yokaのblog

湖で微生物の研究してます

研究者は芸術的な職業かもしれない

 最近ずっと論文を書いている。自身3本目の論文で、博士課程の研究のメインの成果になりつつも、僕の今後の研究のベースにもしたいと思っている論文だ。今回は計画段階から練り込むことができた研究なので、なかなかこだわりの強い内容に仕上げられたと思う。

 科学論文は客観的でなければならないように見えて、実は全然客観的ではない。同じテーマでも、仮説の立て方、実験デザイン、結果の見せ方、文章の組み立て方といった研究者の味付けにより、全然内容が変わる。材料(客観的データ)に手を加えてはならないこと、冗長にしてはならないことを除けば、あとは小説を書くのとなんら変わりないのではないか。なので、研究者は実はかなり創作的・芸術的な職業なのではないかと思う。もちろん納期や予算に追われて「乗り越えること」「こなすこと」が必要とされる場面もある。だけどそれでも、世の中の大多数の仕事に比べればはるかに穏やかで、「こだわること」「やりすぎること」に寛容なのが研究だと思う。これは幸せなことだ。

 もっと言えば、個々の論文が芸術的であるだけでなく、その集合体である「自分の研究人生を成す一連のストーリー」自体が、とても創作的で芸術的なのではないかと感じる。大成した研究者というのは、偶然客観的な大発見に恵まれたというよりは、個々の論文を積み上げながら構築したこだわりのストーリーを一つの学問分野と呼べるレベルにまで成長させ、周りを巻き込みながらその価値を高めて、気づいたら第一人者になっている、というような人がほとんどではないだろうか。研究者は、自分の研究やそれに懸ける人生自体を自分でデザインすることが求められる、この上なく芸術的な職業、というのは言い過ぎだろうか。こんな自由な夢を見ていられるうちが華なのかもしれないけれど。

 ・・・と、一通り書いた後に「同じような事を言っている人はいないかなー」と思ってググってみたら、寺田寅彦先生の名文が出てきたので、リンクを貼っておく。→ 寺田寅彦 科学者と芸術家

10月びわこ

 月例の琵琶湖調査に行ってきた。今朝の気温は13℃。そろそろ深層の水(8℃)を触っていると手がかじかんでくる季節。クーラーボックスの保冷材の数を減らせるのはいいのだけど。

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 水温は23.0℃、透明度はさらに下がって5.5mで、湖も実りの秋。まだ水温が高いのか、植物プランクトンは緑藻中心で、顕微鏡で確認するとStaurastrumやMicrasteriasが多いみたいだった。もっと水温が下がればAulacoseiraやFragilariaといった珪藻が出てくるはずだ。

 僕が研究対象とする深層の細菌達もこれから最盛期を迎える。春から深層に溜まり始めた有機物や栄養塩が、1~2月に成層が崩れる直前まで蓄積しつづけるのだけど、彼らはそれを利用する細菌群なのではないかと僕は考えている。

 今日の深層の細菌数は1.4×10^6 cells/ml、ウイルス数は3.5×10^7 particle/ml。例年通り、CL500-11(C字型の細菌)が多くなってきていることが確認できた。分裂中のものも多く見られて、まさにぐんぐん増殖中のよう。

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 こいつらがどのような特徴を持った微生物で、生態系でどのような役割を果たしているのか。これから冬にかけて、重点的に深層のサンプルを集めて明らかにしていくところだ。

専門分野をもつことで興味の対象が広がる

 これまでの人生で進路に迷った時、僕は常に「つぶしのきく」ほうを選ぶようにしてきた。自分は何が得意で、何か好きなのか。どの道が先まで続いていて、どの道が途中で途切れているのだろうか。やってみなければ分からない。分からないのであれば、選択肢は最大化しておいたほうがいい。そう思って、高校・大学・大学院・就職・今の研究に至るまで、僕はできるだけ可能性を殺さないように「つぶしのきく」選択肢を選ぶようにしてきたし、できるだけ好き嫌いせず、幅広いものに興味を持つようにしてきた。

 今自分自身を振り返っても、若いうちはそれで正解なのだと僕は思う。だけど、いつまでも専門分野を持たないわけにはいかない。いい歳をして「何でも屋」でいると「何にもできないけど何でもやらされる」という不遇を受ける。やっぱり、歳を取るにつれて自分の専門分野を確立し「求められる人」になっていかなければならない。

