これまでの人生で進路に迷った時、僕は常に「つぶしのきく」ほうを選ぶようにしてきた。自分は何が得意で、何か好きなのか。どの道が先まで続いていて、どの道が途中で途切れているのだろうか。やってみなければ分からない。分からないのであれば、選択肢は最大化しておいたほうがいい。そう思って、高校・大学・大学院・就職・今の研究に至るまで、僕はできるだけ可能性を殺さないように「つぶしのきく」選択肢を選ぶようにしてきたし、できるだけ好き嫌いせず、幅広いものに興味を持つようにしてきた。
今自分自身を振り返っても、若いうちはそれで正解なのだと僕は思う。だけど、いつまでも専門分野を持たないわけにはいかない。いい歳をして「何でも屋」でいると「何にもできないけど何でもやらされる」という不遇を受ける。やっぱり、歳を取るにつれて自分の専門分野を確立し「求められる人」になっていかなければならない。
僕自身もようやく最近になって「これで生きていくんだ」という専門分野が定まりつつある。それは選択肢を捨て、視野を狭め、可能性を減らす、苦しいことだとこれまで僕は思ってきた。だけど実際にそうなってみると、どうも違う。確かに選択肢は捨てるのだけど、それによって逆に視野や可能性は広がったように感じる。自分の専門分野が確立してくると、それをハブにして物事を考えるようになる。そうすると、ただ闇雲に「あれもこれもやりたい」と思っていた時代に比べて、積極的な目的をもって外部の情報をとりにいくようになる。義務的に「アンテナは広く張っておきゃなきゃ」と思っていたのが、「自分の専門性を活かせる場所はないか」「自分にないものを持っている人はいないか」という具体的で主体的な目で、他分野の事を見るようになる。だから、以前よりも幅広い情報に触れるようになったし、興味の対象が広がった。
専門を深めることで、視野は狭まるのではなく、むしろ広がる。専門家の視野を狭めているのは「選択肢を捨てたからこその必死さ」の欠如なのかもしれない。