yokaのblog

湖で微生物の研究してます

摩周湖調査

 国内の大水深調査シリーズの中でも屈指の難度と位置づけていた摩周湖の調査がついに実現した。摩周湖のデータ自体は、博士課程論文のデータにも入っていてすでにpublishされているのだけど、この時は自分は採ってきてもらったサンプルを共有してもらう立場で調査には参加しておらず、微生物組成の解析も16S rRNA遺伝子アンプリコンシーケンスのサンプル量・解像度でしか行えていなかった。創発事業で進めている、全国の大水深湖のディープなショットガンメタゲノムデータを集める研究の一環で改めて調査に行きたいというのはずっと考えていたのだけど、摩周湖は無許可で立ち入ることができず、継続的に行われているモニタリング調査の枠組みに参加させてもらうのが唯一の手段で、長らくその機会を模索していた。そしてついに、色々なご縁があり、8月末に行われた今年度の調査への同行が叶った次第だ。

 摩周湖の調査が困難な理由は湖畔に道路が一切なく、標高差200mの山道を機材やサンプルを担いで上り下りするしかアクセスの手段がない点にある。本調査をリードしているのが、国立環境研で行われてきた調査を引き継いで、地元の自治体が中心になって立ち上げた「摩周湖環境保全連絡協議会」なのだけど、そこが出しているYouTube動画を見れば、調査の険しさが分かるかと思う。

準備からして今までの調査とは全く異なっていて、この調査のために、背負子やソフトクーラー、クマ鈴などを調達。背負子に50Lの折り畳みコンテナを装着して機材やサンプルを輸送する作戦だ。

 出発1週間前ほどから天気予報を気にしながらソワソワしていたのだけど、悪い予報が変わらないまま出発の日を迎えてしまう。調査ができない可能性も十分にありえる状態で北海道に向かうことになり、あまりテンションの上がらない初日を過ごした。翌日は準備と協議会の方々との打ち合わせがあり、道中の展望台から眺めた摩周湖がこちら。

 京都が連日35℃を超えているなかで、ウインドブレーカーが必須な寒さと風。湖面は霧で一切見えない。重い気持ちのまま、早朝出発に備えて早めに寝床につく。

 翌朝、集合場所へ向かうと、協議会の方々をはじめ、地元や全国の研究機関や大学から集まった研究者、取材で来た記者など、総勢30名以上の大隊。採水器などの機材を運搬してくれる方のほか、機材のメンテナンスを担当される方なども同行していて、この調査が本当に多くの方々の尽力によって成り立っていることを実感した。雨も風もだんだんひどくなるという予報で、午前勝負で湖岸に降りるという方針に決まる。

 いよいよ崖下りが始まり、クマ除けの音を出しながら下っていく。場所が特定できる写真は載せてはならないので、差し支えないものを1枚だけ載せると、このような感じで、はるか下に湖面が見える急斜面を下っていく。

始まってすぐに、想像以上の斜度に、「あ、これは帰りはやばいな」ということに気が付く。湖水を持って上がるので、行きより帰りのほうがしんどいはずだ。コケて怪我して動けなくなるのが最悪なので、足を滑らせたりひねったりしないよう、注意しながら下っていく。無心で下っていると、大体想像通りの時間と距離で湖岸に到着。この点は少し安心した。すでに沖合には白波が立っており、調査が予定通り行えるかは難しい情勢。今回は船舶免許保有者ということで、自分がメインの船の操船を任されることになっていたのだけど、このように荒れた状況で出なければならなくなることは想定しておらず、緊張が高まる。たくさんの人たちが準備に参加してくれ、あっという間に準備が整い、離岸する。

ここからは全く写真を撮る余裕がなかった。出船してすぐに、大きな向かい波をまともに受けて全員びしょ濡れになり、波を1つ1つ見ながら運転しないとダメな状況であることに気づく。そこからは3時間ほど、常に波を読みづつけて操船し続ける状況だった。全速力が出せない中、数十分かけて何とか採水地点にたどり着き、CTDでの鉛直環境プロファイルの測定に続き、採水を開始する。「記録に残さねば」という一心で、唯一撮った採水中の写真がこれ。

この写真を撮った直後にすぐに船が横を向いて危ない状況になったので、やはり舵から手を離してはならないということで、そこからはひたすら船を安定した角度で波に当て続ける操船を続け、採水作業を見守った。

 ところが作業も中盤に差し掛かったところで、風雨が強くなってきて、だんだん船を採水地点にとどめておくことすら難しい状況になってきた。波もさらに高くなってきて、50波に1波くらい、恐怖を感じるレベルの波がぶつかってくる状況になった。乗っている皆が「ここまで来たのだからできるギリギリまで採水を続けたい」と思っていて、自分も同じ思いだったけど、「撤退の決断は船長の自分の責任で下さなければ」という思いで状況を見極めていた。もしこれが良く知っている湖であればもう少し粘ったかもしれないけど、ここは摩周湖だ。もし何か起これば、天候的にも救助は望めない可能性が高く、生きて帰れない可能性が高い。由緒ある摩周湖モニタリングの歴史に自分の手で幕を下ろすわけにはいかないと思い、途中で撤退を決断した。

