yokaのblog

湖で微生物の研究してます

離れた湖にいる細菌同士はやっぱり違う

学生時代に手を付けていた最後の仕事がようやくpublishされた。

当時調子に乗って広げまくった風呂敷を畳むのに、結局3年弱を費やしてしまったけど、何とか形にできてよかった。これで本当の意味で、博士課程でやっていた研究は完了したといえる。また本研究はスイス・イタリアで採集したサンプルを活用した成果として、CL500-11優占論文に続いて2本目になる。2か月半のヨーロッパ滞在の成果としてはこれで十分な結果が残せたんじゃないかと思う。

論文の内容を一言でいえば、

ロングリードシーケンサーを使った高解像度・高感度なアンプリコンシーケンスによって、湖の細菌の微小な遺伝的多様性(microdiversiry)の存在を湖間・季節間比較から明らかにした

というものだ。湖は互いに物理的に隔離されているにも関わらず、世界中で共通して優占する細菌系統が存在する。ただし、ここでいう「系統」は、保存性の極めて高い16S rRNA遺伝子の一部の領域を対象とした、限られた系統解像度の解析で得た結果に基づいている。系統解像度をより高めていけば、湖ごとの細菌間の遺伝的差異が明らかにでき、湖沼細菌の生態や進化の歴史を紐解く鍵が得られるかもしれない。実際、単離株やメタゲノム解析を用いた全ゲノム解像度の研究では、16S rRNA遺伝子がほぼ同一の細菌でも、湖間で異なる遺伝子型を示すケースが報告されている。しかし、湖沼細菌の大多数は依然として難培養性であり単離株を用いた解析は難しい。メタゲノム解析で培養非依存的に構築したゲノム情報を用いる手法も、コスト的に網羅的な解析が難しく、複数の遺伝子型が同所的に共存している場合の検出感度に難があった。

 そこで本研究では、湖沼細菌を対象とし、ロングリードシーケンサー(PacBio)を用いて、16S rRNA遺伝子と、それに隣接しより多様性の高い(=系統解像度の高い)ITS領域をターゲットとした、合計約2000 bpのPCR産物を対象としたアンプリコンシーケンスを行った。ロングリード解析ではシーケンスのエラー率の高さが問題になるけれど、本研究の特色として、PacBioのCCS(Cirular Consensus Sequencing)リードを用いて高品質なリードを得たうえで、CCS向けに設計されたDADA2のパイプラインを用いることで、1塩基解像度の解析を実現した点があげられる。この解析の正確性を確かめるために、ショットガンメタゲノムのリードとの比較も行ったのだけど、「十分なCCSリード数が得られていれば」レアな1塩基多型も含めて概ね正確に検出でき、優占的な変異に関しては変異の比率もほぼ一致した定量的なデータが得られることまで確認できた。

 解析の結果、従来法では検出できなかった系統内microdiversityが湖間や季節間で存在することが明らかになった。特に日本とヨーロッパの湖の細菌間では塩基配列に大きな隔たりがあり、大陸間での地理的隔離の存在を支持する結果が得られた。つまり、「微生物は世界中を飛び回っていて、環境さえ合えばどこでも優占しうる」という"Everything is everywhere, but environment selects"仮説とは相反する結果が得られた。一方で、microdiversityの程度は系統間で大きく異なっており、「系統内でどの程度遺伝的に多様化するか」はその系統の生態学的な戦略の違いを反映しているのではないかという仮説を提示した。

 まとめると本研究では、ショートリードよりも高解像度でメタゲノムよりも高感度なロングリードアンプリコンシーケンスの特性を活かし、湖の優占細菌系統の未開のmicrodiversityの存在を明らかにすることができた。一方で課題は、ショートリードと比較してのコスト当たりのリード数の少なさで、多くの系統/サンプルで、本手法の検出感度をフルに活かすほどのリード数が得られなかった。この点は、今後のロングリード解析コストの低下に伴って解消される問題であると期待している。また当然ながら、16S+ITS配列が同じだからと言って、ゲノム配列も同じとは限らない。本手法は「相違性」を検出できても「同一性」を結論づけることはできない。それに、16S+ITSの配列をゲノムや生理代謝活性と結び付けなければ、今回見いだされた系統的差異が生成・維持されるメカニズムにまで迫ることはできない。

