yokaのblog

湖で微生物の研究してます

あと何本論文が書けるのか

 いろんなことに手を出しすぎて手に負えなくなってきている感があると感じる。限界を作るとその限界までしか出来なくなってしまうからできるだけ限界は作りたくないと思っているけど、出来ないことを出来ると思い込んでしまうことには不幸しかない。自分が今やっていることは想像以上に複雑で大変で時間がかかることだと自覚しないといけないのかもしれない。

 今やっている仕事をまとめるのですらこんなに大変で時間がかかっているのに、今後、構想している研究計画の一体どこまで手を付けられるのだろうか。学生の頃は「あれもこれも面白そう」で色々勉強して可能性を広げることに夢中だったけど、こうして実際に成果をまとめるのに必要な労力や時間を実感すると「1回の研究者人生で出来ることって本当に少ししかないのだな」と思う。

 そう考えると、新しいテーマに手を出すのにはかなり慎重にならないといけない。「面白そう」とか「論文になりそう」という程度の理由で目の前のトピックに飛びついていたら、面白くて分かってないことだらけのこの世界では、人生が何回あっても足りない。自分が持っているデータや、自分の能力や可能性、残された時間を総合的に考えて「どれが本当に一番面白くて意味のある問題なのだろうか」ということをしっかり考えたうえで、自分のリソースを投入しなければならない。

 そういう意味で、「自分はあと何本論文を書けるのだろうか」という思考から出発して、自分のやることを考えるべきなのかもしれない。年に1本のペースで1stの論文を書き続けるとして、自分が30代の間に書けるのはあと10本だ。その10本をいかにして面白くて意味のあるテーマに捧げるべきか。そう考えると、ふと「これ面白そう」と思いついた程度のテーマに気安く手を出すべきではなく、それにリソースを割くことによって失われる多くの可能性のほうに目を向けたうえで、「本当にこれは我が研究人生を代表する論文の一つにふさわしいテーマか」ということをじっくり考えなければいけないのだと思う。

 本当に、人生でできることは思っていたよりちょっとしかない。自分の限界を認めないほうが良いのは若い間だけで、残りの人生の戦略をしっかり立てるためにも、冷静に自分の限界を設定すべき年齢にもうなっているのだと思う。

 ・・・とここまで書いて「やっぱり自分は研究者らしくないな」と思う。そこに興味や情熱がないからだ。本当に自分の研究対象が好きで、そこに強いこだわりがあるのなら、こんなことを悩まなくとも今自分がやっていることに自信をもって取り組めて前に進んでいけるはずだ。僕は結局「研究」という行為やシステムが好きだ(というより「向いている」)から続けているのであって、研究対象自体にそこまで愛情や情熱があるわけではない。テーマが何であれ、研究ができるのであれば僕はそれを楽しめると思う。だから、最近改めて見せつけられている研究業界で生き残る難しさと、最近の自分自身への研究テーマや将来への自信の無さが組み合わさって、ついこういう厄介なことを考えてしまう。