yokaのblog

琵琶湖で微生物の研究してます

学生最後の1年

 今日から新年度、博士課程も残り1年を切った。会社を退職して研究に戻ってきて2年、ここまでは研究の勘を取り戻すことに必死だったけど、だんだんこの生活が当たり前になってきて、良い意味でも、悪い意味でも、緊張がほぐれてきた気がする。

 研究に戻ってくる前から重々分かってはいたことだけど、研究者の将来はとても厳しい。しばらく研究していれば具体的なキャリアパスが見えてきて前向きになれるかとも思ったけど、むしろ世知辛い話を直接耳にする機会が増えて、ますます自分の将来を案ずるようになった。僕には、嫌なことが起こりそうになったら、最悪を想像することで予防線を張って、いざその事態が起こった時の精神的ダメージを軽減するような本能が備わっている。だから、研究に復帰するために無我夢中だったフェーズが終わった今、あまり将来に期待せず、いつ辞めることになっても良いように、淡々と研究に接するようになったと思う。

 もちろん研究は楽しいし、毎日本気でやっている。僕は今の仕事が自分に合っていて、前職を辞めて戻ってきて良かったと心の底から思っている。だけど、全身全霊で研究を愛することはしない。

「自分には研究しかない」と思うことをしなくなった

というほうが分かりやすいかもしれない。研究が続けられなくなったときの精神的ショックが怖いし、研究にしがみつくために不利な選択を強いられることが嫌だからだ。この点は、会社を辞めて「これからは命懸けで研究に身をささげるのだ!」と意気込んでいた2年前とは明らかに考え方が変わった。

 研究に対する情熱が無くなったということではない。むしろ、研究は当初の想定以上に色々なことが分かってきて、ますます面白くなってきている。変わったのは、本気で研究を楽しむ自分の上に、もう一段メタな自分を置くようになった、ということだと思う。

「本気」から「淡々と本気」になった

と言ってもいいかもしれない。冷めた目の自分が、没頭しすぎないように常に監視している。もっと言うと、

別に研究以外でも本気を出そうと思えば出せるし、何ならいつでも辞めてやるぞ

と思いながら研究している。というか、そう思うことで安心を得ようとしている。

 こういう考え方の人間は、業界には歓迎されないだろう。それは、何か業界全体にとって不利な出来事があった時に、皆で一丸になって抵抗しようとせず、手のひらを返して真っ先に逃げ出してしまうからだ。だけど、色々考えてみたけど、元来悲観的な性格の僕は、常に研究を見限る準備をした状態で研究を続けることでしか、この厳しい業界で心の安定を得る方法がないのだと思う。

 もちろん、続けるからには本気でやるし、行けるところまで行きたいと思う。こうやって偉そうなことを書いているけど、今の自分は業績的には研究業界から見たらゴミ以下で、いなくなったって全然困らない存在だ。学生最後の1年、もう少しで良い論文が出せそうだし、次の研究の面白いデータもたくさん出ているし、海外にも長期滞在する予定で、D論を書いて、将来を決めなければならない。長い一年になると思う。引き続き、淡々と本気で頑張りたい。