yokaのblog

湖で微生物の研究してます

「自分が本当に明らかにしたいこと」は何か?

博士論文提出と公聴会を終え、8月の海外渡航以来ずっとバタバタしていたのがようやく一段落。溜まっているデータを論文にする作業にようやく手を付けている。次の論文を出すまでに時間がかかりそうなことは想定済みのことではあったけど、1年近く論文が書けていない時期が続いていたので、ここからはペースを上げていきたい。今はスイスでやった小ネタと、去年の夏に学会発表した琵琶湖ウイルスの大ネタ、それにPacBioを使ったアンプリコンシーケンスの新ネタの3本の論文を優先的に進めている。琵琶湖メタゲノムに関しては仮説を検証する実験の準備を進めているところで、アルプスの湖や池田湖・富士五湖で採ってきたサンプルのメタゲノムも、もうじきシーケンスデータが上がってくる。ラボのプロジェクトで進めている国内外の湖の追加調査でも論文に出来そうな結果が得られているのだけど、全然手が付けられていない・・・この1年は、新しいことをするよりも、進行中の仕事を終わらせてアウトプットを出すことに注力したいと思う。今年は論文がたくさん出せる年になりそうだ。

 ただその一方で、これからは「量よりも質」の姿勢をもっと出していかねばならないとも最近思う。その背景には、今自分が手を出している仕事の量があまりに多くて、一つ一つ丁寧にこなしきれていない自覚があるということもある。だけど一番大きな要因は、4月からのポスドクのポジションが得られて一安心できたことにあると思う。思えばここまでの研究生活、「早く良い論文を出すこと」で常に頭が一杯だった。もちろん、質の高い研究をしてきた自負はある。だけど、その研究は

いかに「効率よく」良い論文を出して生き残るか

という動機に支配されていた。特に僕は「頑張ったもの負け」だった会社員の世界から研究に戻ってきたこともあって、

効率良く成果を出す努力が業績という形で評価されて生き残りに直結する

というシステムの明快さそのものを楽しんでいたところすらあったように思う。だけど今、いよいよ学位を取って、任期付きではあるけれど研究者として認められて職が得られて、生き残れるかどうかの心配が少しだけ頭から離れるようになって、改めて考えるのは、

生き残りゲームで生き残るために研究をしているのではない。何のために研究をしているのだっけ?

ということだ。元々自然が好きだったとか、物事を根本から突き詰めて考えるのが好きだったとか、自分が研究に求めていたモノがあったはずなのに、いつの間にかそういう目的を思い出せなくなってしまうくらい、生き残ること、つまり効率的に論文を出すことが目的化しまっていて、論文にしやすい研究、論文にしやすいストーリばかりに目が行くようになっていたように思う。この夏の国際学会でポスター発表をしたとき、とある大物研究者から「君はその研究を楽しんでいるのか?」という質問をされて、「もちろんです、なぜそんな質問をしたのですか?」と聞き返して「いや、聞いてみたかっただけ」と言われるやり取りがあったのだけど、もしかするとあの時「成果を上手く魅せる」ことに必死だった自分が見透かされていたのかもしれない、と今になって気が付く。いつの間にか、自分のやりたいこと、知りたいことを純粋に追いかけているとは言い難い状況になっていたように思う。

 もちろん、お金を貰って研究している以上は仕事であり、成果を出す必要があって、論文にならない無計画な研究や、ビジョンの無い趣味のような研究をしても良いということではないと思っている。「お金がもらえるのは当たり前ではなく、そこにもっと責任とプライドを持つべきだ」という研究に戻ってきた当初に感じた違和感はずっと持ち続けておきたい。

 でもじゃあ、「研究者は何に対してお金を貰っているのだろう」ということを考えると、それは「明らかにすべきことを明らかにすること」に対してであるはずで、「論文を量産して生き残ること」に対してではない。知りたい真実に迫るために必要なのであれば、それがたとえ論文になりにくい道であっても、進まなければならない。成果は目的ではなく、真実を明らかにするための手段でなければならない。そして、手数をかけて真実に迫った研究はちゃんと評価される。幸いにも、今はそれを信じられる。だから、加熱しすぎた業績への執着を冷まして、忘れかけていた「自分が本当に明らかにしたいこと」を明らかにするために、もっとこだわって、もっと楽しんで、研究を進めるようにしていきたいと思う。

 先にも書いたけど、論文という客観的な成果でパフォーマンスが評価される研究者は、努力が正直に報われる蓋然性が高い、すばらしい職業だと僕は思っている。ただ問題はあまりの競争の厳しさに、生き残ることで頭がいっぱいになってしまうことだ。そして激しい競争の末に運よく生き残ったとしても、そんなに良い待遇が得られるわけでもない。僕は会社員を経験して、世の中で「どれくらいの能力があり、どれほどの成果をあげている人が、どのくらいの給料を貰っているか」という例を色々と見てきたけど、(基礎研究の)研究者ほど能力や成果に対して対価が低い職業はなかなか無いと思う。まぁ実際に儲からない(儲かるかどうかわからない)ことをやらせてもらっているのだし、誰かが辞めたところで、同じ給料で働きたいという人は山ほどいるのだから、それはしょうがないことだ。でもだからこそ、考えなければいけないのは、

こんなに儲からなくて厳しい環境で仕事をしているのだから、どうせならデカいことをしなければならない

ということだと思う。夢中になるべきは、目先の生き残りゲームではなくて、人生を賭して追いかけているはずの「自分が本当に明らかにしたいこと」であるはずだ。