 互いに物理的に隔離された「湖」という研究系は、微生物の系統地理的な背景を検証するにあたって格好の研究対象であると考えている。本研究で得られた知見を足掛かりに解析の焦点を絞り込むことで、今後はゲノム解像度での湖沼細菌のmicrodiversityとその生態・進化的背景の解明に挑戦したい。

 論文の簡単な紹介のつもりが結構長くなってしまったので、本論文の投稿・出版プロセスでの裏話は後編で。

研究がとても楽しい

 若いころに比べると、自分の思考や感情をあまり表に出さないようになってきた。理由は大きく二つある。一つは、歳をとって色々な経験を経て、「考えたことがあること」や「感じたことがあること」が増えたことで、「わざわざ外に発信しなくても、自分の中で消化できる思考や感情が増えた」という理由だ。経験が浅くて自分の中で消化しきれない思考や感情があったときは、それを言語化して外に出すことで、自分の頭を整理して、納得いく説明をつけるという効果があった。だけど最近は外に出す前に自分の頭の中で説明がついて納得がいってしまう。「思想が成熟して落ち着いた」ともいえるけど、「刺激や感情の起伏が少なくなってつまらなくなった」ということもできる。もしかすると、こう考えていること自体、自分の脳が老化して感受性を失ってしまっていることに、後付けで納得いく説明をつけてごまかしているだけかもしれない。いずれにしても、歳をとって「人生で経験しうる思考や感情の多くに慣れてしまった感」があって、「これは別に外に出さなくてもいいか」で済ませてしまえることが多くなった。

 もう一つの理由は、世の中には本当に色んな背景・考え方の人がいるということを知ったことだ。歳をとって、より多様な人のことを見聞きし、知っていく中で、

自分がかなりの確度で正しいと確信していることや、相当の自信をもって正義だと言い切れることに対しても、真っ向から反対の考えを持っている人が、見えていないところに普通にたくさんいるかもしれない

ということを常に意識するようになった。また、何かを言うとしてもその「言い方」がとても大事だということも、様々な経験から痛感するようになった。自分にとっては同じような趣旨の発言でも、言い方を少し変えるだけで印象は大きく変わり、不要に人を傷つけたり不快にしたりできてしまう。そういう苦い経験も重ねながら、自分の社会的な責任も高まっていく中で、若いころよりも、色々な立場の人が様々な捉え方をする可能性を想像しながら慎重に発言をするようになったし、想像できないものがありそうなときは、発言しないでおく、という手段をとるようになった。

 さて前置きが長くなったけど、こういう考えを背景に、自分が大きな声で言いにくくなってしまっていることがある。それは、「今の仕事、研究がとても楽しい」ということだ。なぜこれが言いにくいかというと、社会には

好きな研究をやって税金で食わしてもらっているなんてずるい

という意見を持つ人がたくさんいるということを知っているからだ。アカデミアにいると「基礎研究をもっと大切にしよう、そのためにはもっと待遇や研究費を上げないとダメだ」という意見が大多数で当たり前かのように感じてしまうし、自分自身も、基礎研究に税金を使う必要性を問われたときの自分なりの答えは準備している。一方で、自分自身もかつて会社員としてビジネスの世界で「お客さんからお金を頂くために働くこと」がどれだけ大変なのかを経験してきたので、「税金で好きなことをやって自分で稼いでもないやつが贅沢を言うな」と考える人の気持ちは理解できる。

 なので自分の仕事が楽しいということを、特に同業者以外の人がいる可能性のある場では、あまり表に出さないようにしている。だけど、いよいよ大学教員に就いて、1か月が経って、色々と仕事が本格稼働し始めた今、20周くらい回って改めて感じるのは、「やっぱり研究ってめちゃくちゃ楽しい!」ということだ。本当に会社を辞めてこの道に進んでよかったと思うし、この仕事が自分に向いていると思う。正直に、毎日やりたいことしかしていない。もちろん、短期的にみるとやりたくない仕事もあるけれど、それらも長期的には「これからもやりたいことができる環境を維持するために必要な仕事」として自分の中で説明がつけられる「広義のやりたいこと」として、自分の中で消化しきれている(ものが幸いにも今のところほとんどだ)。この仕事で給料を頂いて生活ができているのはとんでもなく恵まれていて、夢のようなことだと思う。

