yokaのblog

湖で微生物の研究してます

5月びわこ

5月の琵琶湖調査に行ってきました。

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先月に引き続いての快晴、船上作業も快適。気温は19.5℃だけど、表面水温は15.9℃で、まだ汲んだ水を触ると冷たいと感じる温度。透明度は5.7mで少し回復して、春の植物プランクトンの大発生もピークを過ぎた感じ。

成層が発達してきて、今年の深層の水温(冬まで一定)も定まってきた感じで、70m付近で8.3℃。暖冬の影響か、7℃台だった昨年よりも高くなりそうです。

少人数だったので採水もスムーズに終わり、気持ちの良い1日でした。

最先端の人たちと鳥肌を立てあう楽しさ

↑の記事でも一度触れた内容なのだけど、ノーベル賞をとった大村先生の言葉として本の中で取り上げられている以下の言葉がとても好きだ。

レベルの高い人とおつき合いすることが大事である。レベルの高い人たちとつき合っていると、いつしか自分もそのレベルになってくる。そのためには自分を磨いて、良い仕事をしなければならない

最近、本当にその通りだと感じることが多い。各業界・各分野の最先端にいる人たちの考えの深さと自信は、他を圧倒しているし、本当に感心させられる。そして、そのような人たちとの人脈は、何にも代えがたい財産だと思う。

 世の中、付け焼刃の知識で、意外なほど簡単に、専門家ぶることができる。そういうニセモノの専門家は、自分の考えの深さで勝負するのではなく、相手の無知に付け込むことが商売になっている。これは会社員経験をはじめとしたこの数年で僕が思いを強くしてきたことだ。

一方で世の中には、

技術も考えの深さも自信も桁違いすぎて、話してるだけで自然に鳥肌が立つレベル

の「本当の専門家」もいる。僕は「鳥肌」を人生の豊かさを測るうえでの重要な指標に位置づけていて、「死ぬまでにあと何回鳥肌を立てられるかな」とか良く考えるのだけど、研究の世界に戻ってきてから、幸運にも最先端の研究をやっている本当の専門家とお話しする機会が持てるようになってきて、その度に僕は「この人はやばすぎる・・・」と鳥肌を立て、打ちのめされ、新たな境地に着地する、という経験を繰り返している。

 本当の専門家でいるためには、すさまじい労力が必要なはずだ。過去の事例を知り尽し、最先端の動向をフォローし続けていなければならない。さらにその上に、自分独自の見解や技術を上乗せして、新たな潮流を生み出していく張本人にならなければならない。本当の専門家は、それを、愚直に実践し続けている。だから、1の質問をすれば、10の深さの答えが返ってきて鳥肌が立つ。10分話をすれば、10本の文献を読むよりも有用なアドバイスが得られて鳥肌が立つ。一緒に仕事をすれば、今まさに間違いなく最先端にいるのだという自信に鳥肌が立つ。

 そういう、鳥肌経験をするたび、冒頭の大村先生の言葉は本当にその通りだと感じるし、レベルの高い人との人脈って本当に大切で、人脈を作るときはレベルの高い人を選ぶべきだ、という気持ちを強くしている。レベルの高い人とおつきあいできる、というのは、これまで想像していた以上に、圧倒的な強みであり、楽しくて、貴重で、有難いことなのだと、思うようになった。

 一方で重要なのは、大村先生の言葉の後半

そのためには自分を磨いて、良い仕事をしなければならない

という部分だと思う。当たり前だけど、求めるばかりではダメで、「レベルの高い人」と人脈を築くには、自分自身も、相手から求められる「レベルの高い人」でなければならない。付け焼刃で無い、本当の専門家にならなければならない。そうして、互いの技術と考えの深さに鳥肌が立ちっぱなしの関係を築きながら研究できたとしたら、さぞ楽しいはずだ。

違和感の備忘

 今日は自分を棚に上げて批判を展開しますよ。僕が会社員からアカデミアに戻ってきて感じるようになったこと、というか冷静に考えれば会社員なぞ経験してなくても分かるはずなんだけど、会社員時代と比べてアカデミアで見かけることが多いと感じる、改善したほうが良いと思うことたち。自分ができているとは言わないけど、ちょっと最近違和感を感じることが多すぎるのでまとめておく。こういう気持ちは感じたときに書いておかないと気持ちが変わったら忘れてしまうのでね。

