yokaのblog

琵琶湖で微生物の研究してます

違和感の備忘

 今日は自分を棚に上げて批判を展開しますよ。僕が会社員からアカデミアに戻ってきて感じるようになったこと、というか冷静に考えれば会社員なぞ経験してなくても分かるはずなんだけど、会社員時代と比べてアカデミアで見かけることが多いと感じる、改善したほうが良いと思うことたち。自分ができているとは言わないけど、ちょっと最近違和感を感じることが多すぎるのでまとめておく。こういう気持ちは感じたときに書いておかないと気持ちが変わったら忘れてしまうのでね。

他人にモノを任せられない人

 自分でやらないと気が済まなかったり、他人が信じられなくて自分でやらないと不安、というパターン。会社員の時は、「自分以外でもできることを自分でやるのは機会損失、自分にしかできないことに自分の時間を使え」というのを徹底して叩き込まれた。乱暴に言えば、能力の高い人はその能力がなければできない仕事しかするな、ということだ。同じ理屈で言えば、研究者はできるだけ自分の時間を、研究計画、データ解釈、論文書きといった自分の頭でしかできない付加価値の高い時間に集中させて、自分でなくてもでもできそうな単純な実験や事務作業は、誰かにお願いしてやってもらうのが理想であるということだ。傲慢に聞こえるかもしれないけど、研究者というのはそれくらいの能力・成果が期待されている、選ばれし職業だ(だからこそ、狭き門なのだ)と思う。それくらいのプライドを持って仕事に取り組まなければならないのではないか。

 もちろんお願いする人には正当な対価を払わなければならない(アカデミアには無償の労働という悪習がはびこっているという別の問題もある)。会社員時代に他人に任せる仕事の仕方が実現できていたのは、作業をお願いできるスタッフさんに恵まれていたからこその話だ。研究では往々にして、任せる人を雇うだけのお金がなくて自分でやるしかないこともあるだろう。だけどせめて頭の中での理想として「本当はお金を払って誰かにお願いしたいのだけどなぁ」という気持ちを常にもっておくことは必要ではないだろうか。何もかも自分でやらないと気が済まない、では、有限の時間でこなせる、その仕事の価値以上の価値を自分が出せないと言っているのと同じだ。

すぐできることをすぐにやらない人

 これは単純な話なのだけど、メールを返さないとか、10分で終わる単純作業とかを放置するとかして仕事を止める人が多いと思う。会社員時代は、「手元にボールがある時間をできるだけ短くしろ」が鉄則だった。仕事が来たら、早く打ち返して楽になることを考える。自分の手元で止まっている雑用はできるだけ少なくして、本当に時間のかかる(重要な)仕事に集中する余裕を残しておけ、ということだ。

 これができないということは、結局仕事に優先順位が付けられていないということだと思う。手元の仕事は「緊急度×重要度×所要時間」で優先順位をつけてどんどん片付ける。目的がはっきりしていれば簡単なことだ。さもなくば、仕事はどんどん溜まるし、精神も辛くなる一方だ。むしろなぜそれで仕事が溜まって平気なのかが不思議だったりするのだけど、「今すぐやればいいのになんでやんないんだろう?」と思うことが結構ある。

時間が無限にあると思っている人

 上記2つの問題の根本的理由の一つがこれだと思う。なんか自分の時間を、無限(というか無償)のリソースだと思っている人が多い。会社からアカデミアに来てすぐに感じた一番の違和感はこれだった。逆に言うと、僕が会社員時代に一番叩き込まれたのが「自分の時間は貴重な有限リソース」という考え方なのかもしれない。

 そもそも、時間をかければ物事を解決できたり、自分が満足できたりするのは、当たり前のことだ。世の中の本当の戦いは「じゃあ限られた時間で最大の成果を得て満足するにはどう時間を使うべきか?」もっと言うと「いかに時間を使わずに成果を出すか?」というラインで繰り広げられているのではないだろうか。すこし原理主義的な意見だから「成果ばっかり見ていたら大事なものを見落とす」とか「時間をかけるプロセスを楽しむことも大事だ」という反論もあるだろう。だけど少なくとも僕は、「敵も味方もみな有限の時間の中で仕事をしているのだ」ということを頭において、自分の限られたリソースをどこに割くか、優先順位を考えて取捨選択しながら仕事をしないと生き残れないと思うし、あっという間に人生が終わってしまうと思う。以下、僕が大好きな、利根川進先生の言葉を引用しておきたい。