 僕自身もようやく最近になって「これで生きていくんだ」という専門分野が定まりつつある。それは選択肢を捨て、視野を狭め、可能性を減らす、苦しいことだとこれまで僕は思ってきた。だけど実際にそうなってみると、どうも違う。確かに選択肢は捨てるのだけど、それによって逆に視野や可能性は広がったように感じる。自分の専門分野が確立してくると、それをハブにして物事を考えるようになる。そうすると、ただ闇雲に「あれもこれもやりたい」と思っていた時代に比べて、積極的な目的をもって外部の情報をとりにいくようになる。義務的に「アンテナは広く張っておきゃなきゃ」と思っていたのが、「自分の専門性を活かせる場所はないか」「自分にないものを持っている人はいないか」という具体的で主体的な目で、他分野の事を見るようになる。だから、以前よりも幅広い情報に触れるようになったし、興味の対象が広がった。

 専門を深めることで、視野は狭まるのではなく、むしろ広がる。専門家の視野を狭めているのは「選択肢を捨てたからこその必死さ」の欠如なのかもしれない。 

9月琵琶湖その2

 琵琶湖に行ってました。先月から一変、ひたすら雨が降り続けたおかげで洗堰も久しぶりの全開放流で、湖の水もかなり入れ替わった模様。

 水温25.0℃、透明度は6.0mで秋の植物プランクトンの季節になってきた。最近調査・出張に行き過ぎて実験・論文が進んでいないのがストレスになっていて、気持ちがのらず、こなす感じの作業になってしまった。それでもボーっとしていると取り返しのつかないミスがあるから気が抜けない。疲れる。

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いつも船の移動時間は船室でパソコン作業をしているのだけど、ブタクサ花粉の猛攻もあって今日は心身消耗していたので、ボーっと秋の風にあたりながら帰還。

明日からまたしばらく雨の予報。良い日に行けてよかった。

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9月琵琶湖その1

今日は琵琶湖に行ってきた。琵琶湖に行く日はずっと晴れていたのだけど、今日は久しぶりの雨。

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雨の影響か表面水温はだいぶ下がって26.5℃。透明度も6.4mまで低下していた。

 船上濾過システムもかなり改良が進んできて、採水から20分で10L の水を処理できるようになった。サンプルはその場で氷漬けにして持って帰るので、鮮度もバッチリ。

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連日の調査でさすがに疲れた。そしてデスクワークがなかなか進まない。

 最近思うのは、フィールド調査ってかなり高い投資だなってこと。準備・片付け含めて全工程を通算すると、非常に時間と手間がかかっている。その時間があれば分析や論文書きがどれだけ進むかを考えると、失うものは結構大きい。なので、その投資を回収できる勝算があるのかどうかを本当に考えて、できるだけローコストハイリターンになるように調査に出なければならないと思う。確かに、現場にできるだけ出て観察事例を増やし、緻密なデータをとってこそ生態学だという意見も分かるし、採り逃しが怖いからできるだけたくさん採っておきたいという気持ちも分かる。それでもやっぱり、データ数を増やすことのメリットや、採り逃しが発生するリスクを冷静に評価して、それが調査に必要なコストを投資するに見合うのかどうかを計算しきる計画力が無ければダメだと思う。無限にリソースがある大金持ちなのであれば話は別だけれど、残念ながら、自分の時間も、税金から捻出される研究費も給料も、タダではない。その中で効率的にアウトプットを出すしかない。現場に行くことは楽しいし、生態学研究の本分なのだけど、機会損失と引き換えに来ているのだという意識は忘れないようにしなければならないと思う。

本栖湖・西湖調査

富士五湖本栖湖(水深121m)・西湖(水深71m)の深層の水を採りに調査に行ってきた。

年々きれいになっていく本栖湖、今回の透明度なんと20m↓

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透き通った湖は海の色ともまた違う、不思議な色をしていた↓

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続いて西湖へ。手漕ぎボートだったので最深地点にたどり着くだけでも汗だくになった↓f:id:yokazaki:20160910161152j:plain

深層からたっぷりと水を採ってきて、陸に戻ってきたらそのままサンプル処理。出張ラボの様子↓

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昨年の調査でこれらの湖の深層には面白い微生物がいそうなことが分かったので、今回はそいつらに焦点を絞り込んで、ピンポイントで大量採水をするのがミッション。なかなか行けない場所に自分で足を運んで、そこに出てくる生き物を調べて、レアなものを見つけて喜ぶっていうポケモンマスター的な仕事だ。