他人にモノを任せられない人

 自分でやらないと気が済まなかったり、他人が信じられなくて自分でやらないと不安、というパターン。会社員の時は、「自分以外でもできることを自分でやるのは機会損失、自分にしかできないことに自分の時間を使え」というのを徹底して叩き込まれた。乱暴に言えば、能力の高い人はその能力がなければできない仕事しかするな、ということだ。同じ理屈で言えば、研究者はできるだけ自分の時間を、研究計画、データ解釈、論文書きといった自分の頭でしかできない付加価値の高い時間に集中させて、自分でなくてもでもできそうな単純な実験や事務作業は、誰かにお願いしてやってもらうのが理想であるということだ。傲慢に聞こえるかもしれないけど、研究者というのはそれくらいの能力・成果が期待されている、選ばれし職業だ(だからこそ、狭き門なのだ)と思う。それくらいのプライドを持って仕事に取り組まなければならないのではないか。

 もちろんお願いする人には正当な対価を払わなければならない(アカデミアには無償の労働という悪習がはびこっているという別の問題もある)。会社員時代に他人に任せる仕事の仕方が実現できていたのは、作業をお願いできるスタッフさんに恵まれていたからこその話だ。研究では往々にして、任せる人を雇うだけのお金がなくて自分でやるしかないこともあるだろう。だけどせめて頭の中での理想として「本当はお金を払って誰かにお願いしたいのだけどなぁ」という気持ちを常にもっておくことは必要ではないだろうか。何もかも自分でやらないと気が済まない、では、有限の時間でこなせる、その仕事の価値以上の価値を自分が出せないと言っているのと同じだ。

すぐできることをすぐにやらない人

 これは単純な話なのだけど、メールを返さないとか、10分で終わる単純作業とかを放置するとかして仕事を止める人が多いと思う。会社員時代は、「手元にボールがある時間をできるだけ短くしろ」が鉄則だった。仕事が来たら、早く打ち返して楽になることを考える。自分の手元で止まっている雑用はできるだけ少なくして、本当に時間のかかる(重要な)仕事に集中する余裕を残しておけ、ということだ。

 これができないということは、結局仕事に優先順位が付けられていないということだと思う。手元の仕事は「緊急度×重要度×所要時間」で優先順位をつけてどんどん片付ける。目的がはっきりしていれば簡単なことだ。さもなくば、仕事はどんどん溜まるし、精神も辛くなる一方だ。むしろなぜそれで仕事が溜まって平気なのかが不思議だったりするのだけど、「今すぐやればいいのになんでやんないんだろう?」と思うことが結構ある。

時間が無限にあると思っている人

 上記2つの問題の根本的理由の一つがこれだと思う。なんか自分の時間を、無限(というか無償)のリソースだと思っている人が多い。会社からアカデミアに来てすぐに感じた一番の違和感はこれだった。逆に言うと、僕が会社員時代に一番叩き込まれたのが「自分の時間は貴重な有限リソース」という考え方なのかもしれない。

 そもそも、時間をかければ物事を解決できたり、自分が満足できたりするのは、当たり前のことだ。世の中の本当の戦いは「じゃあ限られた時間で最大の成果を得て満足するにはどう時間を使うべきか?」もっと言うと「いかに時間を使わずに成果を出すか?」というラインで繰り広げられているのではないだろうか。すこし原理主義的な意見だから「成果ばっかり見ていたら大事なものを見落とす」とか「時間をかけるプロセスを楽しむことも大事だ」という反論もあるだろう。だけど少なくとも僕は、「敵も味方もみな有限の時間の中で仕事をしているのだ」ということを頭において、自分の限られたリソースをどこに割くか、優先順位を考えて取捨選択しながら仕事をしないと生き残れないと思うし、あっという間に人生が終わってしまうと思う。以下、僕が大好きな、利根川進先生の言葉を引用しておきたい。

だからぼくは学生に“なるべく研究をやるな”といっている。“何をやるかより、何をやらないかが大切だ”とよくいっている。
だってそうでしょう。一人の科学者の一生の研究時間なんてごく限られている。研究テーマなんてごまんとある。ちょっと面白いなという程度でテーマを選んでたら、本当に大切なことをやるひまがないうちに一生が終わってしまうんですよ。

