yokaのblog

琵琶湖で微生物の研究してます

研究でお金がもらえるということ

賛否ありそうですが、今日はちょっと強めの主張を。

 ポスドク問題つまり、アカデミアでポストが無くてなかなか定職が見つからない、という話は、もう10年くらい議論されている話題であり、そこでよく槍玉に挙げられるのが「受け皿を増やさないまま博士を増やした政策が間違いだった」というその構造的な問題だ。だけど僕は、これは外部要因だけではなく、研究者側にも原因があるではないかと感じるようになってきた。あらかじめ断っておくと、これは別に、定職にありつけない人が問題を抱えていると言いたいわけでも、「自分は違う」と言いたいわけでもない。死ぬほど優秀なのに職が見つからない不遇な人もいると感じるし、分野によって大きく事情が違うだろうし、単純に一般化できない問題であることは承知だ。それでも僕は、往々にして(見ていて我慢ならないくらい)研究者(とくに基礎科学分野の人たち)に不足しているものがあると感じている。それは

お金を貰って研究をしているという自覚と覚悟と自負 

 だ。個別具体的に書くのは腹も立つし止めるけど、「好きなことやってお金貰えてラッキー」くらいにしか思っていないのではないかと思われることが本当に多いと思う。学生とか若手とか教授とかに関係なく、全ての層の研究者にそういう意識の人が一定数存在していると感じる。

 お金を貰うということは、本当は、本当に死ぬほど大変なことだ。「お金を払いたくない」と思っている相手に「お金を払っていい」というハードルを超えてもらうことは、すごく難しい。会社員時代、利益目標が高すぎて社員が疲弊し、仕事の質が落ちていると感じて、上司に「利益利益って、そんな儲けることばっかり考えてたら本末転倒じゃないですか」という趣旨で噛みついたことがあった。その時返ってきた答えは「これくらいのつもりでやっても、結局ギリギリ黒字だったりするもんだ」というものだった。そしてその後実際、そうなった。日夜「儲かること」を考えて考えて死ぬほど考えて、それでやっと死なずに済む。実際に死んでしまった例も山ほどあるはずだ。お金を頂くというのはそれくらいシビアなことだと思う。相手が何を期待しているか、「お金を払っていい」というハードルを超えてもらうにはどうしたらいいか。これを常に考え続け、場合によっては「困っている人よりお金持っている人を相手に商売しなければならない」とか「質を下げて量で稼ぐしかない」みたいな葛藤とも戦いながら、現実を生きていく。「やりたいこと」なんてものは二の次で、やりたいことが求められることと一致するなんて偶然は本当に運が良くないと起こらない。厳しいけど、これがお金を貰って生きるということだと思う。

 一方で研究者は、成果が数字として見えにくい仕事をやっていることもあって、往々にしてこの「お金を貰っている」というシビアな意識が足りないのでは、と感じる。自分の将来の研究に対して、前払いでお金を頂けているなんて、いかにとんでもないことか。利益に直結しない研究にお金を出す決断を下すことが、その正当性を周囲に説明することも含め、どれだけ勇気がいり、労力がかかり、善意に満ちたことか。給料と研究費をいただいている全ての研究者は、(自分で稼いだわけではない)貴重な資金を投資していただいているということを自覚し、自分に課せられている期待や責任をもっと具体的に意識し、重く感じながら、それに応えるべく全力で研究をすべきではないだろうか。細かいことを言うと、僕は研究費が「当たった」という言い方も、お金の出し手の期待を踏みにじる失礼な言い方だと思う。研究費は「運が良かったら貰える好きなことに使えるお金」では決してない。

 僕はこのような研究者側の意識の低さが、ポスドク問題をはじめとする、自分たちの首を絞める結果につながっているのではと思う。具体的には、世間の評価の大多数がいまだ残念ながら

世の中のためになる凄いことをやっている研究者にはもっとお金を出すべき

ではなく

好きなことやってんだからお金貰えてるだけありがたいでしょ

なのは、研究者自身、「世の中のためになる凄いことをやっている」というより「好きなことやっている」意識でいることが一因にあるのではないかということだ。もっと、「こんなに凄いことをやって世の中に貢献している、自分たちがいなくなったら困る、だからもっと自分たちに投資してほしいし、それに応えて成果を出す覚悟があります」という主張ができるくらいの意識でやらなければならないのではないか。そうでないのなら、お金やポストを削られても文句は言えない、というのが客観的な当然の見方だと思う。

 世の中が合理的になっていけば行くほど、お金を頂くということのハードルはどんどん上がっていくし、声をあげないところから予算はどんどん削られていく。だけど、悲観するばかりではなく、声をあげることで世の中が動くこともある。だから、いつでも声をあげられるくらいの自覚と覚悟と自負をもって、研究しないとダメなんじゃないだろうか。と、これは最近の保育士のあれこれをみても感じたことだ。

 なんて、偉そうなことを書いたところで、ちょうど再投稿した論文が再びリジェクトで帰ってくる事態で絶賛自信喪失中。とても「もっと俺に投資しろ」と言えるような状況ではありません・・・アウトプットが無いやつに偉そうなことを言う資格はない。はい、頑張ります。