 で、帰りが本当に怖かった。追い波になるのだけど、船の速力が遅くて波に追い越される状況で、船が波乗り状態になるブローチングが起こって舵が効かない。何度か船が横滑りしたけど、そのときに真横から船べり以上の波を受けていたら一発アウトだった。全速力で戻りたい気持ちを抑えて、後ろからくる波を1つずつ見ながら、船の角度と速度を1波ずつ調整しながら少しずつ前に進む。岸が近づいてきて待っている人たちが見えたときは本当にホッとした。途中で撤退を決断して正解だった。人生の操船経験値が一日で10倍くらい増えたと思う。

 乗船組は必死の3時間だったけど、大多数のメンバーは雨風強まる中、岸に残って待ってくれていたわけで「やっと帰ってきたー」という感じだった。岸に戻るとすぐに撤収が始まり、荷造りをして、帰路の登りが始まる。予定通りの採水が行えなかったので想定よりもサンプルの湖水の量は減ったものの、それでも十数Lの湖水と保冷剤を積んだ推定30kg弱の背負子を背負って上ることに。あまりの重さで肩の血が止まるので、ところどころで、↓のような体制で、背中で荷物を支えて、肩に血を流しながら上がっていく。荷物が重すぎて一度バランスを崩すと終わりなので、足元を見ながらぬかるんだ道を踏み外さないように慎重に登った。

帰りはみんな余裕をもってゆっくりしたペースで上っていたこともあり、恐れていたような動けなくなるほどの疲労は無くて、意外なほどすんなりと登りきることができた。むしろ下りのほうが怖くて大変だったという印象だ。予定通りに採水できてたっぷりサンプルがとれていても何とかなった気がする。自分の体力に自信が持てて嬉しかった。

 ここからはいつもの調査と一緒だ。宿に戻って、いつもの濾過システムをセットアップし、ポンプでフィルターに湖水を流し込んでいく。交通費やかかわった人達の数を考えれば、1リットルあたり5万円は軽く超えそうな水だ。ロスの無いよう、全てフィルターに流し込んでいく。超貧栄養湖かつ採水量が予定より少なかったこともあり、あれだけ頑張って取った水がたった5つのフィルターにまとまってしまった。この努力が結晶になる感じは結構好きだ。翌日、サンプルを機材たちと一緒に冷凍で京都へ送り、ミッション完了。最後は阿寒湖を通って空港へ向かいながら北海道の涼しさを満喫し、灼熱の京都に戻った。

 帰りの道中、今回の調査が新聞記事になっているのを知ったのだけど、記事にある通り、今回は悪天候の影響で透明度が例年よりもかなり低い(それでも10mは余裕で超えている)結果だった。雨の影響で微生物量にも影響出てるかなと思ったけど、ラボに戻って細菌の検鏡やカウントをしてみたところ、そこまでの影響は見えなかった。微生物量は琵琶湖より1桁低く、貧栄養湖の特徴が出ていたし、面白いのが、あまりにも水が透明なせいで、表層は糸状細菌の世界になっていて(おそらく強すぎる日光の影響)、外洋みたいに温度躍層下の水深50m付近にシアノバクテリアのピークが見られる。これらは博士課程の時に採ってきてもらった、かつての摩周湖のサンプルを観察した時と同じ特徴だ。

 なので天気が良ければ、いつものように真っ青な水で、20mを超える透明度が拝めたのではないかと思う。大荒れの摩周湖での操船も貴重な経験ではあったけど、次に行く機会があるなら、是非摩周ブルーを間近で見てみたい。そして、ここまでの貧栄養湖のメタゲノムデータは世界的に見てもほとんど報告がない。これから得られるシーケンス解析の結果がとても楽しみだ。 

 今回のモニタリング調査、本当に多くの人の労力がかかっていて、摩周湖が地元にとって重要な存在であるということがとても伝わってきた。一方で調査継続にあたって財源の確保が難しい状況が続いているとのことで、協議会ではクラウドファンディングでの調査費の寄付も募っている。今回もクラウドファンディングの返礼品として調査に同行された方がいたのだけど、このような寄付が集まるのは、摩周湖を大事に思う機運があってこそだと思うし、そのような機運を作るために重要なのが、こうしたモニタリングの継続なのだと思う。だからこうした機運は、一度途絶えてしまうと、復活させるのはとても難しいことではないかと思う。これまで長年続いた調査だからこれからも安泰という訳ではなく、「絶やしてはならない」という意志と、多大な労力と費用の支払いの上に成り立っているものなのだということを、実際に参加してみて感じた。改めて、非常に貴重な機会を頂けたことに感謝したいし、自分もこの機運をさらに高める一助になるような研究成果を出したいと思った。