風呂敷を広げっ放しでたたまない人

 仕事は始めるよりも終わらせるほうが大変だ。悔しいことに、世の中、なぜか風呂敷を広げる人ばかりが目立つ。広げた風呂敷をきちんとたたむことのほうがはるかに大変で重要なのに。

 で、研究の世界では締め切りが緩いこともあってか、色んな新しい事に手を出してみるのだけど、全然論文が出てない、というケースがとても多いように思う。結局、この問題も、目的が定まらず、優先順位がきちんとつけられていないことが原因だ。はっきり言うと、貴重な税金を原資にした研究費で試薬だの旅費だのを出してやった研究を、やりっ放しにして、その成果を発表しないというのは、横領とか詐欺とかと同レベルの重罪だと思うし、怒りを感じる。本来なら、それを理由に今後の研究費を出してもらえなくなったって、文句は言えないと思う。僕自身、まだ成果が出ていないから強く言えないけれど、一度手を付けてやり始めたことは、どれだけ大変でも、必ず論文にして報告しなければならないと思っているし、そのプレッシャーを強く感じている。繰り返すけれど、仕事は始めることのほうが、終えることよりもはるかに簡単だ。

熱烈な知的好奇心がない人

 これは最も理解に苦しむ(腹が立つし、不思議でもある)パターンなのだけど、研究者をやっている(志している)のに、最先端の知識に貪欲で無い人がいる。研究者というのは、人類の知のフロンティアを開拓することを期待されている職業だ。何なら、「期待されている」よりも「許されている」という言い方のほうがふさわしいと思う。実際にお金を生み出していないのに、それでお給料をいただけているのだから。研究者の仕事は、常に新しい論文を読んで、最先端の知識にアクセスし、フォローアップして、そこに自分の一歩を加えていくことだ。それなのに、新しい概念や技術の登場に対して、貪欲に理解しようとする気概がない人が結構いる。あなたが最先端に追いつかなかったら誰が追いつくのですか。

 そもそも、研究者というのは、割に合わない職業だ。本屋やCD屋のバイトの時給が他のバイトよりも低い(今はそうでもないのかな?)ように、「やりたいことやってんだから給料低くても我慢しろ」、言うなれば「やりがい搾取」が業界全体に強く効いている世界だ。死ぬほど優秀な人が長時間働いてすばらしい成果を出しても、同等の能力の会社員の生涯年収を超えることはまずないだろう。こんなもの、好きでなかったらブラックすぎてやってられない。それでも研究者として生きていこうとするモチベーションを保たせているもの、言い換えれば研究者に必要な素質が、「自分の手で何かを明らかにしたい」というとてつもない知的好奇心なのだと思っている。

 だとすれば、その根源的な知的好奇心が持てない、失われてしまった人にとって、研究者として生きるのはとても辛いことなのではないだろうか。それだったら、同じ能力や苦労で、会社員をやった方が安定してたくさん稼げると思う。そのような人がなぜそのような選択をとらずに、待遇の悪いアカデミアの世界にとどまっているのか、僕にはわからない。

 研究は自分で資金をとってきて、成果を出して軌道に乗せ、規模を大きくして、正のスパイラルにつなげていく、という点で、経営ととても似ていると思う。だからこそ、面白い面もあるし、それくらいの覚悟でやらなければならないとも思う。一つ、経営と違うとしたら、研究はなかなかクビになったり潰れたりしないということかもしれない。一言でいえば、ぬるい、という表現なのかもしれない。



 これは現時点で僕が感じている違和感であって、全てが正しいとは思わない。自分の気持ちはどんどん変わるから、数か月後には違うことを思っているかもしれない。でも、だからこそ、今思っていることを、連休前にここに書いておいた。

 ちなみに僕は、自分の心から「知りたい、明らかにしたい、最先端にいたい」という欲望が無くなったら、それは自分から研究者を辞める時だと思っている。

4月びわこ

今日は黄砂の降り注ぐ琵琶湖に行ってきました。

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透明度はわずか4.0m、湖の中も春を迎えて植物プランクトン大発生の最盛期。

そして、今年度から導入した新兵器。↓

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船上で大量濾過を実現。使われずに転がっていたパーツの寄せ集めでほとんどお金かけてないのだけど、きちっと仕事してくれた。今年度はこいつで琵琶湖の深層の細菌のDNA、RNA、そしてウイルスを一網打尽にする予定。