 考えや感情を表に出さないようになってきた、と言いながら、なぜこんなことをわざわざここに書いているのか。それは、自分が「研究を楽しんでいる」というのを伝えることで、安心してくれる人達がいると思ったからだ。一つは、自分がここに至るまでの幸運と環境を提供してくれた、これまでにお世話になった人達だ。おかげで自分はとても楽しい人生を送っているし、そのことに感謝しているということを伝えたい。もう一つは、今後研究の世界を志そうとしている後輩にあたる人達だ。自分自身もそうだったけれど、「先輩が楽しそうにしているかどうか」は、進路選択の大きな決め手で、真剣に見られていると思う。自分は普段あまりこういう話をしないので、もしかすると、目先の仕事に追われて忙しく辛い毎日を過ごしているように見られているかもしれない。だけど実際はそんなことは全くなくて、毎日楽しくて仕方がない。忙しいといっても全てやりたいことなので、「やりたいことが無限にあってやるだけ進む状態」で楽しくて充実している。アカデミアの厳しい現状の中で運と環境に恵まれただけの人間による生存バイアスだと言われればそれまでだけど、少なくともこの気持ちは偽りのない本音だということは伝えておきたい。

例外としてこなしてしまった1年

 歳をとるごとに冬休みが短くなり、年末に年末感を感じられなくなってきているのだけど、今年は帰省も自粛せざるをえなくなって、例年にまして年末感が無い。せめてこの1年を振り返ってみようと、少し考えてみたけれど、あまり思い出せることがない。特に、家に閉じ込められていた4月5月の記憶はほとんどない。

 記憶に残る出来事が少なかったのは、そもそも精神的に辛いことばかりで思い出したくないということに加えて、今年はあらゆることが「例外」として処理されてしまい自分事にならなかったという理由も大きいと思う。「今のイレギュラーな生活は、世界が元通りになるまでの辛抱だ」と考えている間に、とうとう世界が元通りになることはなく、1年が終わってしまった。毎年出ていた学会もほとんど無くなり、海外どころか国内出張もほぼ消滅して、「今年は例外だから仕方ない、来年は元に戻ってできるようになればいいな」と思っていたけれど、その見通しが立たないまま年明けを迎えようとしている。

 それに加え、今年の自分には異動という「例外」も重なった。異動前の10月・11月は、引っ越し準備だったり、仕事・生活の両面で「ポスドクで時間のあるうちにしかできないこと」に注力していたという点で「例外」だったし、12月は新生活・新環境への適応で精いっぱいで毎日が「例外」だった。送別会・歓迎会・忘年会・新年会が開かれることもなく、飲み会でワイワイ話す機会が一切ないまま新しい環境での人間関係が作られようとしている点でも「例外」だ。

 結局この1年、あれもこれも「普通」ではない「例外」という位置づけになってしまったせいで、「生活している」というよりも「こなす」ような生き方をしていて、「本番の生活」を送った感覚があまりない。厳しく言うと「例外」を言い訳にして、その場しのぎの毎日を送ることに満足してしまっていた面があった。それで、記憶に残るような出来事や進歩の無いまま、1年が過ぎてしまった。これが自分のこの1年の振り返りであり、反省だ。

 残念ながらこの先も世界が元に戻る見通しは立たない。「例外」のように考えていた毎日が実は「本番」なのだという気持ちをもって、楽しい記憶の残るような1年に来年はしたい。

違和感がないという違和感

 京大に着任してから最初の2週間が経った。つくばから京都へ引っ越して中0日で初出勤で、生活も仕事も何もかもが一気に変わって、脳が適応するのに精いっぱいで、夢の中にいるかのようなフワフワした2週間だった。ようやく仕事環境の整備や、家の片付けも一段落が見えてきて、やっと新天地での現実が始まった心地だ。

 過去の記事で書いたように「異動直後の違和感は今しか味わえないからすぐに書き留めておくべし」という考えがあったので、違和感があれば(書ける内容であれば)この場に書き残しておこうと思っていたのだけど、今のところ、驚くほど違和感がなくて、そのことが一番の違和感かもしれない。

