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湖で微生物の研究してます

基礎研究を税金で支えなければならないのはなぜか?

税金を使って基礎研究をさせてもらっている研究者として、この問いに対する答えは常に準備しておかなければならない。

 そもそも人類の歴史の大半の期間において、基礎研究は金持ちまたは金持ちからの支援を受けた研究者が行うものだった。税金(=国の予算)で基礎研究を支えるようになったのは近代に入ってからだ。科学力が国力に分かりやすく直結していた世界大戦や冷戦の時代が終わり、学問分野の細分化や、情報共有の高速化・国際化が進む中で、「なぜ国のお金を使って基礎研究をやる必要があるのか?」ということが改めて問い直されている。

 この問いには様々な立場から様々な答え方ができるし、自分もあれこれと考えを巡らせてきた。で、今自分の中で一番煮詰まっている答えとして、

変化し続ける世界で正常な判断を下す余裕を持ち続けるため

に基礎研究を税金で支える必要があるのだと考えている。

 仕事でも人生でも、国の政策でも、人類の歴史でも生物の進化の過程においても、破滅を防ぐために最も恐れなければならない事態は「選択肢を失うこと」だ。「貧すれば鈍する」という言葉通り、選択肢を失って余裕がなくなると、精神的にも物理的にも正常な判断・望ましい選択を下すことが難しくなり、ますます余裕がない状況に追い込まれ、悪循環にハマっていく。一度失った選択肢を取り戻すのは、その選択肢を維持し続けることよりも、はるかに難しい。なので、選択肢を手放す事態を避けるためには、あらゆる手段を尽くす必要がある。

 どのような基礎研究でも、数年後、数十年後、数百年後のいつか、注目される日が来る可能性がある。電波が発見された当初は何の役にも立たないと思われていた話や、外来生物の侵入で突然その生物の専門家が引っ張りだこになるケースのように、基礎研究の成果が花開く事例は枚挙にいとまがない。ただし、いつどこで花開くのかは、誰にも予想できない。その時に備え、先人たちの技術や知識や文化の蓄積を絶やすことなく次世代に伝え、選択肢として維持し続けることが基礎研究の役割であり使命だ。宇宙の果てのある銀河のある星の研究も、ある環境のある微生物のある遺伝子のある現象の研究も、ある時代のある人物が書いたある書物の研究も、その成果がすぐに金銭的な利益を生み出すことが無いとしても、社会が取りうる選択肢を絶やさないために活動しているという点では、十分に「役に立っている」と言えるのではないか。基礎研究がもたらす「余裕」や「遊び」が無ければ、世界のトレンドが激しく変化していく中で、正常な判断を下し続けうまく立ち回っていくことは難しいだろう。先に書いたように、手放した選択肢を取り戻すのはとても大変で、基礎研究の蓄積も、一度でもやる人がいなくなって絶えてしまえば、再び同じ状況にまで取り戻すのは不可能に近い。なので、継続的・安定的にサポートする必要がある。だからこそ基礎研究を(財源の許す限り)国のお金を使って支える必要性があるのだろうと僕は考えている。

 ところで先に書いたように「貧すれば鈍する」は人生や仕事を含め、あらゆる場面に当てはまる言葉で、僕の座右の銘の一つだ。お金・時間・人間関係・健康状態に余裕があって初めて大局的で正しい判断ができるようになる。余裕が無くなって精神的・物理的に正しい判断が下せない状況に陥ることは避けなければならない。この1年の抱負として、リソースと仕事量のバランスをうまくコントロールしながら、長期的・根源的な視点から物事を考えられる状態を維持することに努力を払いたい。何より、来年の3月に迫った学振の任期切れの前に、物理的・精神的な余裕を持った状態で研究が続けられる目途を立てることが今年最大の目標だ。