こちらが本日採れた琵琶湖深層のウイルス↓

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細菌のほうも、例年通りの奴が出てきつつあることを確認して安心↓

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そういうわけで、最強のサンプルセットを揃えるべく今年度も毎月琵琶湖に繰り出します。

切り替えが必要な感じ

 最近仕事のペースが落ちているような気がする。労働時間は長いのだけど、目的意識を持って集中できている時間が少なく、ダラダラと過ごしてしまっていて良くない。

 原因は大きく二つあるように思う。一つは、仕事量が飽和してしまっていて、「どうせ終わらない症候群」に陥ってしまっていることだ。去年の4月に研究の世界に戻ってきて以降、一貫して仕事を増やす方向に働いてきた。色んな学会に出向いて、色んな人に会って、色んなことを始めて、次々と手持ちのプロジェクトを増やしてきた。会社員時代、MAXで15個とかプロジェクトを掛け持っていた時期もあったので、「まだまだいける」の思いで、増やし続けてきた。

 ところが、研究は会社員時代の仕事よりも、1件1件がはるかに重くて、ここにきて、今までに撒いてきた種が一斉に発芽を迎え「ちょっとやりすぎたかも」という状況に陥っているのが正直なところだ。仕事は始めることよりも終えることのほうがはるかに大変だ。お世話になっている共同研究先に迷惑をかけるわけにもいかないし、今年度はあまり手を広げず、去年撒いた種を確実に収穫まで持ち込むことに注力したいと思っている。

 で、これだけ仕事が溢れると、常に何かが自分の手元で止まっている状態になってくる。実はこの状態は僕がずっと待ち望んできた状態だった。昨年度は動いている仕事が少なかったので、相手にボールを投げて帰ってくるのを待つしかない時間などが多くストレスだった。今ようやく、「手を動かせば動かすだけ仕事が進む」状況になれた。だが実際、今の自分の心のコントロールのできてなさは想定外だった。というのも、自分のモチベーションを保っていた要素の中に「早く終わらせて楽になりたい」という成分が多分に含まれていて、無限に仕事があふれている現状では「どうせ終わらない」からそのモチベーションが湧いてこない、という思考にスイッチしてしまっているからだ。

 これは完全に自分の心のコントロールミスでしかない。本来であれば、タスクを細かく分解して、1つ1つを片付けて楽になっていくことにモチベーションを見出せばいいだけの話だ。だけどそれが上手くできてない。その理由が、冒頭に書いたもう一つの原因だと思う。それは「研究を終わらせる(論文を出す)までのスパンがあまりに長すぎる」ということだ。

 会社員の頃は、3か月~1年くらいのスパンで、一つのプロジェクトを遂行していく時間感覚で働いていた。その時間間隔を研究の世界に持ち込んで、ガリガリと研究を進める、というのが、僕が当初思い描いていた仕事の進め方だった。そこで昨年の4月に研究に戻ってきて以降、フルスピードで実験を企画、実行、分析し、全力で論文を書いて、1月中旬には原稿完成までこぎ着けた。このころまでは、素早く仕事を進められている現状と、モチベーションがうまくリンクできていた。ところが、その後英文校閲⇒投稿⇒リジェクト⇒書き直し⇒再投稿⇒リジェクト⇒大幅書き直し⇒で、いま再び英文校閲に文章を投げているところで、大きく出鼻をくじかれ、4月後半現在、まだ成果になっていない。この先、うまく行ったとしても、再投稿⇒マイナーリビジョン⇒修正⇒アクセプト というステップを踏まなくてはならないだろう。第一稿が完成してから、一体何か月費やせばいいのか。

 この、論文投稿における一連の儀式に必要な時間と労力の余りの膨大さが、これまでガリガリと仕事を進めてきたつもりでいた自分の頭の中でのスピード感にマッチしていなかったことが、自分のモチベーションに水を差しているのではないか、というのが今の分析だ。要するに、あまりにも論文を出すプロセスがしんどすぎて、「日々の実験や分析を急ぐことに努力を注いだって、誤差なのでは?」という気持ちが、言い訳的に自分の頭の中で通用してしまっている現状があるのだと思う。