 もちろん、職場の雰囲気も、仕事の進め方も大きく変わったのだけど、どれもこれまでのところ大体予想通りの変化で、すんなりと受け入れられてしまっている。一番予想通りで嬉しかったのが、京大の雰囲気が自分にはやっぱり合っているな、と感じられたことだ。赴任して最初の数日は事務手続きや挨拶回りでキャンパスのあちこちを訪ねて回っていたのだけど、歩いているだけでワクワクしてしまうし、ここでこれから働けるのだ、ということにニヤニヤしてしまった。具体的に何がよいのかは簡単には言葉にできないのだけど、京大は自分が楽しい大学生活と充実した研究生活を計9年間もおくった場所なので、やはり「戻ってこれた」という気持ちが大きいのだと思う。事務周りの自由度に関しても、どことも雇用関係が無いことにされて色々と融通が利かなかった学振特別研究員という立場から、会社員時代以来5年8か月ぶりの正規雇用となり、格段に身動きがとりやすくなった。研究費の申請や各方面への発言をオフィシャルな立場で堂々とできるのは嬉しいし「やっとか」という思いだ。一方、その裏返しでもあるのだけど、オフィシャルに大学の一員になったことで、学内の事務や通知で飛んでくるメールの件数の多さとそのメールの読みにくさ(用件を先に書いてくれないので捨てていいメールかどうかが分かりにくい)にはちょっとうんざりしている。これは「今しか味わえない違和感」かもしれない。

 今までは「組織のため」よりも「自分のため」がどうしても優先しがちだったけど、オフィシャルかつ責任のある立場に立たせてもらって、これからは「組織のため」のウエイトも増やしていかなければと思う。一方で、自分の研究に脂がのるのもこれからなので、そこにもしっかりとリソースを割けるよう努力したい。それからこれは抱負でもあるのだけど、学生にとって親しみやすい教員になりたい。前所属(産総研)での反省点の一つは、自分のことに没頭しすぎて、話しかけづらい雰囲気を作ってしまっていたのではないかということだ。話しかけられれば喜んで議論や相談に乗るのだけど、こちらからあまり話しかけないし、忙しそうに(見えるフリを)していて話しかけづらい、というのがあったと思う。自分は放っておくとそういう態度になってしまうので、意識して話しやすい雰囲気を作ることを忘れないようにしたい。

 先に書いたように、この2週間は環境への適応に消費して、本格稼働するのはこれからなので、まだ味わうべき感想はほとんど味わえてないんじゃないかなと思う。オフィシャルな身分を得たことに加え、意外にいろんな人がここを見ていることが最近分かってきたので、あまりあれこれ自由に書きづらくなってきたのだけど、その時々の感情や考えが失われる前に記録しておく場所としてこれからも細々と続けたい。

人生のストーリーを追究したいという非合理なこだわり

学部生時代から一貫して湖で研究を続けているのだけど、事あるごとに「海には興味ないの?」と聞かれてきた。確かに湖よりも海のほうが研究人口が多くて議論も盛んだし、就職での選択肢も多い。地球上の大部分を占める海の研究は単純に湖よりも成果のインパクトが大きいし、自分の技術的にも知識的にも、湖の研究で培ったノウハウを活かして海の研究に鞍替えするハードルは高くない。それでもこれまで、湖一本でやってきた。それは、たまたま環境がそうだったという理由もあるけれど、意図的に海の研究と距離を置いてきた側面も少なからずある。だけど、別に僕は海の研究が嫌いなわけではない。

 むしろ僕は、かつては毎日放課後に海辺で生き物を捕まえて遊ぶ小学生であり、もともと海洋生物の研究者になりたいと思っていた。大学に入って微生物生態学に興味を持ってからも、海の微生物生態学をやりたいと思っていた。ところが残念ながら、所属していた学部には「海」と「微生物生態学」を両方満たす研究室の選択肢が無かった。「琵琶湖」と「微生物生態学」であれば、興味に合いそうな環境があった。そんなきっかけで湖での研究をスタートすることになった。