ISME@モントリオール

 カナダのモントリオールで開催された国際微生物生態学会(ISME)に参加してきた。街の中心部にあるカラフルでおしゃれな会議場で開催。

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 今回はラボからは自分一人の参加だったのだけど、1年ぶりに会った海外の研究者や、現地で会った日本人研究者と一緒に行動できた時間がけっこうとれたので、一人ぼっちになることもあまりなくてよかった。

 学会の中身にも大満足で、話したいと思っていた人とは一通り話すことができたし、自分の研究発表に対する好感触も得られた。そしてやっぱり、近い分野の人たちのまだ論文になっていない成果が見られるというのが最高に面白い。最近論文出てないなぁと思っていた人が裏で大仕事を進めていたことが分かったり、最近出たばかりの論文が次なる研究の布石であることが判明したり、有名研究室の新しい学生が面白い研究を始めていたりと、自分も頑張らなければと思うことがたくさんあった。

 近い分野だけではない。あらゆる微生物生態学者が集結するこの学会はポスター会場の全貌を把握しきれず、回りたいポスターの番号をメモしておいても時間が足りないくらい巨大な学会だ。淡水に限らず、海洋だったり、嫌気環境だったり、新手法の開発だったり、色々なテーマでセッションが組まれ、しかも各分野の大物がパラレルで講演をするので、どれを捨てるのか本当に迷ってしまう豪華なスケジュール。そして大物が勢ぞろいしていることで、

誰がトップを走っていて、どんなことが最先端で、次は何が解決すべき問題なのか

という情報が、ものすごく効率的に得られる。特に「誰が」という点がとても大事だということを今回感じた。やっぱり、研究は人ベースだ。同じ研究対象を扱っていても、研究の味付けの仕方は人によって違う。その味付けが自分の好みに合うかどうかというのももちろんあるけど、やっぱりその人が「何を疑問に思って研究をしているのか」ということが、その味付けの良しあしを決めているように思う。言い換えると「良い問いを立てられているか」ということだと思うのだけど、良い問いが立てられている研究者は、一連の研究が一つの壮大なストーリーに乗っているので話が分かりやすいし、追究の深さも半端ではない。なので、個々の論文に対して「こういう研究がある」という覚え方をするよりも、個々の研究者に対して「こういう研究をやっている人がいる」という覚え方をするほうが、効率的にトレンドを追えると思った。やっぱり、こういう大きな国際学会には定期的に参加して、誰が何をやっているのかを、その人を実際に目の前にして確認するというのは大切なことだ。

 ちなみに中日の前日の夜の懇親会は、研究者たちが爆音で踊り狂うという、日本では絶対に許されなさそうなチャラいパーティーだった。僕はこういうノリにはついていけないので、後ろからその様子を観察しているだけで満足だった。

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 そして中日は海外の研究者に誘われて植物園へ。見たことない植物が色々いて面白かったのだけど、一番面白かったのは葉っぱに穴が空いている植物。下の葉にも日光が当たるようにするための仕組みらしく、上の葉になるほど穴の大きさが大きくなっていくらしい。

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 学会終了後は、飛行機までに時間があったので、レンタルサイクルを借りて、慣れない右側通行でモントリオール市内をサイクリング。

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セントローレンス川を渡る橋。五大湖の流出河川という意味では瀬田川と同じ位置づけだけど、桁違いに大きかった。そしてそのでかさで意外に急流なのに驚いた。瀬田川とは全く別物。

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↑川と運河を隔てる中州のサイクリングロード。信じられないくらい長い距離の舗装された車のいない信号のない道。自転車が好きな人にとっては天国。

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↑最後は山登りもして、市内を一望できる場所へ。結局、かなりの距離を走った。こういうのは自分のペースでやりたいから、一人でないとなかなかできない。

 そして日本に戻る飛行機の中からはミシガン湖が見えた。これは北端の一部だけど、信じられないくらいでかい。このでかい湖の深層にも、琵琶湖で見つかったのと同じ系統の細菌が、びっしりと生息しております。すごすぎる。いつか水を採りにいきたい。

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 しかし、とても疲れた。気候も食事も言語も違う場所に一人で乗り込んで、心身ともにかなり消耗した。本当に一大イベントでした。