yokaのblog

湖で微生物の研究してます

自分だからできる研究とは?

 先日本屋に立ち寄ったら、機械学習人工知能の技術書が山積みになっていた。数年前に比べて、これらの言葉は確実によく耳にするようになったし、つい先日ニュースになっていた、碁でプロがコンピューターに負けた話のように、少し前の人々の想像をはるかに超えるスピードでこの分野は進歩している。たったのここ20年で、人々の生活や判断基準がインターネットに依存するようになり、しかもそれをほとんど意識することなく世界が受け入れてきてしまっていることを考えれば、近未来のアニメや映画で出てくるような、自分の意思なのかコンピューターの判断なのか分からない人生を歩むのが当たり前になる日は、たぶん自分が生きている間に来るのだろうな、と想像する。

 このような新しい市場、新しい世界を作り出すことへの期待が、今の機械学習人工知能の分野の盛り上がりにつながっているのだと思う。お金儲けができる可能性があるとなれば、民間から研究費が投入され、研究人口は増え、その分野はますます発展する。そして、Googleが碁でプロを倒すことになり、機械学習人工知能の技術書が、一般の本屋の一角を占領することになる。

 一方で、本屋でその光景を見て、僕が思ったのは、「これがもし自分の研究分野で起こったら?」ということだ。注目を浴びて、研究人口が増えて、情報が増えて、参入障壁が下がれば、競争が激しくなる。見返り(儲け)に対する、競争で勝つ期待値が採算を割るまで、人は増え続けるだろう。そうなれば、差別化できる技術やスキルを持った人々以外は、いずれ生き残りをかけた競争にさらされていくことになる。

 基礎研究(いわゆる儲からない研究)をやっている人たちは、これを考えてみる必要があるのではないかと思う。端的には、

ある日突然、自分の研究分野に世間の期待が寄せられるようになり、新参が大量参入してきたとき、それでも自分は今の分野でリードし続けていられるだろうか?

ということだ。もし自分が、今の研究分野をリード出来ているのが「他にやる人がいないから」という理由のためでしかなかったら、果たして自分は「研究者やってます」と胸を張って言えるのだろうか。税金を原資にした研究費を受け取る資格があるのだろうか。

 正直、僕が今やっていることは、僕自身が数か月で学べてしまったように、誰もが数か月で学べ、手を付けられることでしかない。顕微鏡で細菌を染めて数える。PCRでDNAを増やす。16Sシーケンスの結果をマッピングする。Rでグラフを描く。これらは、今僕がアウトプットを出すためにコアに使っている手法でありながら、訓練さえすれば、誰もがすぐできるようになることだ。最近怖いなと思ったのは、手を付け始めたばかりのゲノムアッセンブリですら、数日でそれなりの結果が得られるところまでできてしまったことだ。バイオインフォマティックスのソフトの充実は、学問として成立するレベルに複雑だった分析を、野原や湖上を駆け回る生態学者にまで普及させたと同時に、差別化のハードルをさらに高くしてしまった。分子生物学で使われる、様々なお助けキットや便利ツールの登場も同じだ。もはや何をやれば「自分だからこそできる」と言えるのか分からない。

 では「自分の学問分野は一生マイナーで儲からないままのほうがいい」と考えるべきか。それは違うと思う。研究者は、自分の研究が世間の注目を浴びる日を自信満々に待ち続けているべきではないか。たとえどんなに基礎的な研究をしていたとしても、社会とのつながりを想像したり説明したりできない人間は、税金で研究してはならないのではないか。

 「誰もやってないから自分が研究できている」のではなく「自分だからこの研究ができているのだ」と思えるようになりたい。じゃあどうすればいいのだろうか。もし、環境微生物の研究から凄い発見が次々と見つかり、人工知能機械学習みたいに大ブームになり、誰もが本屋で買った入門書を片手に取りながら、顕微鏡やPCRやNGSを使いまくる日が来たとしたら、自分はどうやって差別化を図ればいいのだろうか。

 と、ここまで書いたけど、僕自身もこの問いに対する答えはまだ見つけられていない。ただ、一つ思うのは、「技術」よりも「モノの見方・考え方」のほうが、圧倒的に模倣されにくいし、差別化しやすいのではないかということだ。

 知識・技術を身に着けることはもちろん重要だ。まだまだ自分自身、全然基本が分かっていなくて、「調子に乗っていたけどまだ博士課程1年目だったな・・・」と思うことが日々ある。知識・技術ですら、まだ一人前になれていない。だけど一方で、心の底では、「今自分が学んでいることは誰かが学んでも同じスピードで習得できることでしかない、大したことない」という心を持ちつつ、「本当に大事なのは、何が本当の問題なのかをきちんと見極める視点だ」ということを考えておかなければならないと思う。

 難しいと思っていたことが次々とできるようになっていくことに、自信ではなく、不安の思いを強くしている。「自分だからできる研究をやっている」という、本当の自信を早く持てるようになりたいと思う。