 そこからは色々と発見に恵まれ、当初捨てきれなかった海の研究への未練も、成果が積みあがるにつれ薄まっていき、今は「湖の研究に出会えてよかった」と心から感じている。確かに湖は、海ほどスケールが大きくなく、研究人口も多くない。だけどその裏返しで、研究規模が手ごろで、競争が激しすぎないというメリットもある。そのおかげで、学生の段階から自分自身の力で最前線を切り拓いていく感覚を味わうことができた。自分で考えたテーマ、自分で考えた研究計画で、自分の好きなように研究をしていたけど、ちゃんと論文として成果を形にできたのは、環境と運に恵まれた側面もあったけど、やはり湖の研究だったからという理由が大きいと思う。海の研究から始めていたら、調べるべき先行研究の数も、調査に必要な資金や手続きの数も桁違いであり、おそらく、大きなプロジェクトの一員として参加させてもらい、与えられたテーマをこなしながら自分の専門性を磨いていくような形でやることになり、湖と同じように自由にやっていては成果がでなかっただろう。早くから自分の裁量で研究領域を開拓でき、自分なりの研究の世界観を持つことができた点については、湖に出会うことができた偶然に感謝するほかない。

 話は変わるけど、僕はこれまでの人生の岐路において、一般的な評価軸に従うことよりも、自分の人生のストーリーを追究することを優先してきた。受験で東大よりも京大を選んだのも、就活で外資コンサルを蹴って国内コンサルを選んだのも、高給会社員を辞めて極貧大学院生に逆戻りしたのも、「みんなが目指す場所に行くこと」よりも「今の自分に至るまでの偶然と考えの積み重ねを反映した選択」を目指した結果だった。今振り返って、これらの選択が合理的で最適解だったとは決して思わない。だけど、もう一度人生があっても同じ選択をしていただろうという点では、後悔のしようがない選択だった。

 同じことが、今の湖の研究に対するこだわりに対しても言えると思う。「海の研究をやればきっと楽しいだろうし、視野も可能性も選択肢もぐっと広まるのだろうな」というのは分かっている。だけど

海はデカいんだからみんなが研究して当たり前であって、今はそれよりも、偶然と運と自分なりの考えを積み重ねてここまで湖一本でやってきた自分のストーリーを追究したい

という非合理なこだわりとプライドが捨てきれない。それで、あえて海の研究には近づきすぎず、湖の研究に自分のリソースを集中させてきた。

 だから、そのこだわりをきちんと活かさなければならない。これはある人に言われて今でも心にとどめているのだけど、

自分の選択やキャリアは活きるものではなく、活かすもの

だ。自ら積極的に可能性に挑戦し、チャンスを拾っていかなければ、「やっぱ一般的な評価軸に従って無難に選択しておくのが正解だったね」という結論になってしまう。湖という研究系の特徴を活かしながら、海には真似できないアプローチで、大発見に繋がる研究を育てていきたい。

 一方で、もっと長期的に考えると、もともと海の研究者になりたかった自分の思いに立ち返るところまでが、自分の人生のストーリーなんじゃないかと思ったりもする。いつか、湖の研究で大成して一通り満足したところで、そのノウハウを引っ提げて海の研究に進出する、というのは面白いストーリーだと思う。なので、その将来を見据えて、今後はもうすこし海の研究にも取り組んでみてもいいのかもしれない。これからも偶然と縁と自分の考えの積み重ねを大事にしながら、この非合理なこだわりを追究していきたい。

申請書書きは嫌いじゃない

科研費シーズンということで来年度の申請書を書いていたのだけど、これまでの申請書類と比較して今回はかなりスムーズに書くことができた。今までは文章を書きながら考えたり文献を探したりということが多かったけど、今回は箇条書き状態でしっかりと煮詰めてロジックを完成させてから、一気に本文を書き上げる手法をとった。こういう方法ができるようになった背景として、経験値が高まってきて、

  • やりたいことがはっきりと分かっている
  • やりたいことに対する問題点(どこまでが分かっていて、どこが突破口になるのか)がはっきりと分かっている
  • 主張の根拠となる文献情報がはっきりと分かっている

状態になったことがあると思う。図表の入れ方に対するスタンスもこれまでの成功体験から自分流のやり方が確立できているので、頭の中にあったイメージを形にする作業時間だけで済んだ(会社員時代はアウトプットイメージを作るところまでが仕事であとは専門のスタッフさんがキレイな図にしてくれる世界だったので、この作業すら自分でやる必要はなかったのだけど)。文章や項目の構造やフォント、行間や罫線や余白の使い方も我流が確立してきた。ちなみに自分は、見た目やページ割をよくするために、行間を細かくいじる。1ポイント行間を変えるだけで余白をかなり捻出/削減できるし、段落前の行間や左右の余白の入れ方も読みやすさに大きく影響する。こういうミニテクを身に着けたことで、文章割りの迷いが少なくなったことも効率化に貢献している。