だからぼくは学生に“なるべく研究をやるな”といっている。“何をやるかより、何をやらないかが大切だ”とよくいっている。
だってそうでしょう。一人の科学者の一生の研究時間なんてごく限られている。研究テーマなんてごまんとある。ちょっと面白いなという程度でテーマを選んでたら、本当に大切なことをやるひまがないうちに一生が終わってしまうんですよ。

風呂敷を広げっ放しでたたまない人

 仕事は始めるよりも終わらせるほうが大変だ。悔しいことに、世の中、なぜか風呂敷を広げる人ばかりが目立つ。広げた風呂敷をきちんとたたむことのほうがはるかに大変で重要なのに。

 で、研究の世界では締め切りが緩いこともあってか、色んな新しい事に手を出してみるのだけど、全然論文が出てない、というケースがとても多いように思う。結局、この問題も、目的が定まらず、優先順位がきちんとつけられていないことが原因だ。はっきり言うと、貴重な税金を原資にした研究費で試薬だの旅費だのを出してやった研究を、やりっ放しにして、その成果を発表しないというのは、横領とか詐欺とかと同レベルの重罪だと思うし、怒りを感じる。本来なら、それを理由に今後の研究費を出してもらえなくなったって、文句は言えないと思う。僕自身、まだ成果が出ていないから強く言えないけれど、一度手を付けてやり始めたことは、どれだけ大変でも、必ず論文にして報告しなければならないと思っているし、そのプレッシャーを強く感じている。繰り返すけれど、仕事は始めることのほうが、終えることよりもはるかに簡単だ。

熱烈な知的好奇心がない人

 これは最も理解に苦しむ(腹が立つし、不思議でもある)パターンなのだけど、研究者をやっている(志している)のに、最先端の知識に貪欲で無い人がいる。研究者というのは、人類の知のフロンティアを開拓することを期待されている職業だ。何なら、「期待されている」よりも「許されている」という言い方のほうがふさわしいと思う。実際にお金を生み出していないのに、それでお給料をいただけているのだから。研究者の仕事は、常に新しい論文を読んで、最先端の知識にアクセスし、フォローアップして、そこに自分の一歩を加えていくことだ。それなのに、新しい概念や技術の登場に対して、貪欲に理解しようとする気概がない人が結構いる。あなたが最先端に追いつかなかったら誰が追いつくのですか。

 そもそも、研究者というのは、割に合わない職業だ。本屋やCD屋のバイトの時給が他のバイトよりも低い(今はそうでもないのかな?)ように、「やりたいことやってんだから給料低くても我慢しろ」、言うなれば「やりがい搾取」が業界全体に強く効いている世界だ。死ぬほど優秀な人が長時間働いてすばらしい成果を出しても、同等の能力の会社員の生涯年収を超えることはまずないだろう。こんなもの、好きでなかったらブラックすぎてやってられない。それでも研究者として生きていこうとするモチベーションを保たせているもの、言い換えれば研究者に必要な素質が、「自分の手で何かを明らかにしたい」というとてつもない知的好奇心なのだと思っている。

 だとすれば、その根源的な知的好奇心が持てない、失われてしまった人にとって、研究者として生きるのはとても辛いことなのではないだろうか。それだったら、同じ能力や苦労で、会社員をやった方が安定してたくさん稼げると思う。そのような人がなぜそのような選択をとらずに、待遇の悪いアカデミアの世界にとどまっているのか、僕にはわからない。

 研究は自分で資金をとってきて、成果を出して軌道に乗せ、規模を大きくして、正のスパイラルにつなげていく、という点で、経営ととても似ていると思う。だからこそ、面白い面もあるし、それくらいの覚悟でやらなければならないとも思う。一つ、経営と違うとしたら、研究はなかなかクビになったり潰れたりしないということかもしれない。一言でいえば、ぬるい、という表現なのかもしれない。



 これは現時点で僕が感じている違和感であって、全てが正しいとは思わない。自分の気持ちはどんどん変わるから、数か月後には違うことを思っているかもしれない。でも、だからこそ、今思っていることを、連休前にここに書いておいた。

 ちなみに僕は、自分の心から「知りたい、明らかにしたい、最先端にいたい」という欲望が無くなったら、それは自分から研究者を辞める時だと思っている。