 だけど当たり前だけど、論文投稿プロセスのスピードが遅いからと言って、それが他の仕事のスピードを下げる理由にはならない。そもそも論文投稿というのは、長大な時間がかかるものであり、それは世界中の研究者が不満に思っていることだ*1。最初から、論文投稿でちょうど折り返し地点、くらいを前提に考えておけばよいだけの話だ。気持ちをなんとか切り替えて、去年の今ごろ、フレッシュでやる気満々でスピード感と自信に満ち溢れて研究の世界に戻ってきた頃の自分を思い出して、また頑張ろうと思う。

全生物の系統樹

 全生物の系統樹の最新版が出たということで、昨日は微生物研究者界隈で話題になっておりました。僕はこの論文の存在をTwitterでフォローしている海外の研究者が騒いでるのをみて初めて知ったのだけど、人類の知のフロンティアで戦っている研究者たちがリアルタイムで興奮しているのを、ペーペーの自分もリアルタイムで共有できるなんて、何とも興奮することだし、すごい時代になったなーと思う。そしてその興奮を一人でも多くに共有すべく、オープンアクセスで出版してくれた著者らに本当に感謝。ちなみにNature Microbiology誌はこの1月に発刊されたばかりの雑誌で、まだ自分の大学からも本文にはアクセスできない状況だ。面白そうな論文がいっぱい出てるのだけど、ほとんど読むことができないんですよね・・・

というわけで、読んでみた。

1行にまとめると

この世の生物の多様性のほとんどは、目に見えないし培養できない細菌で占められる

3行にまとめると、

  • 次世代シーケンサーの登場で、環境中の培養できない細菌のゲノム情報が得られるようになってきたので、系統樹の更新が必要だ↓
  • 既存の全生物のゲノム情報に、新たに得た1000を超える細菌の情報を加え、16個のリボソームタンパク質の配列を用いて系統樹を作成した↓
  • 系統樹で示される多様性の半数以上が未培養の細菌系統によるものであり、未培養の系統のみで構成される巨大なグループによって細菌が二分される結果となった

 という感じ。

  Fig1が本研究のメインの結果となる系統樹だけど、多くの枝にについている赤丸がまだ培養に成功できていない系統を示す。人間や植物を含む全ての真核生物が右下の小さい枝に含まれていることを考えると、いかにこの世が多様で未知の生物に溢れているか、ということが分かる。

 ただこれは、「多様性において」未培養細菌が大多数を占めているという話であって、「量において」はそうとは限らないということは注意。実際、培養できない系統のほとんどは生物に一般的な代謝経路を欠いており、他の生物と共生(寄生?)して生きているのではないかと言われていて*1、大量に生息し、どんどん分布を広げていくような生物ばかりというわけではない。

 もう一つ留意すべき点としては、この系統樹はあくまでもリボソームタンパク質の配列に基づいたものであるということだ。全生物を対象とするとなると、良く保存されていて、組み換えの少ない遺伝子を使って比較をする必要があるため、目的にかなった選択ではあるけれど、情報を増やしたり減らしたりすれば、当然(似てはいても)違った形の系統樹が現れることになる。リボソーム領域(rRNA)の遺伝子がほとんど一緒の細菌同士でゲノムが全然違う、という報告はすでに数多くある*2し、本論文でも著者らが触れている点として、リボソームタンパク質で描いた系統樹では真核生物は古細菌の枝の中に位置づけられるのに対し、SSUリボソームRNAで描いた系統樹では、 真核生物は独立した系統を成すという、全く違う結果となる。真核生物と古細菌の関係はどうなっているのか?という話題に関しては、まだ決着がついていないところで*3、改めて微妙な位置関係にあることが今回示された形だ。この点については、著者らも論文中で「今回の系統樹作成の目的は真核生物の位置づけを明らかにすることではない」と明言している。

 このように、分析の方法によって結果が変わるというのを前提としたうえで、今回の結果を解釈する必要がある。今生きている生物達は、単に共通祖先から枝分かれしたのではなく、共生や遺伝子の交換を繰り返した結果として存在している、というのがおそらく現実だ。違う情報を使えば違う結果が出るし、どんな情報を使っても永久に「真実」を知ることはできないだろう。そして今後もどんどん環境中の難培養細菌のゲノム情報は蓄積されていき、この系統樹もどんどん見直されながら形を変えていくことになるはずだ。