 日本語表現の使い方や文の切り方も、申請書っぽい言い回しがより自然に出てくるようになった感覚があって、この辺は何度も落とされながらも書き続けてきた経験が活きてきたのかなと感じる。とはいえ、よりシニアな研究者に文章を見てもらうとさらにこなれた表現になって返ってきて感心する経験もよくあるので、まだまだ未熟でこれからも改善余地があるのだろうなと自覚している。

 その他にまだ経験が足りないなと思ったのが、箇条書きを文章化したときの分量の見積もりだ。今回も箇条書きの段階でだいぶ煮詰めたつもりだったけど、文章化すると全然スペースが足りない。なので、そこから箇条書きに戻ってロジックを練り直す手戻りが発生してしまった。この辺はさらに経験を積んで一発で決められるようになりたい。

 申請書は研究の本体ではないのでできるだけ省エネで書き上げたいと思いつつも、なんだかんだで自分の頭を整理する良いきっかけになるし、少しずつ自分の文章テクや作業時間見積もりの正確性が向上していくのも楽しいので、定期的にやっておきたいなと思う。

デスクトップPCを導入した

 これまで2コア4スレッドCPU、8GB RAMの普通のモバイルPCで全ての作業を完結させていたのだけど、今回新たにデスクトップPCを導入して、解析環境を一新した。

 メタゲノム解析をするようになってから、ストレージもCPUもメモリも桁違いに要求されるようになり、今は大掛かりな解析はほぼスパコン上で完結させている。なのでこれまでは「手元のマシンには別にパワーは必要ない」という考えで、機動性を優先してモバイル1台に全てを集約していた。一方で「ローカル環境にももっとパワーが欲しい」と思うことが少なくない頻度であった。例えば

  • エクセルやイラストレーターでヘビーな作業をしたり、 フローサイトメトリーのプロットやゲノムブラウザで大量のデータを描画して流し読みしたいときに、動作がもたつく
  • Webブラウザのタブを大量に開くとすぐメモリが枯渇して動作が重くなる
  • スパコンでやるまでもないちょっとした作業(seqkitでfastaを触ったり、blastnでfasta同士を比較したり、小規模なアンプリコンシーケンス解析をしたり)を手元のWSL上でやるのに、CPUやRAMが物足りないことがある
  • 何より、強制導入させられているMcAfeeが重過ぎて、PCが使い物にならない時間が長すぎる(もはやアンチウイルスソフトではなくウイルスソフトではないかと思っている)

さらに欲を言えば、

  • 高速SSD塩基配列アミノ酸の大規模データベース入れておいて、ちょっとした配列検索くらいだったら手元で素早くできてしまう環境
  • 小規模データ・テストデータのアセンブリマッピングくらいなら手元ですぐに試せる環境

にしたいという考えもあった。

これまでモバイル1台でやってきて、マシンを増やすとデータの同期周りの面倒も発生するので、最初はモバイルを高スペックなもの(モバイルワークステーションと呼ばれるもの)に買い替えて、それ1台で全てを完結させる方向で検討していた。だけど

  • ハイスペックなモバイルはどうしても大型化してしまい、携帯性が損なわれる
  • 所詮モバイルなので電源や冷却やスペースの制約があって、デスクトップPCのスペックには遠く及ばない
  • 高額なモバイルを常に持ち歩くのは破損や盗難のことを考えると怖い

という考えから見送りになった。

 次にデスクトップPCで考え始めたのだけど、今度は困ったのが、モバイルと違ってスペックも金額も青天井なので、「じゃあどこまでの機能を要求するのか?」ということだった。ヘビーな解析はスパコンでやるので、本格的なワークステーションは必要ないし、そもそもそんな予算も無い。だけどせっかくデスクトップにするのだからモバイルワークステーションよりはハイスペックにしたい。一方で色々調べてみて気が付いたのは「デスクトップって思ったよりデカいな」ということだった。デスクスペースはできるだけ節約したいし、大きなケースを足元に置くような場所も無い。「中身は空間だらけなのに、ケースはやたらでかい」というPCはどうしても受け入れがたくて、おのずと「コンパクトとハイスペックの両立」という視点で品定めをするようになった。

