yokaのblog

湖で微生物の研究してます

駆け出して2年目

 明日で博士号を取って今の場所に来てから1年、ポスドク2年目に突入する。この1年何をやっていたか・・・振り返ると、ひたすら学生時代に集めたデータを論文にする毎日だった。昨年の今の時点で、少なくとも論文3本分のデータが手元にあったのだけど、そのうち論文になったのは1本だけ。2本目は最も時間をかけてきた大作で、ようやく投稿に向けた最終段階の作業に入ってきている。といっても、まだ結構時間がかかりそうだ。データの量も質も、これまでに書いてきた論文とは桁違いすぎる。もともとこの論文を出すのには時間がかかるだろうと覚悟していたけど、ここまで大変だとは思っていなかった。そして、3本目の論文は、まだほとんど手つかずだ。というか実は去年、学会発表のネタにするために少しだけ分析を進めたのだけど、世の中の進歩があまりに早く、この半年少しの間に知見も技術もソフトも大きく進歩したので、ほとんどの分析はやり直しになる予定だ。技術の進歩が激しい業界に身を置くようになって、「中途半端に手を出して痛い目に遭う」ことの無いように気を付けなければいけないと思うようになった。

 そんな感じだったので、この1年、実験はDNA抽出くらいしかやっておらず、顕微鏡を覗いたのも1回か2回くらいしかなかったように思う。ほとんどの時間、パソコンの画面に向かって作業していて、微生物の研究をやっているのか、文字列(塩基配列)の研究をしているのか、良く分からない感じだった。

 ただそんな中でも、「1次データを集めて研究を差別化する」ことには必要性とこだわりを感じていて、つくばから毎月琵琶湖に通ってサンプルを集めたし、まだ行けていなかった国内の大水深淡水湖である支笏湖十和田湖の調査をすることもできた。やっぱり、野外調査は楽しいし、自分の研究の原点も野外で仕事ができることにあると思う。僕は常々、季節や天気の移り変わりを感じながら、何ならそれらに仕事の予定を左右されながら、ずっと外でやるような仕事ができれば楽しいだろうなと思っている。一日の天気や気温を知ることもなく、空調の効いた部屋で一日中パソコンに向かっているのがずっと続くとしたら耐えられない。だから、研究を引退したらキャンプ場とか釣り船とかを経営してみたいと思っている。

 一方で恐ろしいのが、野外調査をすればするほど、手に負えない量のデータがどんどん生み出されていくということだ。今の技術でも、1回の野外調査で得たサンプルを、思い切り深くシーケンスすれば、それだけで数年は色々な角度からそれを分析しながら論文を書き続けられるであろうだけのものが得られる。それなのに、サンプルは増える一方で、技術もますます進化して、データの質も量も恐ろしいことになってきている。実際、この1年の間で、先に挙げた論文3本分のデータの10倍を超える量のデータのシーケンスデータが新たに得られて未解析のままずっとハードディスクに眠っているし、さらにまだシーケンス出来ていないサンプルが次々と冷凍庫に溜まっていっている。一体これらのデータとサンプルを分析し終わるのは何年後になるのか、想像もつかない。すごい研究ができることだけは確信しているのだけど。

 こんな状況でこれ以上サンプルを溜めるわけにもいかないので、来年度からは湖の調査の計画も抑え気味にしていて、この1年以上にパソコンに向かっている時間が増えそうな気がしている。あまり嬉しいことではない。顕微鏡や、ウェット実験の仕事でもやりたいことはたくさんあって、試薬までそろえてあるものもあるのだけど、それらに手が付けられるのも一体いつになるのか分からない。税金(研究費)を使って準備までしたので、お蔵入りにしてはならぬぞという正義感が、頭の裏に残っていてじわじわとプレッシャーをかけてくる。

自分が今出来ることの中で、自分が今やりたいと思っていることの中で、自分が今やれば意味があると信じていることを選んでも、それを全てやろうとすると、絶対に人生が足りない

ということが、これまでになく確実な状況として自覚されている。お金があれば人と手分けをして取り組むこともできるのかもしれないけれど、今の自分にはそのような実力も魅力もない。だから、「やれば確実にうまくいくこと」であってもそのほとんどに手を付けることができない、という前提の上で、自分が残りの人生で書ける限られた論文の本数を、どのテーマにどれだけ割り当てるのか、ということを考えないといけなくなっている。そのためには、それぞれの論文を最高に面白くて重要で妥協のない最高傑作にすることはもちろん、自分が出していく一連の論文の流れが最終的に作り出す、「一人の研究者としてのストーリー」まで想像しながら考えないと、決断を下しきれないと思う。とはいえ、そんなものが最初から見えていたらそもそも研究する必要も面白さもない。分からないことだらけなのにどんどん新しいことが分かっていくこの世界の変化に素早く反応して、自分ができることを見極めながら軌道修正しつづけていく柔軟性が必要なのだと思う。当たり前のことを言っているだけなのだけど、この1年を振り返り、次の1年を想像しながら、改めて強く思い直したところだ。