 それでも、近年の急速なシーケンス技術(メタゲノム技術)の発展を受けて、改めて情報を整理しなおした本研究の意義は大きいと思う。なにより、この世はまだ、誰も見たことがない正体不明の生き物で溢れていて、研究すべきことは無限に存在する、ということが改めて明るみになり、多くの人々に「ワクワク」を与えたという点で、インパクトのある成果だと感じた。やはり科学は「おもしろい」ことが第一ですね。

リスニング能力の強化に使っているYoutubeチャンネル

 僕は英語が苦手だ。人並みには努力しているように思うのだけど、自分より早く上達していく人が多いように思われて、どうも自分には語学の才能があまりないのだと思っている。

 英語ができないせいで困ったり悔しい思いをする場面はとても多い。今までで一番悔しかったのは、国際学会で同じ研究をしているライバルが自分に話しかけてきた時に、相手のアメリカンな会話が聞き取れなくて、聞きたいことがたくさんあったのに上手く意思疎通できなかったときだ。非ネイティブの英語ならかなり聞き取れるように思うけど、ネイティブ同士がベラベラ議論しているのを横で聞いていても、半分くらいしか聞き取れない。日本人が日本語でベラベラ議論するのと同じ感覚で研究の話をしているんだろうな(当たり前だけど)と思うと、英語が母国語でないというだけで何たるハンデか、と絶望的な気持ちになることもある。みんなが平等に勉強しなければならない新しい言語を作ればいいのに、とか、そのうち英語が廃れて中国語で論文書くのが当たり前になって欧米人も読み書きの苦しみを味わえばいいのに、とか思う。

 けど、ただ絶望している訳にもいかないので、日夜苦しみながら英語を勉強している。その中で、ずっと続けているのが、家に帰ってからテレビを見る代わりに(そもそもテレビがないのだけど)、Youtubeの英語の番組を見てリスニングを鍛える、というものだ。もうかれこれ1年続けているけど、1年前よりは確実に聞き取れる英語の割合は増えたように思う。特にニュース番組みたいなはっきり話してくれるやつは、単語さえ分かっていれば大体聞き取れる。けどそれでもまだ、ネイティブがベラベラ喋っている系の動画は聞き取れない部分が多くて、一体いつまでこれをやれば聞き取れる日が来るのか、とやっぱり絶望的な気持ちになる。

 色々とYoutube界隈をうろついたおかげで、お気に入りのチャンネルも大体固定されてきた。ずっと見続けているチャンネルの特徴としては、「英語で話している時間が長い」「内容に興味が持てる」「更新頻度が高い」「程よい長さである」「英語字幕が出る」の5点があげられる。ここで、おすすめのチャンネルを幾つか共有しておきたいと思う。

 

雑学系

幅広いテーマを扱っていて、ノンフィクション・ドキュメンタリーの要素が強いものたち。単純に知識欲が満たされるので面白い。

以上、Discovery 系列のチャンネル。テーマが広い、動画が短い、更新頻度が高い、英語字幕(自動生成ではなく、手打ちの正確なモノ)が出る、と文句なし。TestTube Newsは政治・国際系、TestTube Plusは科学系。DNewsはちょっと緩い感じの身近な話題が多い。以上3つはお馴染みのナレーター(4,5人くらいいる)がプレゼンするスタイルなので、その人自身の発音に慣れて聞き取りやすくなってくるというメリットもある。Seekerの二つはもう少しドキュメンタリー仕立てで、シリアスな内容が多い感じ。どれもほぼ毎日更新されるので、帰ったらまずはこれをチェックする。

個人でやっているとは思えないクオリティの高い雑学系動画。「世界に存在する7つの●●」みたいなパターンの長い動画と、RIF(rondom interesting facts)というタイトルの単発の雑学ネタを連打する数分の動画の2種類があって、どちらも面白い。この人の動画を作るモチベーションが、「雑学を調べて発信することが面白くてたまらない」だったり、いつもスーツを着ている理由が「貴重な時間をこの動画に費やしてくれる視聴者への敬意」だったりで、この人自体がとても面白くて好きなので、継続してみている。更新頻度も個人でやっているとは思えないくらい高い。イギリス北部のなまりが強いのだけど、それ自身も良い練習になるし、手打ちの英語字幕も完備されているから心配なし。

