリー」自体が、とても創作的で芸術的なのではないかと感じる。大成した研究者というのは、偶然客観的な大発見に恵まれたというよりは、個々の論文を積み上げながら構築したこだわりのストーリーを一つの学問分野と呼べるレベルにまで成長させ、周りを巻き込みながらその価値を高めて、気づいたら第一人者になっている、というような人がほとんどではないだろうか。研究者は、自分の研究やそれに懸ける人生自体を自分でデザインすることが求められる、この上なく芸術的な職業、というのは言い過ぎだろうか。こんな自由な夢を見ていられるうちが華なのかもしれないけれど。
・・・と、一通り書いた後に「同じような事を言っている人はいないかなー」と思ってググってみたら、寺田寅彦先生の名文が出てきたので、リンクを貼っておく。→ 寺田寅彦 科学者と芸術家