 最初に候補に挙がったのはASUSのMini PC ProArt PA90で、タワー型で中身がぎっしりと詰まってそこそこコンパクトで、インテルの1世代前の高スペックCPU(Core i9 9900K)に、静音性の高い水冷のクーラーを搭載しているというのがポイントだった。一方で、自分には必要のないGPUを積んでいる分コストが上がっていること(GPUを使う解析は全てスパコンでやるつもり)と、それを差し引いても、同価格帯で明らかにスペックの高いPCが他に手に入るというコスパの悪さがネックで足踏みをしていた。

 で、さらにいろいろと見て回ったうえで、最終的にたどり着いたのが、LenovoのThinkStation P340 Tinyだった。

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片手に載るサイズのケースに、10コア20スレッドの最新世代のCPUと、64GB RAM、1TBと512GBの2枚の高速SDDが詰まっている。ポイントは、このサイズのPCに通常使われている省電力タイプ(TDP=35W)のCPUではなく、TDP=65Wの通常のCPU(Core i9 10900)を積んでいるという点。ちなみに、P340にはGPUを搭載するオプションもあるのだけど、GPUを搭載する場合は省電力タイプのCPUしか選べないようになっている。65WのCPUとGPUを同時に冷却するまでのキャパはないということなのだと思う。この「コンパクト化のためにギリギリを攻めている感」も決め手になった。ちなみに、HPやDellからも同様のサイズ・スペックのPCは出ているのだけど、コスパ的にlenovoが圧倒していたことと、昔からLenovo(というかThinkpad)ユーザーということもあって、迷う余地はあまりなかった。これで30万円を切っているのだからすごい。

 導入して1か月くらいが経つけど、全てが高速でとても快適になった。4Kのディスプレイで巨大なエクセルシートを無限スクロールさせても全く引っ掛からないし、リードのマッピングやblast検索を4 threads 4並列で回しながらWebブラウザのタブを大量に開いても何の支障もない。巨大なfastqファイル達をpigzで圧縮するのも、4スレッド時代の5倍以上の速度で終わる。メモリも64GBあれば、単離株のアセンブリとかなら手元で完結するし、シングルスレッドの性能が高いので、同じスレッド数ならXeonを積んだスパコンよりも早く終わる。塩基配列アミノ酸のデータベースも手元の高速SSDに入っているので、ちょっとした配列検索だったらblastのウェブサーバーに繋ぐよりも断然早い。

 心配していた冷却性能だけど、全コア(20 threads)フル稼働している時の挙動を見ていると、最初の数十秒は85Wくらいの消費電力で4.1GHzくらいで動いていて、その後は65W固定で3.6GHzくらいで動いていた。CPUの温度は最初一気に90℃くらいまで行くけど、その後は80℃前後で安定している感じ。使うスレッド数を少なくすれば、4.6GHzくらいで持続的に動くけど、消費電力は65Wで頭打ちになっていて、「CPU自体のスペックにはまだ余力があるけど65Wまでしか使わない」ような制御になっているのだと思う。これらの点で、スペックがさらに制限される35WのCPUにしなくて良かったなと思った。

 小さなファンで全力でCPUを冷却しているので、さすがにフル稼働していると結構うるさくて、ドライヤーを小さくしたような高い音が耳につく。たまにヘビーな解析をするくらいなら全く気にならないけど、長時間フル稼働するような使い方をする場合は静かな居室で使うのは少しためらわれるレベルだと思う。負荷がかかっていないときはもちろん静かで、たくさんウィンドウを開くとすぐにファンがフル稼働していた4threadsモバイルと比べれば、普段使いでの音は全然気にならない。あと、個体差だと思うのだけど、ファンがはずれだったようで、ケースを横置きにして使うと少しカラカラ音がするのが気になっている。そのうちなじんで消えることを期待して、当面は縦置きで使いながら様子を見ている。

 総じて、コンパクトになったことで感じている弱点はフル稼働時のファンの音くらいで、そこさえ気にならなければ、大きなケースのPCを選ぶ必要は一切ないのではと感じた。心配していたモバイルとの同期も、OneDriveが思いのほか優秀で何の問題もなく運用できている。悩んだ甲斐があって良い買い物ができたと思う。