多言語を操るPaulさんの「色んな言語を紹介します!」的な動画。とにかく言語に関する知識が半端なくて、言語間の繋がりや、歴史など、分かりやすく伝えてくれるので面白い。日本語にも堪能で、「日本語と韓国語はどれくらい似ているのか?」という動画では、日本人でも驚くくらいに細かく両言語の相違点を指摘している。意識してくれているのだろうけど、この人の英語は平易で発音もはっきりしているので、ほぼ100%聞き取れる。早い英語が聞き取れなくて自信を失った時もここにくれれば自信を取り戻せる癒しの存在だ。

こちらも個人とは思えない高クオリティの動画。1国1動画で、その国の歴史、文化、国際関係等を、素晴らしくコンパクトに伝えてくれる。かなり下調べしないと作れないはずで、情報のクオリティ自体も相当高いと思う。ABC順で国を紹介していくのだけど、まだ「C」なので、しばらくはネタが尽きることはないと思われる。英語は少し早いけど、発音ははっきりしているので聞き取りやすいし、自動生成字幕でもかなり正確に表示してくれるので、個人的には今の自分にちょうどいい難易度の教材。

車を中心に、メカの動く仕組みを説明してくれる、機械好きにはたまらないチャンネル。機械の構造や動く仕組みを説明するだけあって、単語は平易でありながら、抽象的な表現や、複雑な表現が多く出てくるので、議論に出てくるような英語表現をマスターするのにはとても良い。これが通常会話の速度で完璧に理解できるようになれば、研究やビジネスのレベルでも困ることはないと思う。

ニュース系

CNNやBBCは定番すぎるので置いといて、個人的にかなりおすすめな奴を二つ。どちらも、更新頻度が非常に高いのと、世界中のニュースを均等に取り扱っている感じが良い。

ロシアのニュース局のRussia todayのチャンネル。音声なしの映像だけの動画が結構あるのが残念だけど、速報性もかなり高くて、ロシア機撃墜事件の時は、ここが一番たくさん情報を持っていたように思う。世界中のニュースを扱っているので、アジアや日本のニュースもたくさん登場する。報道は中立だけど、西側のメディアとは論調が違うところも見られて面白い。

RT以上におすすめなのがこちら。アルジャジーラ英語版。とにかく、扱っているニュースの幅が広い。中東はもちろん、アジア、アフリカ、世界中からまんべんなくニュースが流れてくる(アメリカは少ない気がするけど)。基本的に取材は自前なので、決して他の局では見られないような国の情勢や文化を見ることもできる。もう一つ面白いのは、非英語ネイティブの英語に決して英語字幕を付けないこと。非英語圏でのインタビューで、相手が現地語で返してきた時はもちろん流暢な英語の吹き替えがつくのだけど、相手が「頑張って」英語で返している場合は、そのままそれが字幕なしで流れる。日本人の英語インタビューで、発音が日本語なまりで、日本人の僕でも聞き取りづからったのが、そのまま流れていたということもあった。その外国人バージョンももちろんたくさんあるので、いろんな発音の英語を理解するトレーニングにはすごく良い。

日本在住外国人の日本紹介

日本に住んでいる英語ネイティブの外国人が、日本の面白いところや、良いところ、おすすめのところなどを紹介する動画。たくさんあるのだけど、以下の3チャンネルが更新頻度が高くて、内容も面白くて、手書きの(自動生成で無い)英語字幕もそろっているのでお勧め。

話している内容はほとんど日本のことなので、理解できるはずなのだけど、ここまでに挙げてきたチャンネルと違って口語マックスなので、聞き取れないことが多々あって良い感じに悔しい。特に外国人同士で会話するパターンの動画は、字幕見ながらでも理解できないことがまだたくさんある。

学会系

自分の研究分野の国際学会のプレゼン。内容的には興味ない人がほとんどだと思うけど。個人的にはこれを完全に聞き取れるようになることが最終目標なので、かなり見まくっている。

Fishing系

完全に趣味ですが。外国に釣りに行ってガイドに案内してもらう自分を想像しながら聞く。とくに最後のやつは、オーストラリアなまりが激しくてほとんど聞き取れないのだけど、「いつかオーストラリアで釣りをするんだ!」という強い気持ちでモチベーションを保って、聞き取れるようになる日を夢見て見まくっている。